2015年12月15日火曜日

(投稿)脱会者からのメッセージ  悪魔視は洗脳教団の特徴②


(投稿・前回から続く)
 
2.悪魔視は、教団依存を生み、教団に呪縛させる
 
①悪魔視による洗脳には、悪魔の定義と恐怖心が必要

 人は誰しも悪魔にはなりたくないものです。周囲から悪魔と認定されて喜ぶ人はいないでしょう。悪魔視をしている方に問いたいのですが、「あなたは、実際に悪魔を知っていますか?」という質問に対して、どのように答えるでしょうか。中には、「私は、悪魔に遭遇しました。」という方は居られるでしょうが、ほとんどの方が、悪魔を知らないわけです。「言われて見れば、私は悪魔を見たことも感じたこともない。」という方が大部分ではないでしょうか。
そうすると、教祖から「悪魔の定義」を教え込まれた事になります。K会で言えば、「三宝に敵対する者」とか「積極的に悪を犯す邪悪な存在」が悪魔という定義です。K会で「正法が説かれる時、魔が競い立つ」と言われているくらいです。
確かに、悪魔という霊は、存在します。悪魔としか言いようがないくらい邪悪な霊です。ただ、怨念をもったような悪霊の場合、狭い範囲では、積極的に悪を犯す場合があります。K会定義だと、このような場合も悪魔になります。

 又、ある教団では、「人間は、本来サタンの子」という定義を聞いたことがあります(深くは記しませんが)。これは、絶対に大間違いです。「人間が悪魔の子」という思想に洗脳されると、洗脳を解除するのは、かなりたいへんな作業になります。一生涯、洗脳が解けない可能性があります。こういう悪魔視は、単なる悪魔視を超えています。自分も人間ならば、自分も悪魔の子になります。これは、たいへんなことなのです。人類は始まりより悪魔の子になります。ご両親、我が子、身内や友人、会社の同僚、恋人、お世話になった方々、全て悪魔の子になります。これは大変です、世界は悪魔に支配されています。常識的に考えてみて、真剣にそうは思えないでしょう。
しかし、この思想に無理やり洗脳されている人は、本気で信じているのです。大変な洗脳です。その事実から逃れる為には、何でも行うようになっていくのです。特徴は、現実逃避をする為に家族から逃げていきます。自殺の危険性まであるのです。自分を生み育てて下さった優しく善良な両親でさえ、悪魔と見なします。教団以外の人を信じる事が全くできなくなります。
そうなれば、悪魔ではない真の御両親は誰かという事になりますが・・・。

さて話を元に戻しますが、ほとんどの方が実際に、悪魔に遭遇していないし、実感する事ができていません。ですからK会の場合、悪魔に対しての対抗処置を前面に出しています。それが「仏説・降魔経」です。悪魔を利用して、信者に手厳しい恐怖心を与えています。仏陀に逆らったなら「大阿鼻叫喚地獄」に落ちると説いています。悪魔と見なされると、恐ろしい制裁が死後に待っています。そのようになってしまうのが、悪魔という定義でもあるのです。恐るべき教祖は、悪魔さえ利用して、恐怖心で信者に悪魔視を洗脳します

②悪魔視により情報が遮断され、幻想の世界で信者は、教団にしがみつく

 人は誰でも救われたいという思いや世界の平和を願っていると思います。悪魔視を正当化する教団は、信者の純粋な信仰心、救済という願いを利用して、洗脳により教団の利益になる方向に誘導していきます。信者が脱会してしまうと、お金が集まらないので、「恐怖心」と「信仰による救いの保証」で、教団に縛り付けます。
信者は、「自分が救われ、世界を救う」という「仮面」を付けられて、信仰の誤りに気がつくまで苦役を強いられていきます。仮想された幻想の世界を信じて、現実世界に行動を起こしているのです。教団内部の話と現実世界には、大きな乖離が生じる為、教団は信者が埋没している幻想の世界を維持する為に、情報を遮断する手段をとります。悪魔視は、その手段です。

又、別のある教団では、家庭に帰らせないように洗脳して、信者が自信で監禁される方を選択するように誘導していますが、これも原理は同じです。
K会であれば、種村ブログやアンチブログを見ると魔が入ると脅しています。外から見れば、意図的に情報遮断をさせていることがはっきりと解ります。真実や良識的な見解を見る機会、聞く機会を遮断しているのです。
逆にみれば、いったん、組織や教義から離れて、自分の頭で考え、自分の心で客観視(正見)すれば、教団の誤りに気が付き出す機会ができてくることを教団は知っていることになります。つまり、悪魔視は、教団からみて都合の悪い事実を意図的に見せないようにする為のものです。ですから信者の方々には、せめて敵を知る為という趣旨でも良いので、悪魔視をしている相手を研究する為に、種村ブログやアンチブログを見て欲しいのです。そうすれば、教団が敵視している相手の見解や客観的な事実が良く解かるのです。
実は、そこにこそ現実世界での真実があるのです。教団の内だけでなく教団の外を自分の目で客観的に見る事が正見です。その時は、悪魔の導きではなく、神の導きなのです。悪魔の導きは情報遮断、神の導きは正見です。

又、人間は、旧約聖書ふうにいえば土から神の姿を型取り造られたかもしれませんが、その型の中に神の息吹(命)を吹き込まれた存在です。神の息吹とは、神の命です。神の命を吹き込まれ宿しているのが人間です。人間は、神により、神の生命を与えられて創造された非常に尊い存在なのです。人間の先祖はみな神の命を宿す者であり、サタンの生命を宿したサタンの子ではないのです。過去の聖者が説かれた正統な教えを教団の教義と一つ一つ比較確認すれば、真理や法のすり替えが理解できてきます。誰にも邪魔されず、それだけに集中する期間と時間が必要になります。又、協力して下さる人たちが必要です。

又、霊的認識の未熟さから、有り得ない論理を受け入れてしまっている面があります。神的存在は光り輝き、悪魔は暗黒の世界を住処としています。そもそも神と悪魔は、相対する立場ではないのです。全ての生命は、神によって創造されているのです。自分の内を眺め続ければ、神の如き愛があることに気づきます。
生まれて間のない赤子を見て、悪魔には見えないはずです。天使に見えるはずです。ある教団が言うように、人がサタンの子ならば、赤子は悪魔になります。しかし、命をかけて赤子の時より今まで自分を育てて下さったご両親を思えば、悪魔には見えないはずでず。
結局ほとんどの信者は、悪魔を知らないのです。悪魔を実際に知らないから、白紙の中に、悪魔の絵を書かれているようなものなのです。K会の悪魔視も、別教団の人間サタンの子の思想も、悪魔が描かれた色メガネを通して見るように植え込まれているに過ぎないのです。真実を言うならば、両者ともに、人間を悪魔にする教えです。この二つの教団とも、悪魔の製造教団です。だから危険なのです。

3.悪魔視から逃れるには(悪魔視の傾向性の解除)

①私の反省

 私は過去にK会の仏弟子として、必死で法を実践してきました。救世活動という様々な活動を必死で行ってきました。その過程で知らず知らずの内に悪魔視が身についてしまっていたと思います。かつては霊的でもあったので、色々な悪魔体験をしてきました。初期の頃は、悪魔を見ても客観的な認識であったのですが、いつの間にか悪魔に魅入られているような言動をする人を見た時に、悪魔と同様な見方をしていた時期がありました。つまり自分が悪魔化していた時期があったのです。
 これは、信じている教祖が悪魔視をするので、教祖と同様な視点で見るように徐々になっていったのです。教祖の言う事と同じ事を信者は言います。見方においても同様です。「悪魔は仏の救世運動を阻害する者で、仏に敵対する者だから正義の剣で悪魔を粉砕しなければならない。救世運動という大儀の為に、悪魔(悪業)を粉砕しなければならない。」という想いが信者にあります。これは、教祖に教えられたことです。教団に所属している時は、そのように思っていました。このような想いは、伝道の際、教祖の法を誹謗するような方に出会った時、自分の中に、悪魔視の誘惑を誘発していきます。

私は霊的でしたので、実際に悪魔の妨害に遭った事が多々ありますが、本来(初期において)はそれも含めて自己責任であったはずなのに、過度に苦しい時は悪魔視をしていたと思います。「あの人は魔に入られている。」というような感じです。人のせい、悪魔のせいにしますから楽なのです。自分との戦いを放棄して、悪魔のせいにするのです。悪魔視は、心の向上の為の努力を阻害します。
中には憑依されている方がいましたが、仮にそうであったとしても、そういう方の力になるのが本当の信仰者の姿であったはずです。その方は、悪魔悪霊では決してないのです。その方は、何かで苦悩しているのかもしれません。人の苦悩を見ようとせず、悪魔視をするのは、救世活動ではありません。悪魔視は、人の心の悲しみや苦悩を見ようともせず、裁いて迫害します。「波長同通の法則」という偏った法で、「魔に同通する心がある人」として、危険視して遠ざけます。悪魔視に愛はありません。私は、人を裁く傾向が身についていたと思います。

ある日、とても苦しい時に自分に負けて悪魔視をしてしまった時があります。その時に必死に心に言い聞かせて静めた心を見つめると、実は、悪魔は自分に憑依して相手を悪魔視するように指導誘導をしていたのです。一旦、悪魔視すると悪魔に増幅させられ、相手が憎く見えてきます。その時に、悪魔の指導を受けているのは、他ではなく自分なのです。悪魔視は悪魔の指導です。悪魔の指導を呼び込むのは自分自身の悪魔化した心です。
悪魔視は文字通り悪魔の視方です。その事に気がついて、心がすごく楽になって行った事を思い出します。長年、悪魔視を続けていると、簡単に人を悪魔視するようになります。簡単にとは、自分の都合で悪魔視をするようになっていくのです。その方が楽なのです。しかし、これは、非常に危険な状態だと思います。悪魔視が心の傾向性になりつつあるのです。つまり悪魔になりつつあるのです。
K会初期に教祖が説いていたように、原則は自己責任です。私は、しばらく悪魔視のクセが残っていたと思います。クセになるのです。人を悪魔視する、本当に愚かだったと思います。裁いた方に辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳なく思っております。

私は、「これからは悪魔視で見ない」と決意して、逆の見方をしていきました。

「人はみな神の子である」という見方です。これは、真なる霊性の復活です。「如何なる者(生命、霊)も神によって命を吹き込まれた存在であり(神の命を内包している存在)、神によって生かされている者である。」というような見方です。自分に対してもまた同じ見方です。人はみな神の心を宿している(仏性、内なる神の魂)、愛の目で見なさい、感謝しなさいと、以前、高級神霊が指導して下さったことがあります。「苦悩を愛するのは止めなさい。人の仏性(内なる神の魂)を愛しなさい。感謝しなさい。」と。

又、「欲と裁きの環境で、誠実で同じ欲に染まらない者が害されるような地獄に見える環境であっても、自分のカルマを克服し、心を成長させて下さる方々を今与えられているのです。その方々のお陰で自分の成長があるのです。心からそう想えれば、そういう環境を与えて下さっている神に感謝して、皆様に感謝できるのです。今の地獄とも思える環境をとても有難いと思いなさい。」という旨を滅多に出て来られない守護霊から指導がありました。

又、しばしばご指導を頂いておりますが、最近、種村氏より、「善悪を分ける心を越えなさい。」というすごい難題のご指導がありました。私は今、種村氏からのご指導を目標にしています。かなり厳しく難しいのですが頑張っています。

 自分が本当に自分の過ちを認めて(反省)、「現在、自分に現れている環境や苦悩はかつて自分が他人にした事である。それが今自分に返ってきているのである。だから全て受け入れて行こう。そして、これからは本当の自分を見出して行こう。今の自分を新しい自分に造り替えて行こう(自己変革)。」と真剣に決意した時に、希望が見えてきます。生きる事への活力が出てきます。神を信じる心が自分を信じる心に変化してきます。洗脳されているが故に、どこからともなく湧いてきた恐怖心が、徐々に消えていきます。
見えない慈悲深い愛の神は、裁くのではなく、必ず慈悲の手を差し伸べて下さるのです。深い闇から光へと導いて下さります。(神の救い)。

ですから、脱会後に、洗脳された心で苦しんでいる方、活動や布施で経済を使い果たして厳しい現実にさらされている方、不借身命でむちゃな活動をして会社を追われた方、対人関係が破壊された方、霊的な方で本物(霊的存在)の悪魔悪霊に害されて苦しんでいる方、恐怖心が抜けず苦しんでいる方、自分に自信が無くなっている方、対人恐怖、対人不信が抜けきれない方、なかなか社会復帰ができない方、「私の人生は終った」と思い希望をなくしている方、神にすがっても神の救いがなく、神に不信を抱き裁いている方、K会への憎しみが離れない方、守護霊等に命を引き上げて欲しいとまで願っている方等、もう一度、自分自身の中に存在している純粋で美しい愛の心を愛して欲しいのです。私は全てを経験してきました。共に頑張って生きて欲しいと願っております。(X
(次回に続く)


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