2015年10月12日月曜日

(投稿)OR総裁の「行為」を問う・・・K会の洗脳を解く②


(投稿)OR総裁の本質は「行為」に現れている


「人間の本質は『思い』なのです」。

OR総裁が何度も口にした言葉です。

私はある日、「なぜ、これを繰り返し信者に訴えるのだろう?」と、素朴な疑問を抱きました。

そして気付いたことは「人間の本質は『思い』ではなく、人物を決定するのは、あくまでも『行為』なのだ」ということです。

「人類を救いたい」と思うだけなら誰にでもできますが、それのみで偉人、聖人になれるわけではありません。本当に偉人と呼べるのは、マザーテレサや、ガンジー、リンカーンのように、それを実行した人達だけです。

同様のことは悪行にも云えます。

OR総裁は以前「心の中で思っただけでも罪になる」として、こんな話をしました。

「色情の思いを抱き続けたある尼僧が、生涯一度もそのような行為を為さなかったにもかかわらず、地獄へ落ちた」と。

しかし、日々強い情欲を抱き続けながら、一生涯何の行為もなかった、などというのは不自然です。必ず何らかの行為があったはずであり、それが堕地獄の原因になったはずなのです。

同様に、「憎悪」なども行為に現れるから罪なのであって、全く行為に現れなければ、何も無いのと同じです。本物の憎悪であれば、必ず抑えきれずに悪口や暴力に転じるからです。

総じて云えば「この現象界では人間の本質は『行為』に現れる」ということです。

OR総裁は、言葉ではとても立派なことを仰っていますが、行為がともなっていたでしょうか。

「自分で発言したこと、行ったことに対して、言い訳せずに最後まで責任を負いましたか?」

「失敗や敗北を他人のせいにせず、迷惑をかけた人達に心からお詫びしましたか?」

「自分だけ安全な場所で、従順な人達に囲まれて、惨めな仕事、辛い役目をすべて他者に押し付けませんでしたか?」

「他人の為に、名誉も評価も得られないことの為に、自分にまったく見返りのないことの為に、身を尽くしたことがありましたか?」

「自慢話をしませんでしたか?」

「他人の悪口を云いませんでしたか?」

「思い」と違い、「行為」は隠しきれません。

だからこそ、OR総裁は繰り返し「人間の本質は『思い』だ」などと云って、「自らの行為の拙さ」から信者の目を逸らす必要があったのではないでしょうか。


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