2015年10月4日日曜日

(投稿)疑問の果てに・・・私がKKと決別した理由



(紹介)
今年K会を退会された方が、K会と決別した心の歩みを静かに理性的に語ってくださいました。この方は、会員である時もさまざまな疑問点を日記風に書き綴って、K会について検証してこられた方です。退会して、その後のご自分の心を振り返り、ご自分の退会の理由をまとめられたのが、この投稿です。冷静な抑制のきいた語り口の奥に、固い「決別への意志」を感じるのは私だけではないと思います。

(投稿)

1.伝道拒否宣言

「もう私には伝道はできない!」

それがこの宗教と訣別すると決めた時の赤裸々な思いでした。

商売をしている私が、自宅兼店舗がある地域の家庭をすべて訪問し、伝道する。支部が決めた方針であり、「信仰心があればできる」というのが教団の考えでした。

訪問する私たちを歓迎してくれる家庭はほとんどありません。冷たい返事が返ってくるのがほとんどです。ただ、中には話を聞いてくれたり、本を受け取ってくれたりする方もいらっしゃいました。その中から支部へ来てくれて、入会までしてくれる人は稀です。そして、その中から信者として定着するには、さらに高いハードルが存在するのです。  

すべての始まりは「地の果てまでも伝道せよ」というOR氏の伝道宣言からでした。でも、「法を説くは主にあり。法を伝えるは弟子にあり」と云って、OR氏自身は伝道をしていません。職員の人たちとばかり接していて、外部の人と議論したり、質問に答えたりすることは一切していません。

OR氏は多岐にわたる教えを説いており、これらを誰よりも正確に説明でき、あらゆる疑問に答えることは他の人には出来ないはずです。信者に「伝道せよ」と言うのならば、自らもメディアの出演要請に応じて、正々堂々と訴えることが、いちばんの伝道の近道のはずです。それをせずに全人類伝道を目標に掲げていることは、この目標が本気なのか甚だ疑問と云わざるを得ません。

2.OR氏の人格への疑問

そして、OR氏は「判断は私に任せて、ただ付いて来て下さい」と信者に対して要求しています。それができる人も居るでしょうが、私はそのように求められれば求められるほど、理性が自己主張を始めるタイプなのです。

私の「理性」はOR氏が失敗したり、敗北したりするのをありのままに見てきました。そしてそのこと自体は、何ら私の信仰心を揺るがせるものではありませんでした。失敗や敗北は誰にでもあることだからです。

しかしどうしてもリスペクトできない部分、釈然としない「わだかまり」のようなものが私の心の奥に住み着いて、いつまでもくすぶり続けていました。

その中で最大のもの、どうしても看過できないものが何だったかと云いますと、「自分は常に正しい」というOR氏の姿勢でした。

具体的に云うならば、「伝道が進まないのはマスコミが妨害しているせい」「選挙で勝てないのもマスコミが公平に報道しないせい」「退会した信者は信仰心が足りない」のであり、「信仰心が足りないのは日本の教育行政が悪いから」といった具合です。

私は「本物の人格者ならばそのような責任転嫁をしないのではないか?」と無意識下に感じ取っていたのです。

また、「年間52冊発刊」のギネス記録樹立の際、OR氏は「語った内容がそのまま書籍化され、このようなスピードで刊行されることは、仏陀でなければ出来ないことだ」と発言していましたが、その陰で献身的に働いていた出版関係者や、本を買い支えてきた信者への謝意は一切ありませんでした

優れた学術書などの中には、長い年月を経て何度も加筆、修正されながら更に完成度を上げていくものがあります。それは著者の、その本に対する愛情と、読者に対する責任感の現れでもあります。決して年間何冊刊行したか、という冊数の記録が重要なのではないと思うのです。

3.祈願が効かない、検証も皆無

祈願にしても、「精舎祈願」を支部全体で10件集めるなどと云って、数値目標ばかりが先行します。私も1件「代理祈願書」を参加者に託して、自分でも祈願したことを実践しようと努力したのですが、正直、祈願が効いたという感じが全くせず、「祈願の効果はいったいどうなっているのか?」という疑念に襲われました。以前、「若返り祈願」や「ボケ封じ祈願」を代理祈願した時も、全然効果がなかったからです。

一体代理祈願は誰の為にあるのか? 奉納金を増やすために、安易に「代理祈願制度」を設けているのだろうか? 祈願が効かなかったケースは無視して、「おかげ話」だけ集めて喧伝しているのではないだろうか?

現代ではビジネスの世界でさえ、顧客にダイレクトメールを送り、購入した商品、サービスに問題が無かったか、気に入ったかを積極的にリサーチする時代に突入しています。宗教が信者の忠誠心の上に胡坐をかき、信者を顧みることなく、組織の運営の為に利用するだけ利用する状況では、新しい信者の獲得など到底望めないと思うのです。 

こうして長い期間を経て、私の心の中に、教団、教祖に対する疑問や矛盾が積み重なっていきました。

4.決定的な瞬間

そして、私にとって決定的だった出来事は、支部に新しい支部長が着任し、かなりワンマンなやり方で支部運営をやりだした事です。

この人は決して悪い方ではありませんでしたが、手法が独裁的で、秘密主義的なのです。

私はその人の愛のないやり方に、OR氏の姿を見たのですOR氏は自らを「愛の根源」と云っていますが、初期の功労者たちや、恩ある方達に対する、あまりにも冷酷なやり方が、職員に受け継がれていたのです

私の中で、すべての矛盾や疑問が解消した瞬間でした。

そうです。まさしく「答は単純なものの中にある」のです。OR氏が嘘をついていることにさえ気付けば、すべてが整合するのです

こうして私は、長い間信仰してきたこの宗教と決別することを決めました。
今では、まるで思い付きのようなOR氏の指示に振り回されこともなくなり、以前よりも仕事に打ち込めるようになりました。充実感ある日々を過ごしています。


いま、つくづく思うことは、人間にとって本当に大切なことは、すべて平凡な日常の中にあるということ。そして、等身大の自分を見失わずに生きることの大切さ。知ることができないことは、すべて天にお任せすればよいということ。
本当に必要なものは既に与えられている。私達はいつでも常に神とつながっている。今はそのように思えるのです

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