2015年10月14日水曜日

(投稿)ユートピア実現の中味とは・・・K会の洗脳を解く③


(投稿)「ユートピア実現」の実体への疑問

「ユートピア実現」と「人類幸福化運動」。

いずれもKK教団の草創期に掲げられていたスローガンです。

しかし、最近聞くのは「ユートピアを実現せよ」という言葉だけで、「人類幸福化」という言葉は全く耳にしなくなりました。

私はどちらも同じ目標、同じ内容の言葉だと思い込んでいましたが、それは大きな思い違いだったのです。

「人類幸福化」という目標は具体的であり、その達成度合いは、対象者に直接尋ねたり相手の様子を観察したりすれば、信者が自分で量ることができます。

つまり教義に基づいてさえいれば、教団に指示を仰がなくても、自分の裁量で活動ができるのです。

それに対して「ユートピア実現」という目標は、具体的に何を目指しているのか判らないために、提唱者に指示を仰がなければ行動することができません。

ところがOR総裁は、何が「ユートピア実現」なのかという判断基準、判断材料を、信者に与えていません。

1987
年に書き下ろされたユートピア論の中には、「ユートピア世界すなわち個人としても幸福で社会全体としても幸福という世界」と記述されています。この中でユートピアは「個人の幸福」だけでは成立せず、「社会全体の幸福」が必要条件とされています。

 
私は「幸福は個人の心の中にしか存在しない」と考えているので、「社会全体の幸福」が存在するとは思いません。しかし、この言葉にOR総裁のユートピア論の本質があるのです。

信者は、OR総裁の語る「ユートピア」が抽象的なために、自分ではどこを目指せばいいのかが分かりません。自分達が前進しているのか停滞しているのかも分かりません。

それ故、総裁から「政党を立ち上げよ」と言われれば立ち上げ、「学校を建設せよ」と言われれば建設します。また、総裁が「私はKKを大発展させた」と言えば「大発展させた」のだと思い、「あなたたちにはもう一段の努力が必要だ」と言えば「努力が必要だ」と思うのです。

まさにOR総裁の「独壇場」なのです。

このように見ていけば、OR総裁の目指すユートピアとは、この「体制」を全世界に普遍化させることだと理解できます。

個人が幸福かどうかではなく、全人類がOR総裁に服従することが目標であり、それがユートピア、つまり全体の幸福だ、ということです。

実際、OR総裁は法話の中で「判断しないで只々付いて来て下さい」と信者に要請しています。

私は、一人ひとりが主人公でなければ、「真のユートピア」とは云えないと思うのです。

「無我」とは決して自分を見失うことではないはずです。

生来的に人類は「命令通り動くロボット」として創られておらず、神から「主体的自己」が与えられているからこそ、心から人を愛したり、幸せになったりすることが出来るのではないでしょうか。







0 件のコメント:

コメントを投稿