2015年10月30日金曜日

(投稿)利用される霊性⑥  脱会者からのメッセージ 



(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

7.霊性を広めるには、奇跡も必要

霊性を広めるには、救世主ならば、単に書籍や言葉だけで信じるか否かではなく、歴史に残っているように何らかの奇跡や霊現象、霊体験を実際に見せて、「認識できるか否か」をも問うべきだと思います。

例えば、救世主が現れて、貧しくて病院にもいけない人々を病気の苦しみから救ったとか、貧しくて飢えた国で天よりパンを降らしたとか、解明できない難事件を解決したとか、神の警告で天から火の塊を降らしたとか、瀬戸内海を真二つにしたとか、核兵器を消し去ったとか、UFOを呼んで宇宙人と対話するとか・・・。

それでも信じなければ、怖がらせて裁くのではなく、神の代理人として、自己責任を問えば良いと思います。

口だけでなく、効かない内部だけの祈願ではなく、そんなに偉い覚者ならば、何故、世に出て実践しないのかと一般の方々は疑問に思うでしょう。

書籍や言葉だけで、霊性を信じよと言われても、科学が進んだ現代は難しい面があると思います。

8.K会の悟りでは、真なる霊性が見えていない

K会の祈願は、全然とは言いませんが、ほとんど効かなかったですね。

自分なりの奇跡的な事は、少しはあったと思います。ですから、私はトータルでみて、K会を全否定しているわけではないのです(役にたったこともあった)。

洗脳を完全に解いてしまう為には、K会で得た知識等の正しいこと(他から引用されている箇所等)と間違ったことをしっかりと判別しないと、正しいものまで取り去ってしまいますから、私は、全否定はしないのです。

もちろん、全て捨てても良いと思います。

しかし、K会の教義の誤りや行いの誤りは、霊性からみれば、魂に影響を与え続けますから、生きている内に正さなければなりません。

ですから、多くの信者を洗脳して没落させて来たK会を肯定することは、絶対にできないのです。

「洗脳と没落の異常な苦しみ」は体験した者でなければ理解できません。

OR総裁は、「信仰心」をお金儲けの手段にしています。

自分に向けられている信仰心(偽八正道の正信)なので信者の心は、あらゆる手段として利用できるのです。

教祖が転落した以上、しかるべき責任を取って、K会を解散すべきで、これ以上、純真な信者を利用するべきではないのです。

布施の返還訴訟を裁判で争うくらいですから、そのような心は全くないということが判ります。

これが、K会の正体です。

これは、悪魔の心が実現された姿です。

K会を見れば、「悪魔との対話」をしなくても、悪魔の想いが伺えるのです。

職員方々は気がついていない方が多いでしょうが、洗脳を背負い没落した信者や脱会者は、まともな生活さえ出来ない状況(精神面と生活面)に、落とされるのです。

それが、如何に悲惨な現実かを知るべきです。

八正道の研修で他人に指導するくらいなら、組織や信者を客観視して、自分を客観視するべきです。

そこに何の反省も見出せないのならば、その方は、完全に洗脳状態にあるといえるでしょう。

実は、その方自身も危ないのです。

因果は必ず巡ってきます。やがて、自分の出番が豪華にやって来るのです。

全ての方では無いと思いますが、職員は教祖がおかしい時がついていてもそれに目をふさいで、生活のために未だに教団にしがみついて、信者を折伏してお金を搾取し続けているのでしょう。

ご自分が如何に恐ろしい事をしているのか、お解かりにならないのでしょうか。

御自身の恐ろしい所業に気がつかない職員の方や、良心が痛んでも辛抱してしがみついている方は、霊性を真には信じていないし、霊性に本当の価値を見出していないのです。

霊性という言葉が分かりにくければ、仏性といいましょう。

仏性に目覚めないで現実世界の事だけを追いかけているのです。

これが「悪魔の所業」だとは思えませんか?    

9.真なる霊性は、愛の無い悟りでは得られない

自己保身欲の為に、他人の悲痛な犠牲を容認し肯定する者は、既に悪い波動が入り込んで、悪い波動の道具に成り果てていると思った方が良いと思います。

実際に悪い波動の影響を強く受けているのです。

たとえ、霊道を開いて、悟りを開いたように認識していたとしても、人の苦しみや悲しみがみえない人は、慈悲の眼差しは開いていません。

信者や脱会者が、洗脳の影響から抜け出せずに苦しみ抜いている現状が、心の目、愛の目で観えなければ、その霊道の開き方や霊能は悪い波動の影響を受けて、起こっている可能性が高いと思えます。

霊道重視の悟りを求めても、霊道と悟りは違うのです。

K会風に言えば、霊道は心の我欲を意識しないようになれば、開いてきます。

我欲を意識しない為の反省の法になっています。

つまり、結果重視の悟りの法になっているのです。

悟りの法にまでOR総裁の傾向が現れています。

如何に霊道を開いても、その時に愛で満たされた喜びがなければ、それは単に霊道を開いただけであって、悟りではありません。

愛なき悟りといえましょう。それでは、魔に勝てないのです。

真なる悟りならば、愛心で満たされますから、そういう信者の悲惨な光景を見て、黙ってはいられないし、教団にしがみつくことはないはずです。

一言で言えば、K会教義の悟りは、不十分なのです。

いくら愛を意識しても結果は、「霊道現象優先の悟り」になってしまうのです。

だから、愛の心が湧いてこないはずです。

いくら愛を思う努力をしても自然体ではなく、懇々と湧いてこないはずです。

霊能力があると見せている教祖の、数々の愛のない行為を見れば、それははっきりしています。

幸福は、真なる信仰の中にあり、その幸福の源泉は、今とは全く違う場所を眺めた時に、発見すると思います。

つまり生き神や組織ではないところにあるのです。

「自分の霊性」の中にこそ、本当の真実が在る。

そう気がついた時に、幸福の源泉に触れます。

そこには、真なる救いがあるのです。

神の真なる救いを信じるべきです。

同じように霊性を眺めても、眺め方、眺める心が全く変わるのです。

恐怖心や不安に悩まされる心が開放されて行き、真の霊性が迷える自分を導いて下さるのです。

大悟していない法には限界があります。

偽の悟りは、三次元的な成果を信仰の勝利として計り、会員数や布施の額、立派な建屋や本尊、高価な偶像を求めるが、それらは、神への信仰には全く無用なもの、ガラクタなのです。

K会で一番大切なことは、教団運営ではなく、一人一人が真なる霊性に気がついて、愛の心に目覚めていく事ではないでしょうか。

何故なら、「この肉体(やK会)は有限である」が、霊性は永遠に続いていくものだからです。

これはOR総裁の初期の教えです。

その為には、愛の無い悟りや愛の無い行いは、全て、勇気を持って疑い、追及し、捨て去らなければならないのです。



0 件のコメント:

コメントを投稿