2015年10月24日土曜日

(投稿)利用される霊性①  幸福の科学脱会者からのメッセージ 



(紹介)

洗脳型の宗教を退会した人のなかには、その宗教を批判するあまり、霊性自体を否定されているかに見える方もいらっしゃいます。これはその方の体験にもよることと思いますが、私は霊性は否定できないと思います。霊的なものは自分の心の奥深くにあるものであり、それへの希求は魂のもつ本来的な願いであり、一種の本能でもあると思います。
今回の投稿は、そうした霊性に問題に正面から向き合おうとした内容ですが、「悪い波動」が教団全体を侵食していることを、感じ取った内容にもなっています。誠に残念ではありますが、私もそういう面が強いことをリアルに感じることが多いので、数度に分けて紹介させていただきます。

(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

.霊性(スピリチュアリティ)は、認識の是非で問うべき

「人間は霊である」という事を、K会教祖が説いています。

「人間は霊であるということを信じている」という方、いわゆる霊性を信じる方は、K会信者(元信者)には多いと思います。

一人一人、信じるには信じるだけの根拠があると思います。言葉や活字で教えられただけで、信じることは難しいと思います。「何故、自分は霊性を信じているのか?」という根拠を考えれば、霊、あるいは霊性を信じた根拠が、ORの法にあったか否かが解かってきます。

私の場合は、霊的体験をK会入会以前に経験していましたから、特に教祖に教えられなくても、霊性は幼少の頃より信じていました。

「多くの人たちのお陰で今がある」という事実に気がつけば、誰でも感謝の想いが湧いてきます。

K会信者には、OR総裁を神格化しているが故、「何でもOR総裁のお陰だ」という心が潜伏しています。

身近には、親のお陰で今があるでしょう。おばあちゃんのお陰で今の自分があるでしょう。そう思って日々生きていたなら、肉親の殺害事件という悲惨な事件など起こり得ないのです。こういう感謝の想い一つでも、「正しき心の探求」ではないのでしょうか。


唯物主義は、自分を守る為に責任転換する

更にOR総裁は、「自分は、至高神である。霊性を世に広めることは、仏弟子の使命である。」と宣言しました。さらに「法を説くは師にあり、法を広めるは弟子にあり」という御都合を弟子に押し付けて、苦しい難行は弟子の責務としました。それ故にOR総裁は、成果において弟子の責任を問うのです。

真の聖者ならば、自らが、「霊性とは何か」を言葉、文字だけではなく、「認識できる行為」として、組織内だけでなく、広く世界の人々に示すべきだと私は思います。この辺りは、非常にずるさを感じます。

会社の管理者で、こういう方がたまにいます。成功したのは自分の指導のお陰、失敗したなら実行した現場の責任で、自分の立場を良くし、守る為に、嘘をついて責任転嫁する人です。

こういう組織は往々にして、恐怖統治されています。何故なら、現場は失敗すれば、後に酷い裁き、お仕置きが待っているからです。

高い給料は、管理者が取り、安い給料で痛い目にあうかもしれないとビクビクしているのは、現場の人間。現場が耐えきれず、意見を言えば、何時間も罵倒し吊し上げられて、恐怖心を植え付け、自分に逆らえないように楔を打ち付けます。

こういう管理者が上に立っているにも関わらず、その上に立っている方々が事なかれ主義の組織は、悪い波動が支配するようになって、組織全体がその波動に覆われていきます。そして、個々人にも「悪い波動」が憑依していきます。

それでも我欲や恐怖に捉われず、屈せず、正しい事をいう方は、寄ってたかって「いじめの標的(対人的に敵視され、イジメ抜いて退職まで追い込む)」にされていきます。

こういう人道に反する行為をしている方には「悪い波動」が入り込んでいます。K会にそっくりな企業がたまにあります。しかし、「悪い波動」に入り込まれ、他人の人生を破壊した方の末路は哀れです。

自分を救世主と名乗る宗教家が、霊言集という書籍だけを提示して、霊性を個人の「信じるか否か」という主観に任せるのは、根本的に力不足だと思います。それならば、テレビ番組で、心霊写真等を公開し、「霊は存在するのか、霊は存在しないのか」という提示とあまり変わりません。

そういう薄ぺっらな救世活動だから、他人に献本等をして、書かれている法を理解するか否か、霊性を信じるか否かで、上目線で、「上根、中根、下根」に勝手に人を選別して裁くのです。

この裁きは、霊性を示し得ない宗教家の言い訳にすぎません。著者ではなく、読者である献本対象者に責任を転換しているのです。

つまるところ話は逆で、OR総裁の悟りの力不足を世に公言しているにすぎません。

霊性を解かりやすく行為で示しえないという事は、宗教家としての悟りの力が足らないからです。それは教祖自信が自覚しているはずです。

<注;ここでいう「霊性」は、人間は肉体の中に神より頂いた生命の源である魂が宿っていて、魂の向上の為にあの世とこの世を転生しているという意味で使っています。又、神や高級霊、内なる神の心(仏性)を霊性と言っています。霊性を追い求めれば、計り知れないくらい深く広大だと思います。>(X)
(続く)

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