2015年9月30日水曜日

(投稿)恐怖心は、克服できる④ -脱会者からのメッセージ―

 

(前回から続く)

9.魔の術中にはまる教義

KK教義自体に自我我欲が内包されている

KK教義の縁起の理法には、潜在我欲が内包されています。

一つ例を挙げれば、「KK会員になれば、黄金の文字で入会日が刻印され、天国が保証される」故に、伝道して魂の救済をしなければならないという教えがあります。会員になっただけで天国が保証されるというのは、縁起の理法に反しています。この教えが暴走すれば、「本人の知らない内に勝手に会員にしても天国が保証され本人の魂の救済が可能」という事になります。とても公式的です。

この教えが行為に現れると実際に、ある支部では本人が全く知らないのに会員にされている方が多数いると、支部長に聞いたことがあります。前支部長は、かなり評価があったとも聞いていましたが、このような暴挙をしていたようです。この行為は自分の為の欲です。又、映画鑑賞会等を開いて、プレゼントを渡すからといって、氏名、生年月日、住所等を記載してもらった後、勝手に会員登録したとも聞いています。心ある信者は、「こんなことして会員にしていいのですか? 騙しているではないですか!」と非常に心苦しい思いをしたと言っていました。

ほとんどの会員はそれでも平気だったそうです。これは、KKの縁起の理法にかなり欠陥があるのです。人間ORを生きた神にしていますから何でもOKになるのです。KKは、至高神の位置づけで、地球の最高権限を有していますからORに評価されればOKなのです。逆にみれば、評価が欲しいから、このような暴挙に至るのです。

つまり、こういうことを平気でする方は、本当には「縁起の理法」(善因善果・悪因悪果)を信じていないのだと思います。成果主義でKKが評価するのをずる賢く逆に利用しているのです。KKの法で自我我欲を引き出されると、この世の常識さえ逸脱して、基本的な人間性までも腐らせてしまうようです。

至高神が最高権限を有し、ORが宇宙神で法身ならば、大宇宙の法則も自由自在なのです。法そのもののORが言う事は、宇宙の法則であり真理なのです。ばかげた話しです。

ですから、ORが自我我欲を持って説いた法も真理になります。自我我欲で説かれた法は、自我我欲を信者に植え付けます。その結果が上記のような暴挙に出てしまうのです。他に、伝道、植福等菩薩制度、導入するだけで護られる御本尊、世界を守る像、立派な建物等、全て潜在我欲の産物です。ですから、立派な建屋を建立し、像を設置しても魔が平気で徘徊できるのです。ですから、脱会後は、KKの物を全て廃棄する必要があります。(研究のために欲しいという方もいるようなので、念のために種村氏に相談されることを勧めます)

②潜在我欲を誘発した活動は、愛の想いを消していく

KK初期においては、純粋に伝道していたと思いますが、途中で全く異質な数値主義に変貌していったと思います。「菩薩を目指す」という想いにも、当初は純粋さがあったと思います。菩薩とは「菩薩のような愛」です。

しかし、「○○菩薩」という「制度」が途中で出来ました。これに実績評価が加わって、無理に伝道、植福等をした方もおられるでしょう。退職金をつぎ込んだ方は、「植福菩薩を選択する」と言っていました。心ある信者は引き留めましたが、KK側に折伏されてお布施したようです。

菩薩とは、何かを布施するから菩薩ではないのです。誤った教義の環境に侵され、本来の姿を忘れ去り、我欲に走ったツケは大きいと思います。気がついて脱会した後、どれだけ苦しむことでしょうか。KKの罪の重さをそこにみます。

教義上では、「与える愛」、「愛の発展段階説」、「波長同通の法則」や「反省の法」等に誤りがあります。KKの法は公式のように理論的です。一見、理路整然にみえますが、深くなんともいえない。悟りの内からにじみ出る覚者の教えではありません。右がダメなら左、右左が解れば真ん中というような教えは誤っているのです。

教えを実績主義に結びつければ、目標ができます。目標達成が活動の目的になっていきます。そこに愛の発展はありません。あるのは過酷な活動が待っているだけです。ある人からお布施を抜けば用はなくなり、次の人へそのまた次の人…というように集金が中心になり、大きなお布施をしたものは大評価を受けます。本来の姿を見失った姿、「欲また欲の暴流」で、そこに愛は消えています。あるのは、裁きです。これで、魔の餌食にならない方がおかしいのです。

10.誰でもできる簡単なことで、恐怖心は克服できる

①自分の中の神の心(仏性)は信じるより、愛する事が大切

私の経験上のことですが、恐怖心は、あっという間に大部分が克服出来ます。もちろん、KKの誤りを一つ一つ確認して、洗脳を解いていくことが重要です。それには、ある程度の期間がかかります。霊的な方は、その期間の間に危険な時が往々にしてあったりもします。

私がそうでした。私は、もうこれで終わりだと想った時に、内なる声が響いてきたのです。その通りに実践した時から、氷りついた心に温かい心が蘇り、恐怖心が和らいでいったのです。

それは、「自分の中の神の心を愛する」こと、「自分の中の神の心に感謝する」ことなのです。これは、万人が誰でもできることだと思います。

KK信者ならば、自分の中に仏性があると信じているはずです。「仏性」という言葉を使うとKK教義を引きずる可能性がありますから、「内なる神の心」で良いと思います。KK教義では、仏性を信じよと説いていますが、目に見えない仏性を信じようとしても、本当には信じられないのです。この辺が、実践できないKK教義の限界を感じます。

目には見えない「内なる神の心」は愛していく中で、実感できていくものだと思います。自分の心の内に想いを向けて、純粋に愛するのです。そうすれば、温かいものが流れ込んだり、湧上ってきたりする感覚を覚えます。

②対人不信や対人恐怖が克服されていく

 自分の中の神の心を愛していく中で、他の人の中にも同じように神の心が宿っているという事が、実感できてきます。今まで他人に酷い事をしてきた自分があり、他人から酷い事をされてきた自分がいます。内なる神の心を愛して、思い起こして反省すれば、自他共に辛く厳しい人生の修行をしている事をなんとなく感じてきます。

他人にされた酷い事が心にくっついて、
「憎んだ自分、それを言い訳にしてきた自分、他人を許せない自分、裁いた自分など」
が想い起こされます。

自分がしてきた事は、果して正しかったのだろうか。

「仏の名の下に強引で高慢な姿勢で人を傷つけたり、愛の無い裁きを降したり、調和を乱したり、仏の加護を信じた故に不幸に陥ったりしたのではないだろうか。他人にも今自分が受けているような苦悩を与えて来たのではないだろうか。」
というような事も冷静に観られるようになってきます。そうして、他人の中の神の心を愛するようになって行きます。

すると、対人不信や対人恐怖が薄れ、消えていくのです。

現在、私はある営業職についていますが、常時人と関わる仕事です。これは脱会直後の自分では考えられないことなのです。

③魔の影響を受けなくなった

 「自分の中の神の心に感謝して、愛する」、「他人の中の神の心に感謝して、愛する」ことを実践していく中で、徐々に魔の影響がなくなっていきました。比較的、早かったように思います。

これは、KKとの霊的な道が切れていったのだと思います。苦しいそして苦しい日々なら、道はついたままだったでしょう。しかし、自発的な「感謝」と「愛」の想いが、魔の道を切って行ったと思います。

又、天上界の加護が働いていると思います。苦しみよりも「内なる神」へと本心で向いた心は、天に通じます。私は、天上界の加護をかなり感じてきました。KK教義の「波長同通の法則」に洗脳されていると、自分の想いが自分の心の力で、天上界に直接つながるとは思えないのです。

KKだけが高級霊とつながるというような「波長同通の法則」は、間違っています。人は、みな神の子です。神の子ならば、その想い一途で純粋ならば、天の神につながるのです。魔といえども神には勝てません。神は、魔をも生かしめておられる慈悲の存在ですから。

私は、魔の影響を受けなくなったことが、恐怖心が消えていった大きな要因です。

魔に打ち勝っていくのは、純粋な愛の想いです。KKに毒された我欲の愛では、魔の標的になり、利用されます。「許す愛」と言っても許せない自分がありました。何故か。愛さないから許せないのです。

「許す」というのは、愛することで自分をも許される(許す)ことだと想います「許す」とは、愛する想いに現れてくる現象なのです。つまり、愛する愛が大切で、愛するとは、「与える」ではなく愛するのです許しは愛する想い(感謝や行為等)の中で自然に出てくる想い(感謝や行為等)であって、「与えよう」とする目的をもった自覚ではないのです。

誤った「与える愛」の思いを利用すれば、犠牲を伴うような無理な献本、購入、お布施、暴挙伝道など全て「与える愛」の素晴らしい行為になります。「与える愛」の自覚無く、見返りを求めない純粋な愛の想いなら、愛する想いの結果として「与えて下さった」という本当の感謝の想いが相手に湧いてくるでしょう。

やはり、潜在我欲が内在している「与える愛」の思いと行為は、魔に通じるものがあるといえます。だから、「迫害」を受けるのです。

KKが教義も心も行いも正しければ、「迫害」ではなく世に認められ、選挙も当選していたかもしれません。根本の愛する想いに誤った段階を付けて、愛に数値目標を設定した(例えば「〇〇菩薩を目指す」)罪は重いのです。

最後になりますが、私が脱会後も様々な苦悩の渦中にあった事は事実です。今苦悩の渦中にある方のお気持ちは良く理解できます。本当に苦しいと思います。私はその中でどうしようもなかったのですが、種村氏の力添えもあって、洗脳解除していく中で自分に対して気がついたこと、教義の誤りに気がついて洗脳が解除されていったことや恐怖心、自己不信、対人不信、対人恐怖などが克服されていったことも事実です。私が出来た事は、他の方も必ず出来て克服できると信じています。

日々恐怖心等で苦しみ、特に自殺願望が出ている方々が、一刻も速く洗脳解除をされて苦悩や霊的悪影響がなくなりますように天に祈る想いです。どうか踏ん張り通して、頑張って頂きたいと、強く願っております。
以上


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