2015年9月24日木曜日

(投稿)恐怖心は、克服できる① -脱会者からのメッセージ― 


(紹介)

Xさんが投稿をくださいました。力作です。Xさんの努力とこの投稿を書いてくださった利他の思いに敬意を払います。4回に分けて掲載しますので、ご覧ください。

(投稿)

私は脱会して間のない頃は、洗脳された心と破壊された様々な環境の中で苦しみぬいて、自殺願望に飲み込まれそうな日々でした。心から出てくるのは、「生きていても仕方が無い。守護霊よ、早く命を引き取って下さい」という思いばかりでした。神社に行ってまで、「神様、早く命を引き取って下さい」と真剣にお願いしていました。

自殺願望を克服できない要因に恐怖心がありました。「このままではいけない。希望を見出して頑張ろう」という思いが浮かんでもいざ行動に移そうとすると、恐怖心が希望をかき消してしまうのです

恐怖心が出てくると、自己不信、他人不信、不可能、無理、焦燥感、あきらめ、精神病、悲しみ、後悔などマイナスの想いが次々と出てきて「自分はもうダメだ」と絶望していきます。いつ死のうか、どうやって死のうかなど、死の実現を望むようになります。これは今、何度思い返しても自殺願望です。

 しかし、自殺願望を抱かせるほどの恐怖心は、私は意外に早くに克服できました。脱会後に起こる強い恐怖心には原因がありますが、原因をいちいち解決していかなくても、朝露の如く消えていきました。KKに植え込まれた恐怖心は、理由なく湧き上がって来て、我に返った時も現実社会で生きる事への恐怖心として起こってきますが、これは幻のようなものでした。

今回は、過去をある程度振り返りながら、私がKKに植え込まれた恐怖心から解放されたことを教義上の間違いをKKの行為の面からも眺めながら記したいと思います。 (Xより)
                       
1.没落し自殺願望が芽を出す

KKは豊かな心を奪い社会生活を破壊する

 私はKKに関わる以前にはあまり恐怖心で苦しむ事は無かったと思います。ですがKK脱会後は、特に恐怖心が襲ってきました。いくら恐怖心を自己流で克服しようとしても長年の活動の中で植え込んだ垢が落ちずに、悲しいのですが、心が言う事をきかなかったです。

私は不幸に見舞われ続けて、ようやくKKの過ちに気づいて脱会した人間です。KKで活動すればする程、教祖を信じる程、人から裏切られたり陥れられたりしながら迫害されていったのです。現実的には自分の生活環境が崩壊し、精神的には洗脳された心で苦しみました。

仲間の会員にも、私と同様に職場を追われた方がいました。正に、心身共に「没落」という言葉が当てはまります。KKでいくら経済繁栄系、成功系の祈願をしても、没落は止められません。没落していく中で、豊かな心で生きて行けるはずがありません。長年勤務した会社の定年を迎えずに辞めて退職金をつぎ込んだ方がいますが、離婚問題に発展していました。それで豊かな心になれるでしょうか。本当に幸せでしょうか。大いに疑問です。

②何が何でも自殺を踏み止まること

私は経済も破壊されていましたので、生きる希望は全くありませんでした。自己信頼も全く無くなっていました。又、どこからともなく恐怖が湧上り、これが日々繰り返されていきました。そうしている間に、徐々に自殺願望が芽を出してきました。精神も生活も限界が近づき、心が耐え切れなくなるのです。

「生きていても仕方が無い」という思いは、「生きていく意味が無い」、「生きていく自信がない」という思いでした。

もし心が健康ならば、「よし!もう一度ゼロから頑張ってやり直そう」となるでしょう。しかし、疲れ果てた心に恐怖心が湧き上がってきますから、マイナスの事ばかり思いが巡ってくるのです。

厳しい現実に直面して苦悩しますが、大切なのは、自殺に絶対に走らないことです。踏み止まることです。私が危険な所まで行きながらも自殺に走らなかったのは、自殺をすれば地獄に落ちるかもしれないという想いがあったからです。KK教義に関係なく、自殺は神から頂いた命の放棄、人生の放棄だから良い 事ではないという想いがあったからなのです。これはKKに関係なく、ボロボロというしかない自分でも唯一、神への信仰心があったから助かったと思います。最後のひと絞りの信仰心は、KKを捨て去ったゆえに持ち得た、見えない神への信仰でした。

2.人間不信、対人恐怖を信者に植え付ける

①サタン視の裏には、嫉妬心や恐怖心もある

 御承知のように当ブログを主催する種村氏は、KKでは「魔に入られた存在」ということになっています。私は脱会後しばらくして、種村氏にお会いして様々なご指導を頂きました。たいへん優れた優しい方で、魔とは無縁のお方です。お会いすれば、直ぐに解ることです。

しかし、KK教団は、信者が会った事もない種村氏を悪魔と信じ込ませ、よってたかって迫害します。書籍まで出版して誹謗中傷します。これは、人間のすることではありません。そこには教義でいう「与える愛」の欠片(かけら)もありません。

KKの信者時代に、私は教祖の方針に意見を言った事で、チームや支部でサタン扱いにされ、村八分になったことがあります。かなりショックを受けました。信者たちの私を見る目は「疑いの目」になり、そこには今まで労苦を共にしてきた信頼というものは無くなっていました。KK内においては、「魔に入られている」という嘘の言葉一つで一瞬にして、何年間もの信頼は消え、迫害されるのです
それでも心ある信者が言ってきて下さったのは、私に対する「嫉妬心」が代表地区長に見えたということでした。だから今まで信頼して労苦や喜びを分かち合ってきた人たちが、私の発言の真意を私に確認もしないで、勝手に「悪魔に入られた」と決め付けて、かばいもしなかったということでした。

勝手に想像してお許し頂きたいのですが、種村氏の場合は、完全に教祖の嫉妬心と恐怖心だと私は今でも思っています。自分を越える存在に嫉妬し恐怖して、正体を見破られる恐怖心は、一般社会でも見てきました。確かに人間心でみれば、自分を見通されると思えば怖いでしょう。

②迫害は、脱会せよという神からのメッセージ

 今になってみれば、私は結果的には良かったと思っています。あの時、勇気を出して組織の問題を指摘したことも正しかったと確信しております。

少しソレますが、私が指摘しだした頃に、魔が襲ってきて憑依されて非常に肉体的に苦しんだ事も思い出します。KKで正しい事を指摘すれば、魔の標的になり、どこからともなく恐怖心や不幸も起こってきます。KKが魔に支配されている事がよく解ります。ですから、一刻も速く脱会することが肝心なのです。そして、KKの祈願は絶対に受けないようにするべきです。

その時が脱会するタイミングだったと今は思います。少し後悔ですか、「何故、あの時もっと冷静に判断して脱会しなかったのか」という思いがしばらくの間続きました。そうすれば、もっと状況は違っていたと思います。冷静に判断すれば、真の救世団体が人をサタン視するはずがないのですから。それは、この教団が誤った教えと行動をしている証拠だったのです。

③極度の迫害や集団イジメで恐怖心を植え付ける

KKにおいて対人で酷(ひど)い目に遭われた方は、私のように対人恐怖や対人不信の念を植え付けられている方もおられると思います。特に迫害されたり、昨日の友人が自分を敵視しだしたり、大勢で迫害し、他の支部まで及んで疑いの目やキツイ言葉を浴びせられたり、危険な病人のように多数信者から扱われますから、それはショックを通りこしてしまうのです。

これは言葉を変えれば、集団イジメです。集団パワハラです。集団イジメは恐怖心を強く埋め込み、自殺者も生みます。根本教義、四正道の根本「与える愛」はなく、愛の発展段階説「善人の愛」、「生かす愛」、「許す愛」は全く無く、「本能の愛」に吸い付く「サタンの心」で生きているのです。

3.生き神を信じ他人に恐怖心を植え付ける

 ①教祖の言動は信者にコピーされる

 KKの代表的な特徴に裁き心があります。教祖や職員は、自分のいうことを聞かない人を裁きます。選挙で○○実現党に投票しない民を海に沈めると脅します。自分の利益にそぐわない信者を裁いて迫害します。

貧乏な者を寄せ付けません。悩んでいる信者を自己責任で突き放し、あなたに原因があるといって裁きます。会員にならない人を「未だにこの法が解らない低次元霊」と決めつけ裁きます。

高慢というより傲慢です。私は会員時代に、社会でも自分は特別な存在だと思い込み、会社でも教祖の正義を押し通そうとして強引な言動をとったり、教義を無理に持ち込んだり、何かあれば裁いたりしてきました。その時は、自分では正しい事をしていると思っていますから、間違いに全く気がつかないのです。

何故なら、信じている教祖がそういう言動を取りますから。それを信者も真似て行なうのです。教祖がすることは信者も許される。要は、教祖の心が信者にコピーされているのです

②自我我欲から来る恐怖の予言者は、恐怖統治を産む

「教祖に従わない者は地獄行き」で、信者は「生神に仕え天国が保証されている特別な存在」という想いが、「一般の人々は救われる立場の人で可哀想な気の毒な方々」と見下しているのです。教祖を信じている不動の姿勢に加えて、そういう上目線の強い意志と態度で話されたら、日々接するおとなしい一般の方は怖いのではないでしょうか。私は仕事の指導上でも怖いと言われたことがあります。仕事上の事でも、洗脳されているので同じ傾向が出ていたと思います。一つは高慢、一つは裁き心です。

今考えれば、私は恐怖心を他人に植え込んでいたのだと思います。例えば、「あの人に誤った事を報告したら裁かれる」という恐怖心を相手に抱かせてしまうことです。指導は指導でも監視されているような感覚が相手にあったのではないかと今は思っています。

教祖の場合は、選挙に落選したくらいで、恐怖の予言をしてしまいます。それは裁き心です。根本は自分の言う事を聞かそうとする自我我欲です。そういう思いが知らないうちに信者に伝染していると思います。悪とは徹底して戦い正すというのは一見、正しく頼もしく思えますが、愛がなければ恐怖統治になってしまいます。この法のすり替えは、魔の狙いどころであり、魔の指導です。

KKに限らず別の組織でも、恐怖統治は必ず恐怖心を人に植え付けて行きます。私の職場も、所長による恐怖統治です。みんな怖がっています。結局、権限が有る者は人の人生を左右できるということです。生活基盤が破壊されるかもしれない恐怖に怯えているのです。逆に言えば、組織の長や幹部は、周囲からそうした酷い事をする人間に見られているということなのです。それでは選挙は当選しません。教祖が過去言っていたように、世間の目は誤魔化せないのです。

③愛か裁きか、仏の子かサタンか、両極端な自分になっていた

 私が思うには、両極端になってしまうのです。優し過ぎる自分がいると思えば、正義の元に厳しすぎる自分、裁き心を持った自分がいて、両極端です。これは、KKの教えが両極端になっているのが一つの理由だと思います。特に正義を全面に押し出して、強固な姿勢で教えや指示を強制しようとします。従わなければ裁きが降ります。サタンと見なされます。

教義的には地獄界をも優しく支えている至高神のはずですが、何故かKKの弊害になるような事物には、サタンと見なして裁いて倒そうとします。KKに仇すれば二度と人間として生まれないと教えています。こういう気質が信者に伝染し、職場でも形を変えて同じような裁き姿勢になっていたと私は思います。

裁き姿勢なる理由はこうです。教祖が至高神でかつ法が絶対の法と思い込んでいるので、自分を特別視しながらの救世の活動が、いつの間にかすり替わって、「思い通りにならない他人を仏敵と見なして悪魔視する」ようになるのです。そこには、愛が忘れられているのです。至高神のわりには、器が小さいですね。愛無きは悪魔視、愛無きは裁きです。

※教義の八正道、反省の法は間違っています。教義の正信、正見から入る客観視自体が誤っています。例えば、正信は教祖の想いがそのままコピーされる所から出発しますから正見が間違った見方になってしまいます。教義の反省は中止して下さい。また、KKの中道の教えも間違っています。実践がかなり困難な教えにもなっています。(次回へ続く)

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