2015年9月10日木曜日

(投稿)K会の支部・本部に直談判して退会しました



(紹介)
嬉しいメールを最近いただきました。そこにはこう書かれていました。
「種村さんのブログを読みながら、私自身の体験も、
他の苦しんでいる方々の参考になるのではないかと思い、
家族に協力してもらって、文章化してもらいました。
一人でも多くの人々が、幸福の科学の苦しみから逃れられますように。」
この方は勇気がある方であり、信念に忠実に生きる方であることは、投稿を読めばわかります。
特に退会に当たって、支部や本部に間違いを正そうとして直談判に行かれたところは圧巻です
投稿者に感謝して、公開させていただきます。

(投稿)

①入信のいきさつ

 父母の知人から献本された本を、父から「読んでみるといい」と渡されたことが、私が幸福の科学の教えに出会うきっかけとなりました。三部作を始めとして、かなりの本を借りて読みました。母は、早々に誌友会員となりましたが、私自身は、なかなか良いことが書いていると感心はしましたが、まだ、会員になるというところには至りませんでした。

 すぐに信仰心をもつことにはなりませんでしたが、数多くの書籍に触れ、納得や感動が増えていくことで、さらに学びたいという思いが強くなりました。そこに至ってようやく、幸福の科学という組織に属したい思いが生まれていき、三宝帰依をすることにしました。

 ただ、その仏法僧に誓いを立てる瞬間にも思ってしまったことでしたが、仏と法に誓うことに、何の疑念もありませんでしたが、僧団に誓うことには、当初から疑念がありました。支部に赴く前に出会った信者さんたちを見ていて、思うことがあったのです。まだ、明確にこれと的確に言い表す言葉はありませんでしたが、それは、やがて支部で彼女たちと活動をして行くにつれて、明らかになっていきました。

②組織の実態に触れる

 信仰をもつ人間は、朗らかである。そうしたイメージとは相反する、信者であるかそうでないかを差別する選民思想や、私は、これだけの献本や伝導をした、だからエライのだという増上慢など、自らの魂を磨くという本来の教えとは程遠い信者さんばかりに囲まれていました。また、支部という組織も、数字ばかりを追い求め、私は、その数字を積み重ねることだけが功徳ではないと制していましたが、やがて私の後に、誌友会員から三帰者となった母は、その競争の渦に飲み込まれ、どこかに功徳信仰としての幸福の科学を見出していたのでしょうか、次から次へとかなりの金銭をつぎ込むこととなりました。

 そのやり口たるや、職員の方が、まず自宅に来て、どれくらいの財力があるかを図ります。そして、これぐらい取っても大丈夫だろうと、我が家の課題としてあった家庭不和を、ユートピアへと至らしめるためにと称して、あの手この手で、祈願や研修を勧め、お布施を迫ってくるのです。ご本尊が、大乗のご本尊に変わる折に、私は、その物体そのものを得ることに功徳があるわけではないと考えていたので、購入を考えていなかったのですが、支部において、大勢の信者や支部長、そして、素直に彼らの言うことを信じる母を巻き込んで、小一時間説得をされ、購入させられる、という出来事もありました。そうした動きもあり、支部は、その地域でのトップの成績を叩き出し、支部長はやがて本部長となり、今でも、東京の本部にいるそうです。

 この支部長についても逸話があり、とにかく数字を上げるのが得意な方でしたので、幸福の科学にとっては、素晴らしい能力を持った支部長だったのでしょうが、プライベートでは、奥さんが病死をし、子どもたちがまだ母親の死から立ち直れていない内に、すぐにも信者の一人と再婚をするような、人としてはどうか、と思うような人でした。教祖の性格が即ち、職員の姿であると、種村さんのブログにもあったと思いますが、まさに、その通りの人物を、私はかなり前の時期から目撃をし、そして、不信感を募らせていきました。

③教祖への幻滅

 僧団に対しては、かなり初期の頃から見限っていた部分があったのですが、仏や法に対しては、強い信仰心を持ち続けていました。やがて、子の進学を理由に上京をすることとなりました。主の近くへ行けば、より良いものが見られるはずだ。そうした希望を抱き始めましたが、その思いは、すぐにも裏切られることとなりました。

 大川隆法の姿を、その目でじかに見ることは、信者にとっては、とても素晴らしい出来事です。東京に来て、そうした機会が増えることをとても嬉しく思っていたので、まさか、夫婦ゲンカを、法話という形で見せられるとは思ってもいませんでした。嫁の機嫌取りもたまにはしないといけないから大変だよ、という嫌味を言った隆法氏が、きょう子さんに睨まれるというシーンがあり、それが、あまりにもバカバカしい情景に思えて、こんな話を聴くために、信者はお布施という形でお金を取られるのかと憤りを感じました。

 その後、裕太さんの身の回りで起こったいじめの問題。幸福の科学の組織としていじめに立ち向かうのでも、転校という手段を用いるのではなく、目の前で苦しんでいる子どもの一人の親として、いじめを解決することができなかったのか。従来の展開されていた教え、周囲を悪と断罪するのではなく、課題として捉え、解決を目指す方向性と、現実に行われる行動との差異に、首を傾げざるをえない日々が続きました。

 もうその頃には、支部や精舎に出向くこともありませんでしたが、わざわざ退会するまでもないと考えていたので(まだ、三部作を始めとする教えに正当性があると考えていた)、祈りをすることもなくなっていましたが、書籍や本尊などのグッズ類は、まだ床の間にそのままに置かれていました。ただ、そうしたものもすべて、排除したいと思い始めたのは、幸福の科学の政治進出が理由にあります。

 これまで、あくまでも祈りや、信者の行動を通して、世界をユートピアに導くとされていた方向性から打って変わり、近隣諸国の軍事拡大を理由に、日本の危機を煽り、これまで、宗教組織としての立党はないと宣言されていたにもかかわらず、幸福実現党という政治団体を立ち上げ、右翼的な情報を流し続ける。この動きを利用して、信者の拡大、集金マシーンと成り下がる姿に、僧団のみが劣っていたのではなく、そもそもの主体である大川隆法に間違いがあるのだ、と確信しました。エル・カンターレという存在は、これまでの宗教団体が作り上げてきた神の概念の焼きまわしに過ぎず、説かれてきた教えは、仏教やキリスト教などの教えを、現代向けに修正して伝えられていたに過ぎない、と理解するようになり、手始めに植福の会を切ることにしました。月々の千円のお金さえも、惜しいと思ったからです。

 第一党を目指すとして、大々的に行われた選挙活動。我が家にも、支部長自らがやって来て、支持を求めてきましたが、「宗教指導者である大川隆法が、なぜ党首になるのか? ありえないことだろうけれども、議員になったとして、どういった立場で、首相に対して国会質問をするのか? 日本を救えるのは今しかない、とあなたは言いますが、どんな具体的な危機があると言うのですか? ただ、信者獲得のために、かつてのノストラダムスの予言のように、危機を煽っているだけではないのですか?」自宅には決して上げず、ロビーで問答を繰り返しました。支部長に明確な答えはなく、ただ「今を逃せば、日本の未来はない」と繰り返すばかりでした。私も、一人の主婦に過ぎませんが、ニュースを通して、世の中の動きを多少なりとも理解しています。そうした世情の知識を考慮せず、上から言われた言葉だけを繰り返す者に、そもそも政治を担う資格があるのか。案の定の大敗でしたが、そうした結果さえも予想していなかった彼らの判断力に、呆れかえるばかりでした。

④支部と本部へ直談判

 書籍の内容はどんどん幼稚化し、幸福実現党の方針の正しさを証明するために利用される過去の偉人たちの名称。あげく何の証明をしたいのか、芸能人・有名人の霊言を繰り返す。大川隆法、きょう子夫妻の不仲説も広がりつつあった頃、多くの書籍やCD、ビデオ類をゴミとして、捨てることにしました。ただ、祭壇やある程度の大きさがあるグッズ類の捨て方が分からなかったので、夫妻の仲睦まじかった頃の写真集などと共に、支部の前に置いて帰りました。

 やがて、きょう子さんを悪魔として断罪する動きが始まりました。これまでの過去世の定義はなんだったのか。文殊菩薩やアフロディーテなどと称して展開してきた子育て論や、教祖の後継者を産んだ母親の存在を全否定することが、なぜ出来るのか。そして、まるで子どものような年齢の女性と再婚をする教祖の、男としての浅ましさ。ただ退会届を送るだけでは、これまで感じてきた思いが無駄になってしまうと考え、支部に赴き、幸福の科学の組織としての間違いを訴えることにしました。私の訴えを聞き、正当性があると理解したのか、在家の副支部長は泣きながら、自分も辞めたいと何度思ったことかと口にしながら、ただ、主を信じて、その行動や言動を納得するしかない現状を嘆いていました。しかし、信者自身が、大川隆法を理解しようと努力することは、ただ自分自身の心を偽るだけで、何のためにもなりません

 本部にも出向きました。「組織としての運営の甘さは認めるが、主を理解して進むしかない。教えが幼稚化していることは明らかだが、大衆に受け入れられるためには、ある程度、仕方のないことだ。幸福の科学が政治団体を持つことには意味がある。本当に、日本の危機は目前にあるのだから」そう、職員は言って、私を納得させようとしました。
 支部においても、本部においても、信者が共通して抱いている意識は、大川隆法が絶対の存在である、ということ。大川隆法が言う言葉は正しく、自らの信念に照らして、それが間違いだと理解することは、そもそもその信念が間違っているのであり、あなた自身は魔に唆されているのであり、悪魔そのものであるとのレッテルを貼ります。そうした言葉を言われて、泣いている信者の姿を、私はこれまでも多く目にしてきました。そして、捨てたくない純粋な信仰心を捨てざるをえない者たちもいました。

⑤すべてが誤魔化しだった

 今振り返ってみて、この教団について言えることは、すべてが誤魔化しだったのだろうということです。私を感動させた、過去の宗教の教えを現代風にした教義そのものがすべて間違いだったとは言いませんが、幸福の科学が目指したのは、単に、この日本において、最大の宗教団体になるという欲心だけだったということです。個人の幸福が目的ではなく、誰もが抱きうる個人の悩みを入口にして、勢力拡大を図り、この社会を支配しようという、これまでの新興宗教が目指してきたものと、何ら変わりはなかったということです。給料を支払う雇用主である団体を、職員が盲目的に擁護することは、近年、大きく取り沙汰されるブラック企業の問題と近しい構造があるのでしょうが、そうした者の言葉に扇動されて、救世活動であると信じて動いている信者さんたちの思いを推し量ると、とても心苦しくなります。

 今もなお、幸福の科学との関わりを通して、思い悩んでいる方々が多いと思います。恐怖感ゆえに、退会が出来ない方もいることと思いますが、私自身、休眠期、そして退会を果たした後も、特にこれといった不幸には巡り会いませんでした。むしろ関わっていた時期の方が、苦しみが多かった気がします。幸福の科学との出会いは、無駄なお金と時間を費やすことにもなりましたが、様々な人間との関わりを通して、見えてきた本質もあったように感じられ、何もかもが無駄であったとは思いません。そして、この後の人生を笑って生ききることが、この世に生まれてきた意味だと純粋にそう思えるので、苦しみの中にいる方には、その渦の中から一刻も早く逃れて欲しいと思います。


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