2015年5月12日火曜日

(投稿)敵対視・・・KK時代の反省③ 



 
(紹介)


KKでは常に「法敵」をつくり、それとの戦闘を行うことで、内部を引き締め信者の忠誠心・信仰心を高めようとします。法敵がいなかったのは、初期の3年ぐらいでしょうか。その後は、常に法敵をつくっていたと思います。よく考えれば、これは今の中国や韓国と同じです。共産主義国は常に敵を「敵」をつくることで、自由を制限する一種の戦時独裁体制を維持していました。KKもそれとよく似た組織文化を持っていると、Wさんは気が付きました。その組織文化は、教団にとっては組織内の不満のガス抜きであっても、信者のものの見方に深い影響を与えます。その危険性に気づくことが脱却の第一歩だと、Wさんの投稿は教えてくれていると思います。

 

(投稿)KKの行動を邪魔するものは全て敵」という思考

 
私がKKにいた時にも、多くの「」と言われる存在がありました。

それは創価学会であり、講談社であり、他にも多くの敵がありました。

これらは「法敵」であると教えられました。

そして私は他の会員さんと同じく、それらを敵視していました。

講談社への抗議デモにも喜んで参加しました。

講談社に対する嫌がらせファックスも何度かしました。

そこに喜びを感じていたと思います。

 

今にして思えば、それは一種のガス抜きであったと思います。

組織内の不満等から眼をそむけさすために

外部にを作ることは、日本の周りの国でもあることです。

だから、KKの内部的な不満のガス抜きのために、仮想敵は必要なのでしょう

だから今でも、それはKKに必要なはずです。

種村さんを始めとして脱会者たちは法敵なのでしょう。

 

それは危険な刃物のような意識であったと思います。

熱烈信者である父は、母親に対して、「これ以上、活動の邪魔をする事は許さない」と言った時があります。

私の娘が幼い時でした。何気に、娘が私の母親を家に呼びたかったので招待したのですが、母はなんだか寂しそうでした。

後から父親から事情を聞いて、そんな事を言ったと分かりました。

 

KKの行動を邪魔するものは全て敵」という考え、

そこに受容も寛容も肯定もありません。

ただ「倒すのみ」という、地獄的な考え方でした。

家族であっても、敵視するようになります。

今にして思えば、愚かな考えをしていたと思います。

 

KKに与えられた「」にこもって、全てを「」とみなす。

そんな状態であったと思います。

ここから抜けだせたのは、家内の存在・愛情があったからだと思います。

だから私は家内を決して裏切らないと決めています。(W)

 

(お願い)

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