2014年6月20日金曜日

修行における他力依存・・・K会のシミをとる⑤


他力依存の傾向


修行における他力依存的な傾向は、K会で染みついた心のシミの一つです。
 

会員の時代に、支部や精舎に行けば何かが与えられるので、それを受講したり祈願に参加したりすれば修行していると思いこみ、そこで受け身的に何かを与えられるのを待つという傾向性が身につきました。

 
その結果、本当に意味での自助努力の姿勢が希薄になりました。

 
本当意味の自助努力

 
本当の意味の自助努力・・・。それはこういうことではないかと思います。

 
自身の心の課題に日々の中で気がついていて、それを変えていく目標を立て努力をすることではないでしょうか。特にその過程で壁を感じたら、それを乗り越えるために問題意識をもって主体的に努力する姿勢が、自助努力だと思います。

 
OR氏の教えにも、「自己変革への意欲」という言葉はあります。しかし日々自己変革の課題を自覚して向上に取り組み、自分から求めていくという姿勢が、不思議なことに希薄になっていきました。

 
消えた理由

 
どうしてK会にいてそうなったかと考えると、一つ思い当たることがあります。K会では、教えの実践も、活動のイノベーションに連れてコロコロ変わり、継続性をもちません。

例えば反省という教えも、反省を重視した当初は盛んに取り組みましたが、大伝道の時に反省するとブレーキになるので、発展が叫ばれて反省はかえりみなくなりました。反省を重視して説く講師は「時代遅れ」と見なされる雰囲気が出てきました。

さらに顕著なのは、OR氏が離婚騒動をおこすと、家庭ユートピアの教えは異端視される雰囲気が教団内に蔓延しました。そのだいぶ前から、夫婦の調和や家庭ユートピアを強調すると「伝道活動の妨げになるから困る」という波動を露骨に出してくる支部長がいました。それが教祖の離婚で決定的となり、「今世はエルカンターレのために家庭をないがしろにしても仕方がないのだ。主のお役にどれだけ立つか、これこそが大事なのだ」「夫婦が信仰の理由でうまくいかなければ、いつでも別れていいのだ。それは信仰深い行為なのだ」という雰囲気が蔓延していきました。
 

結局、教祖や教団の事情によって、そのつど教えが実質的にコロコロ変わる中で、自分自身が主体的に心を向上させるテーマを発見して日々主体的に努力する姿勢が欠落していきました。そして上からの指示があったときに、そのテーマにだけ取り組むという習慣が染みついたと思います。
 

日々の心の姿勢

 
誰かから、もしくは何かから、自分が与えられるのを待つという他力依存傾向は、心の修行にとっては間違っていると思います。

自分が問題意識を持ち、自分でできる努力を常におこないながら、さらに自分の問題や心の壁について大いなるものの導きを求めていくという姿勢が必要だと肝に銘じています。そして日々その姿勢を持たなければならないと感じています。
 

その為の努力として、今心がけているのは、潜在意識の深いところにある「本当の自己」が自分に要求しているものや、顧客が要求している自分の在り方を見抜く努力をすることです。

また、他者から指摘されたことをどうとらえるかを深く考えようと努めることにしました。それが意味するものは何か、どういう心の問題につながっているのかを、日々自分に問いかけないといけないと思う毎日です。

 
「他人の過ちは見やすく、己の過ちは見難い。他人の罪は風のように四方に吹き散らすが、己の罪は、さいころを隠すように隠したがる。」(法句経)

 
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