2014年3月31日月曜日

(投稿)脱会者からのメッセージ・・・K会にもはや光の磁場は存在せず 


ある幹部の破門から始まった疑問、そして私は自ら脱会  


脱会のきっかけ

OR氏は、弟子が必死で実践、反省し悟りへ向おうとするのを支援できませんでした。それどころか、霊道の禁止を出していました。

これは、仏陀の非証明です。

年数が経るにつれ、信者が霊力を持つのを恐れたと思います。偽者であると見破られますから。

種村さんの破門報告を支部に張り出していましたが、それを見たときに私は、種村さんへの妬みの心を霊的に感じ取りました。その時に、悟りや霊的な力を有する人が邪魔なんだ、と痛切に感じ取りました。

そして、支部長に破門はおかしいのではないですか?と聞いてみたのです。

すると回答は、

 
  部長:「許されていない修法(祈願で行なうもの)を、信者を集めて行なって

いた」

  私  :「その修法ができるのは、凄いことではないのですか。普通の人で

はできないのですよ」

  支部長:「先生の指導のないところで、行なうのは不完全で信者を危険にさら

している」

  私  :「実際に見たのですか(経験したのですか)」

  支部長:「信者が先生の修法を行なうのは許可されていません」

 

  部長:「ミニ教祖化しようとしていた」

  私 :「あの人はそのようなことはしませんよ。ただ悪霊の憑依から救って

いただけでしょう。」

  支部長:「これは、周囲多数の信者からの告発です。これは事実です。」

  私   :「本人に確認したのですか」

  支部長:「それ以上の具体的な事は、私には報告されていません。」

 

  部長:「既に悪魔に入られている」

  私 :「ORの一番弟子ですよ。私は大阪で講義講演を聞きましたが、明らか

に霊道を開いて説法していました。 その時に悪魔には入られては無か

ったですよ(もしそうなら悟って間がないときの方が入られやすい)。

 ですから、それは考えにくいのですが。」

  支部長:「週刊誌で批判していたでしょう。」

  私   :「事実をブログ等で調べてみます。」

  支部長:「魔に入られるから絶対に見てはいけません。とにかくこの件は、無

視して忘れて下さい。私もそれ以上の詳細は解らないのですから。」

  私   :「解りました。以降、もうこの話は致しません。」

  私の心の中:「魔に入られる? だって、支部も精舎も今や魔だらけではないか。

私も支部長も時折、魔にのたうちまわっているではないか。今更、魔

に入られるから危険も何も無いでしょう。」

というようなものでした。

 
しかし、私はその時の張り出しの回覧から妬みの心が見えましたし、何故か腑に落ちなかったのです。

それから、絶対に見てはいけないといわれたアンチや種村さんのブログをあさるように見て行きました。

又、活動をしてきた自分の過去や教祖への振り返り、組織への振り返り、周囲の人への振り返りなど、様々な反省を行なっていきました。

そして、脱会していったのです。
 

チェックポイントは簡単です

K会の悪魔悪霊のいる環境では、人の人格は代わっていきます。元居た支部の方でも過去純粋で素直さがあった方が、他人の悪口を言い、顔つきも変わり、口を開けば剣があり、お決まりの上目線と裁きです。そして、お金集めに走っています。支部長は、顔を合わせればお金の話しばかりで、祈願で修法を行なえば、悪魔波動が飛んでくる。

 
ある支部で、悪霊撃退祈願をしていた時、小悪魔が寄ってきていました。いざ修法を行事ようとしたその時に、本尊の横から光が射してきて信者を護られた高級霊がおられました。

天上界の高級霊で、信者をK会から護っておられる方々が居られます。

信者がそのまま死後に地獄界に赴くのを生きている間に防いでおられるようです。

 
ORの初期の法で、阿羅漢の悟りの段階において、霊道を開くところまでは可能です。しかし、悟りの質は、単に自我我欲を封じ込めるのが中心の教えになっていて、直ぐに限界がきます。

怖いのは、ORの教えで霊道を開くということは、悪魔に入り込まれるということと、ほぼイコールになってしまうのです。

未だに脱会ができないでいる信者は、ORの法の本質を見抜くところまでの法の実践や現実を見つめた反省ができていなのです。だから組織の誘導をいつまでも信じているのです。そんなに難しいものではないのです。
 

要は、この活動をしてきて、幸福になったか否かです。

経済が発展したか否かです。

自分の周囲に人が集まってきたか、離れて行ったか否かです。

自分の心が豊かになっていつも喜びで溢れているか否かです。

人を裁くようになったか、許すようになったか否か。

人の苦しみが自分の苦しみのように感じるか否か。逆に喜びも同様です。

自分を全て、他人も受容できるようになったか否かです。

そして、自分と他人は全て繋がっていて、自他一体であると感じられるようになったか否かです。

それは、自分の愛が大きくなったか否かなのです。

 
私は、脱会した後の方が、愛が大きくなったと自覚しています。会員だった時と違って、かなり優しくなった自分がいます。

 
脱会するかどうかの判断は、簡単なことなのです。

しかし、そのわずかな気づきでさえ否定し、K会に居続けるなら、魂としてのゆく先は悲惨であると、思った方ほうが良いと思われます。

 
そうならないように、天上界は救いの手を今、そこにここに、今日に明日に将来に、差し伸べて下さっています。

今一度、K会を含めて、今までの人生全てを白紙の目で、見て欲しいと思います。

( 天上の神様、信者の方々に、ほんの少しの勇気をお与え下さい。 )

                                     以上
<希望のブログのご案内>
心理学の専用ブログ「希望のブログ」を設けています。

下記からアクセスください。


 


0 件のコメント:

コメントを投稿