2014年1月15日水曜日

(投稿)洗脳解除そして脱会へ②



四正道(愛・知・反省・発展)の崩壊(2)・・・K会の裁判に想う

 (前回に続き、投稿の第2回目です。)
 

  知は我欲によって様々な方向へ誘導する元になる

 
「知」というのは「正しい真理を学ぶ」ということです。何の為に知が必要かといえば、正しい生き方をする為に善悪の基準やこの世とあの世の真実を知ることが大切なのです。K会の中核をなすのは愛の発展段階における次元構造論です。私はこの教えは誤っていると思っています。

(注:本ブログの「脱会者からのメッセージ愛の発展段階説を検証する」①から⑥を参照)
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_18.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_2938.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_20.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4247.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_21.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_22.html

菩薩を目指す会員は、7次元菩薩界が目標です。7次元は菩薩の世界だと教えられています。私が信者の時は、この世界を目指して書籍を購入し必死で布教や伝道活動をしてきました。祈願をし、研修にも参加しました。やがてこの活動は信者を苦しめる営為に変貌していきました。何故なら、支部から毎月ひどい目標数値が降ろされるようになったからです。毎月結果を求められるようになったのです。

それでも現実生活が破壊されるまで活動を止めなかったのには、理由がありました。

一つは、仏の教えで世の中を救済したかったこと(仏弟子としての自覚)。

一つは、菩薩になりたいという我欲が潜在していたこと。

一つは、仏を裏切ることは、大罪であると信じていたこと(和合僧破壊の罪)。

他にも色々ありますが、全て潜在我欲に通じます。
 

K会で真剣に学んだことが実践する為の指針になります。K会の教えの中で正しい教えはあります。しかし、教祖の心境が我欲の方向へと変貌したならば、法の解釈、使い方によって、全く違う方向へと誘導されてしまいます。これは法が誤っていたり、不完全な証拠なのです。脱会した信者を悪魔視するのもその現われです。愛を説くならば、道を外したと思われる信者には、今まで以上に愛をもって接するのが愛の教えのはずです。「敵と見えし者の中に仏性の姿をみる」というような教えはどこに消えたのでしょう。

それがすり替って、個人に対して霊言を出版し、その方の社会的な名誉を傷つけて、謝罪もせず、裁判で更に抗弁を続けて自分を守ろうとする。これが、「積極的な悪に対して正義の剣を振う」行為なのでしょうか。その為ならば、布施も返還しない、人の名誉を毀損しても裁判で戦う行為は、7次元の許す愛に反しています。(実際は、彼らこそが許して頂かないといけない立場でしょうね。)

原因は、問題の霊言にあるのです。偽降魔像、偽来世幸福物にあるのです。(偽物である証拠に、御本尊をのこぎりで切り、金槌で叩き割っても何の罰もあたりませんでした。)原因は教祖自らが創り出したものなのです。

 
よくよく考えて欲しいのは、学んだ教義故に自分を苦悩苦境に縛り付けていないかということです。私がそうでしたから。
 

  相手を理解し和解する反省ができないのは、法がバラバラだから

 
根本経典『正心法語』に「相手に対して理解をし、自分に対しては反省せよ」という一文があったと思います。今回の名誉毀損裁判、布施返還訴訟において、自分の非を認めず、徹底的に相手を打ちのめそうとするK会の姿勢を知り、根本経典は嘘であったということに改めて気づかされます。何が嘘かといえば、それを実践しようという精神が一番に嘘なのです。裁判に持ち込まないと決着がつかないということは、「反省をして、相手と和解することが大切」という教えは、嘘だったということです

これは、今回の種村ブログによる名誉毀損裁判、布施返還訴訟の事実の報告によることではっきりとした事実なのです。

 
脱会者に対する悪魔視も同じです。悪魔視をする信者は、自分が悪魔視をされ、陰で悪口を言われ続けられたのなら、どのような気持ちになりますか。これが解らない、これに気がつかないということは、反省ができていない証拠です。教義では、誰しもが仏性を宿していると教えられているはずです。又、「地獄界の解消も仏の使命」と教えられているはずです。与える愛の教えはどうでしょうか。誰に愛を与えるのでしょう。

恐らく信者はこういうことを考えると混乱すると思います。つまり、法が都合よくできているのです。悪魔とは戦わなければいけない、悪魔には近寄ってはいけない、仏性は全てに宿っている、基本教義の法の根底は与える愛、敵の中に仏性を見る、和合層破壊は大阿鼻叫喚堕地獄、菩薩は許す愛、・・・・というように、あちらには愛、こちらには正義、そっちには悪魔、向こうには菩薩というように理路整然になっていないのです。要は法がバラバラで矛盾しているのです

四正道の根底が愛ですが、実態は、愛ではないのです。大阿鼻叫喚地獄に落ちるのが愛ではないはずです。これは、明らかに裁きです。仮に落ちる人がいても許すのが愛なのです。それが仏の大悲というものでしょう。

裁判をしなくても和解するのが、人間としての愛でしょう。

裁判を多発し、提訴もされるということは、愛の実践ができていないということです。

裁判で、必死で法を曲げても抗弁するのは、自己保身という我欲と裁きの心です。

こういった事実に信者は、勇気をもって目を向けるべきです。
 
(次回に続く)

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