2013年12月7日土曜日

名誉棄損裁判 判決文⑤



「判決文」(5)

3 争点に対する判断

(1)別表「番号」欄の記載①について

記載①は、被告大川が本件霊言方式により舎利弗となって、幸福の科学の会員と対話した形式で記載しているが、上記のとおり、守護霊の霊言が真実であると一般人に受け入れられているとは認められないことからして、一般の読者は、記載①における舎利弗の発言部分は被告大川が舎利弗という形式で自らの意見を記述した部分であると判断するといえる。そうすると、一般の読者は、記載①には、原告と教団の関係についての被告大川の意見・推論等が記載されている判断するということができる。

原告は、記載①は、原告が権力欲が強く自己中心的な人物であるとの印象を一般の読者に与えると主張する。しかし、上記(2)記載の本件書籍の特徴からすれば、一般の読者が普通の注意と読み方をした場合、本件霊言方式をとった記載①の内容が事実であると直ちに受け止めることはないということができる。したがって、記載①によって原告の社会的評価が低下したとは認められない。

(注:ここでいうところの「記載①」を下記に掲載します。)


<別表「番号」欄の記載①・・名誉毀損該当部分一覧表より>

  判決文で「別表」といわれているのは、「名誉毀損該当部分一覧表」のことです。実際には『舎利弗の真実に迫る』のほぼ全部が私への名誉棄損箇所なのですが、裁判の進行上、ごく一部をかいつまんで一覧表をつくらざるを得ませんでした。

この表作成に当たっては、あるアンチの方が協力してくださり、膨大な文書を作成してくださったのですが、弁護士の判断でごく簡略化されたものになりました。この場を借りまして、ご協力くださった方に、心から感謝を申し上げます。

 第1の争点に関わる部分(記載①)を掲載します。この表は、「名誉棄損の該当部分」と原告の主張」と「被告らの主張」の3部構成になっています。

 <記載①>(注:過去世認定に関連した内容)

1.「名誉棄損の該当部分」


岩 本:教団の初期に高橋信次によって過去世リーディングが行われ、その際、今回除名された者(種村修氏)があなた様であるとされましたが、これは事実でございましょうか。(23頁)

舎利弗:大変残念ではございますけれども、事実とは異なっております。(24頁)

岩 本:今回除名された者は(24頁)

舎利弗:拝火教徒であったように思います。(24頁)

舎利弗:除名された、その者が、今、いろいろと動いているようでありますけれども、「過去世が『釈迦の片腕』であった私が、まだ存命しているのだから、私が教団の正統な後継者だ」という名乗りを上げているのではないかと推定されます。(28頁~30頁)

舎利弗:ところが、その者が自分を中心に物事を考えておりますと、「教団のほうが悪いのだ」という考え方に至ることになります。そして、「教団自体が邪教化したのであって、本来、中心に座るべき自分が、中心に座っていないのがおかしいのだ」というように、自己中心的に考えているのだと推定されます。(28頁~30頁)

舎利弗:そのため、だんだん処遇が悪くなっていき最後には還俗になったわけですが、その後、いろいろな事業に手を染めたり、ほかのところに勤めたりしたけれども、うまくいかず、今、雇用情勢も非常に厳しい折、「生活に苦しんでいる」というようなこともあって、逆に、かっての過去世認定に関し、「そう言った方に責任がある」というようなことで、ある意味では、教団に対してブラフ(虚勢)をかけているのではないかと思いますがね。(28頁~30頁)

舎利弗:だから、その除名者の過去世認定の部分については、やはり、削除していったほうがよろしいかと思われます。(51頁)

 
2.「原告(注:種村修)の主張」

 原告自身が、その過去世を「舎利弗」であると称して、自分こそ教祖になるべきだと言っているような記述内容により、原告が、権力欲の強い自己中心的な人物との印象を一般読者、信者に与えるものであり、原告の社会的信用、名誉を毀損する。

 当該部分の記述内容は、誰もが簡単に理解できるものであり、宗教論争ではない。
 

3.「被告(大川隆法、幸福の科学出版㈱)らの主張」

 当該部分は、訴外高橋の霊によって原告の過去世が舎利弗であるとされたがその内容は真実ではないとの意見を語る記述である。舎利弗等の用語の意味は、「一般人の普通の注意と読み方を基準として」理解困難な記述であり、その主たる内容は宗教論争であるから法律上の争訟の対象ではない。

 
4.私の見解

 舎利弗の過去世に関しては、私はこのブログで何度か取り上げました。私は自分が大川隆法氏に「舎利弗」だと認定されたことに対して、大川氏への手紙の中で、自分は未熟であるのでそのような過去世は真実だとは思わないが、励ましの言葉であったと受け止めるという旨を書いて送っていました。ですから、この本で「舎利弗」なる霊が言っていることは、完全にでたらめであることは明白なのです。このことはすでにブログで公表しています。

 参考までに、私がブログで書いた関連個所を掲載しておきます。






 

1 件のコメント:

  1. 読者からメールでいただいたコメントを掲載させていただきます。
    (読者からのコメント)

    判決文を読みました。
    教祖自身が舎利佛(の霊言)という形を取れば法律で裁かれないとは不思議な判断だと思います。
    書籍は一連の流れですので、部分的な所だけの抜粋での判断は、裁判上の判断に限界があると思います。
    書籍1冊で誹謗していますので、抜粋させるのはどうかと思います。

    抜粋した箇所をいきなり読めば、一般の人どころか、信者さえわかり難いと思います。 
    書籍1冊での誹謗なのに抜粋とは、おかしな裁判と思います。
    又、抜粋している箇所においても誹謗中傷しています。

    裁判官は「一般の人」には、内容が解らないとしています。
    そして、霊言方式で舎利佛を教祖の中にいれて語っているというのは事実上、認められないとしています。
    ですから、教祖が舎利佛という形をとって、意見していると判断しています。
    となれば、教祖の霊言は偽霊言ということになってしまい、数十年、信者を騙してきたことになります。

    教祖は手をクロスにしたりして、霊を自分の中に入れるしぐさまでしていて、外からみれば、今正に霊が話しているというように見えます。
    教祖は霊になりきって質問形式で話しています。
    それが本件の書籍にもなっています。
    これを信じるか信じないかは別問題で、裁判官の判断は霊言ではないということになります。
    判断するものが、信じないという意思があるから、裁判上、意見になっていますが、本当に霊言か否かは証明できないのです。
    この裁判官は本当の霊言であったとしても霊言でないと主張することになるのです。
    ですから、一方的に「一般の人」は信じないと決め付けているのです。
    しかし、信者以外の人でも信じている人は居ます。

    又、教祖が霊に成り代わって霊言して、霊言として出版していますが、これを本人が意図的に成り代わっていると判断していますので、霊言というならば、霊言は教祖の妄想になります。
    教祖は、信者に霊言シーンを事実、今現在の霊言として見せていますから。
    この判決は、教祖の妄想を指示していることになります。
    妄想で意見として、誹謗するのは許されると。
    つまり、想像の世界で特定の人に対して、人物像を勝手に創りだして、霊言という形を取れば、世界中の誰に対しても誹謗中傷しても許されることになってしまいます。
    これは、非情に恐ろしいことです。
    K会の敵、信者の敵として、信者が思い込めば、どこかの国のように神の為なら命までも・・・というようになりかねないのです。

    妄想者の意見として、人物像を勝手に創りだして、霊言方式で誹謗抽象し、信者や一般人にどのようなことでも公開し信じ込ませても法的に問題なしと判断したのです。
    こんな恐ろしい判決を下すのは怖いです。
    一番良いのは、教祖の霊言が本物か否かを証明する為に、教祖の神通力を証明して頂ければ良いのです。
    その方が、信者方々も納得すると思います。

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