2013年12月26日木曜日

名誉棄損裁判 判決文⑨



「判決文」(9)

(7)  別表「番号」欄の記載⑤について

 本件書籍(注:『舎利弗の真実に迫る』)105頁には、記載⑤「該当部分」の末尾に「(会場笑)」の記述があるほか、以下の記述がある。

 種村守護霊:君、いやねえ・・・。

 斎藤:イエスかノーか、どちらでしょうか。

 種村守護霊:嫌なやっちゃなあ。これ、悪人だろう?

 斎藤:(笑)いや、悪人ではありません。ただ、事実を申し上げています。私は事実しか申し上げていません。

 記載⑤を閲覧した一般の読者は、記載⑤には被告大川が、原告(注:種村修)を、学生時代は貧乏学生で、家賃を滞納し、大学を中退していると認識しており、また原告は反省が苦手であるとの被告大川の意見が記載されていると理解するということができる。

 原告は、記載⑤は、原告が貧乏学生で家賃を滞納し、大学を中退したような人間であるとの印象を一般の読者に与えると主張する。しかし、上記記載は、斎藤が種村守護霊に対して質問する形式をとり、斎藤が「二者択一でどうぞ!」と質問した後、その場にいた者が笑っている形式がとられていること、斎藤の「ただ、事実を申し上げています。私は事実しか申し上げていません。」との発言は笑いながらなされている形式がとられていることからして、一般の読者は、記載⑤の箇所に記載された問答が事実を適示してなされた問答であるとの印象を持たないと認めることができる。また、上記(2)の本件書籍の特徴(注:種村の分派活動に対抗して出された本であるとの「被告大川ら」の主張をさす。これは「被告大川ら」の一方的な主張に過ぎない)からして、一般読者が記載⑤を読むことで、ただちに原告について指摘された事実を信用するとは認められない。

 原告は、記載⑤は、原告が反省できない人間であるとの印象を一般の読者に与えると主張するので検討する。記載⑤の「該当部分」で里村の発言として「あなたのことをよく知る人からは、「種村さんは反省のできない人だった」と聞いています。」と記載した部分があるが、当該発言部分の記載は伝聞形式をとったものである上、「反省できない」との抽象的な評価が具体的な事実の摘示もなく記載されているに過ぎない。加えて、本件霊言方式がとられていることからして、一般の読者が、普通の注意と読み方をした場合、記載⑤の内容が事実であると直ちに受け止めることはないということができる。

 したがって、記載⑤によって原告の社会的評価が低下したとは認められない。

 
<記載⑤>名誉棄損 該当部分

斎藤:例えば、先ほど「貧乏学生」と言われましたが、学生時代にお金がなくて貧乏だったのは、ご本人様でありまして、なんと、家賃を滞納し、大学は中退だったそうですが、どうですか。事実か事実でないか、二者択一でどうぞ!(105頁)

斎藤:家賃を滞納していて、結局、大学も中退というのは非常にまずい展開ですね。

種村守護霊:き、君・・・・。きつい。きついな。妻からは「禁治産者」と呼ばれたわけでねえ。(108頁)

里村:ただ、問題は、「智慧第一」と言うところの仏教の智慧とは、「八正道」の反省から生まれるものであるにもかかわらず、あなたのことをよく知る人からは、「種村さんは反省のできない人だった」と聞いています。

斎藤:そうですねえ。

種村守護霊:いやあ、まあ、それはねえ。「生長の家」っていうのは天狗集団だから、基本的には、もう、「生長するしかない」わけだからして・・・。(111頁)

里村:反省が苦手でいらっしゃるわけですね。

種村守護霊:そんなのできるわけないじゃない?(112頁)
 

<被告らの主張>

 当該部分については、(A)原告が貧乏学生であったこと、下宿の家賃を滞納していたこと、大学を中退したとの記述、(B)仏教の智慧とは「八正道」の反省から生まれるが、原告は反省が苦手であったことを原告の守護霊が認める記述が存在する。

(A)につき、年収や資産額などの具体的事実の摘示を欠く抽象的な評論によっては、原告の社会的評価は低下しない。

(B)につき、「八正道」とは仏教の反省修行の方法であり、原告の宗教行為に対する被告らの意見表明にすぎず、宗教論争であるから法律上の争訟ではない。

 
<原告の主張>

 原告が貧乏学生であり下宿の家賃を滞納し、大学も中退した事実や原告は反省もできない人間であるかのごとき印象を与え、社会的評価が低下している。

 被告ら主張の(A)につき、当該記述の前後の記載を踏まえると原告が家賃を踏み倒したと読めるし、大学を卒業した者と比較すれば中退した者の評価は一般的には低いため、社会的評価は低下する。

 被告らの主張(B)につき、宗教的言葉を一つでも使えばすべて宗教論争となるとするのは不当であるし、反省という言葉は、宗教的な特殊な用語ではない。反省ができないということは、人格的に問題があると言っていることにほかならず、原告の社会的評価を低下させる。


<感想>

私は明らかに事実について書かれている個所まで、判決文が「事実の摘示ではない」としたり、「反省できない人間だ」という決めつけが「社会的評価を低下させることはない」というのは、一般社会の常識とは程遠い判断と思います。霊言形式さえ取れば、しかも、あまり細かな事実を詳細に書きさえしなければ、どんなに相手の人格を貶めることを書いても名誉毀損が適用されないとする判決文は、幸福の科学の社会悪を増長するのみならず、同種の言論を誘発すると危惧しています。霊言という形式さえ取れば、どれほど相手を罵倒しても、法的に罰されないのですから。きっとこの種の不法行為は増えると思います。幸福の科学の不法行為にお墨付きを与えた判決であることを、しっかりと覚えておきたいと思います。この判決の効果として、さらに大川隆法氏は品性を低下させるきわどい発言を繰り返すようになり、幸福の科学出版株式会社は、そうした社会を害する本を安心して出し続けると想像しています。

この判決を出された裁判官は、以下の方々です。
裁判長裁判官 小野洋一
    裁判官  國分隆文
    裁判官  中村雅人
     
なお、私は幸福の科学内で京都大学中退の事実を隠したことはありません。生長の家の活動を続けるうちに、学問の関心領域が変わってしまった事と、左翼学生に妨害されて大学へ通えない時期が続いたこと、さらには生長の家本部から奉職のお誘いを頂いたのが、中退の理由です。

 家賃は京都では滞納したことは一度もありません。1年間、京大を休学して東京の生長の家本部で学生部の幹部としてボランティアをした時に、休学中の仕送りを受けられず、また無給での奉仕だったために、生長の家の信者の大家さんに理解を求め、支払いを待っていただきました。生長の家に奉職して間もなく、全額を支払いました。そのような事情がありましたので、この家賃滞納は特に恥じるようなことはないと思ってきました。


 反省できないかどうかは、私のブログを見て判断いただければ結構です。反省の根本には正直を尊ぶという姿勢が必要だと思います。K会にはそれがないのではないかと思っています。
  最後になりますが、私は離婚した妻から「禁治産者」呼ばわりされたことは一度もありません。こうした虚偽を書いて私の人格を誹謗しても、私の社会的評価が低下せず名誉棄損に該当しないとの判決は、私の理解を超えています。

<希望のブログ>
カウンセリング専用のブログはこちらです。
http://tanemura2013.blogspot.jp/

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