2013年9月21日土曜日

依存性人格障害の視点から⑨ ・・・依存と自立


 
良い依存と悪い依存


依存そのものは悪ではない

私は依存性人格障害をテーマに論じていますが、依存を決して悪いとしているわけではありません。人間はお互いに支えられ生かされて存在する社会的な存在ですから、依存が全くないということはあり得ないと思います。

人間意は依存と自立という二つの心が、ともに存在しています。時期によっては、依存が強かったり、自立が強くなったりします。どちらかが完全に無くなる状態はあり得ないし、もしあったらそれは不自然だと思います。

問題は、大人になっているにもかかわらず、依存傾向が過剰になり自立とのバランスを大きく欠いてしまうと、人格障害とみなされるのではないでしょうか。

ですから、このシリーズではネガティブな依存について論じていますが、依存にはポジティブな依存も当然存在していると思います。どうしても必要な依存はあります。例えば赤ん坊が依存してくれなかったら、その子は死にます。恋人が自分に依存してくれなかった、「自分は必要とされていない」と感じてむなしいのではないでしょうか。病気で倒れた親が子供の世話になることを拒んだら、子供は悲しむでしょう。「世話をさせてほしい、もっと自分に頼ってほしい」と思うはずです。どんな社会的に評価されている人でも、伴侶の褒め言葉がないと元気が出ないのではないでしょうか。それらは依存ではありますが、それがないと人間関係がうまく回らないし、愛が循環しなくなります。

 

良い依存と悪い依存

依存そのものは悪ではありません。悪いのは、自立とのバランスを大幅に欠いたり、依存することでお互いの向上が妨げられたり、愛の循環が止まるような依存ではないでしょうか。依存によって、ある人や団体に縛られて、自由を失っていく状態があれば、それは悪しき依存だと思います。何でも人に頼って、自分の力を出せなくなっているのも悪しき依存でしょう。

時期によっても異なります。幼少期には完全な依存状態ですが、この時に十分に依存できて十分に愛されたという経験が、人生の心の安定の基礎となります。この時期に十分に依存できた子供は、逆に自立が早くなります。

人生の最初の時期に、虐待や育児放棄にあって十分な依存ができないと、大きくなって依存性人格障害になりやすくなります。依存したいという気持ちが、抑圧されているので、無意識にそれが出てくるのです。

神への信仰も、苦しい時に神に依存するという気持ちが生まれるのを否定することはできないと思います。ある面これは信仰の一つの側面であると思います。神と人が親と子の関係にあると思われる以上、神への依存心がゼロということはありえないように思います。
しかし、依存するだけの信仰は片手落ちだと思います。神の言葉を実践し、少しでも人を幸せにするという側面が信仰にはあるからです。

 依存性人格障害として問題にしているのは、自立とのバランスを欠いた依存や悪い依存であることをお断りしておきたいと思います。

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