2013年9月3日火曜日

依存性人格障害の視点から②・・・体験


依存性人格障害を見つめる




 
宗教における依存

 K会(幸福の科学)では教祖への絶対の帰依を説き、教えと教団への帰依を説きます。それに従ううちに、教祖への盲目的な信仰が生まれ、自分自身の判断力を失う場合があります。

 教祖は自分の奥さんを政党の党首に任命し、サッチャーに匹敵するほどの力を持つ夫人だと持ち上げました。そのしばらくすると、奥さんはユダの生まれ変わりであり教団を乗っ取ろうとする悪魔であるとして永久追放しました。

 私は選挙の時は党首の奥さんを支援し、離婚追放劇の時は熱心に教祖を支持しました。その行動に矛盾を感じていませんでした。教祖の指示に従うことにおいては一貫していたからです。

 しかし、じっくり考えると、教団から追放せねばならないほどの奥さんを党首にして国の政治をゆだねてもいいという判断は、やはり分裂し狂っています。もし狂気でないなら、使い捨てのように利用し、利用価値が無くなれば捨てるという狡知によるものだったのでしょうか。

 以前の私は教祖の判断に依存してしかものが考えられなかったと思います。だからその判断の異常性に気が付けなかったのです。盲信は強度の依存に他ならないと、今にして理解できます。「理解しなくてもいい。ただ私に従ってください。」という教祖の言葉は、信者を教祖に強く依存させ、盲信を生む源になるのではないでしょうか。

 

依存心と向き合った体験

私は自分自身の依存心と向き合うために、このブログで「依存心と向き合う」全17回の連載を書かせていただきました。(初回は下記のブログです)


 
 そこでわかったことは、宗教への依存は極めて深い問題があるとともに、その原因はそれ以前から抱えており、その問題に向き合うことをしないと、突破口が開けないということでした。また宗教を辞めたからと言って、依存心が消えるわけではありません。別の形で依存心が残るので、それとも向き合うことが必要だと知りました。

向き合うことは克服の第一歩でしかないかもしれません。ですが、少なくとも赤裸々に自分の依存心と向き合うことで、無意識のうちに依存心に支配された行動をすることは抑制できます。つまり自分でコントロールができるようになっていくのです。

そこでこれから、依存性人格障害に関する心理学の見解を軸に、これからしばらく、この問題に向き合っていきたいと思います。
(第3回目はこちらへアクセスください)
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html


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