2013年7月9日火曜日

依存心に向き合う③


依存心理の実態


依存対象を求める
 私は実家のある滋賀に帰りました。しばらくして母が病気で倒れたのを機に、私のことで母にストレスがかかったのではないかと思い、近江八幡市の借家に移り住みました。

考えなければならないのは、次の就職のことでした。しかし、自分の精神的な部分を立て直さない限り、前には進めないと感じていました。その時にある職員の紹介で、K会の信者でヒーラーの人に出会いました。私の心理状態を見抜きながら、適確なアドバイスをくれる方でした。私の喪失の悲しみを感じ取り、あるクラシック音楽を聴くように勧めてくれました。不思議なもので、その曲を繰り返し聞いているうちに、どうにもならない悲しみが引いていくのを感じました。

それをきっかけに、その方への心理的依存が生まれました。「仕事はしなければならないけれど、今のあなたの状態では仕事にはつけない。まず心を立て直さないと次に進めないのではありませんか。」と指摘され、その通りだと思いました。そこで集中的に反省し自己変革するために、札幌に移り住み、しばらく自己変革に取り組むことにしました。

こういう時期は、非常に危険な時期だと思います。うつ状態でしかも依存心が強くなっているので、正しい判断ができず、間違った方向へとひっぱられることが往々にしてあります。札幌には3か月ほど滞在しましたが、結果的には私の心の傷を深めることになりました。霊的な現象も数多く体験したので、この世離れしていきました。内面を見続け反省するので、私自身もずいぶん霊的になりました。

もっとも悪い面だけではありませんでした。自分の心の傾向性の問題点に気が付いたからです。私は自分より上位の方から学ぼうという気持ちが強すぎて、ヒラメのように上にだけ目が付いていて、横や下には目が向かないとい欠点がありました。それが人への関心の欠如、ひいては愛の欠如となっていることに気づかされました。

札幌での経験は、隔離型の洗脳ではないかという疑念を持たなかったわけではないのですが、自分の問題点に気が付かされ反省をした実感があったので、全部は否定できませんでした。また自分の選択が間違っていたと認めることはプライドが邪魔をして困難でした。そこで自分に都合の良い物語を作って、自己を正当化していました。
 いずれにしても精神的に依存できる対象を無意識的に求めていたのと、自分一人では心の変革ができないとの思いから、引っ張られたと思います。

 洗脳においては、それまでの自分の間違いを認めると、自尊心が崩壊する危機を感じているときには、自分流に都合のいい物語を作って正当化するという心のメカニズムが働きます。その結果、間違いを受け入れて修正するのが難しくなります。現実的にとことん行き詰ることで、初めて修正の可能性も出てきます。したがって間違った信念を持っているときは、現実がとことん行き詰ることは、それ自体大いなる導きであると側面があると思います。

 K会もOR氏が創った物語(エル・カンターレ神話)を信者が共有することで、一つの信仰共同体ができているのです。神話というのはその人の人生の存立基盤を説明している物語なので、完全意そこから離れることは結構難しいものがあると思います。それを崩すために、一時的に生活基盤と精神基盤の崩壊現象が起きることがあるでしょうが、それは洗脳を解除するためには有効なのです。
 興味深いことに、ソ連のパブロフ博士が条件付けした犬たちを飼育していた地下室が、ある嵐の日に水浸しになり、危うく犬たちが死にかけたことがありました。驚いたことに、この生命の危機にさらされた犬たちは、それまでの条件付けが消えていたのです。そこでもう一度、初めから条件付けをし直さなければならなくなりました。
 つまり、生命を脅かされるほどの危機にさらされると、いったん条件づけされ教え込まれたものが白紙になるのです。おそらくそれは、深刻な危機の中ではそれまで身につけた思考パターンでは適応できなくなると、それを白紙化し新しいパターンを身につけやすくすることで、新しい事態に適応しようとする心のメカニズムが働くのだと思われます。ですから、洗脳解除のためには危機的状況はプラスの側面があるということを知ってほしいと思います。
 その時に問題になるのは、その危機の中で何を新たに自分が身につけるかなのです。
 
安全基地を求める

さて、札幌を引き払い滋賀に戻ってからは、支部長の好意により支部で在家信者として活動しました。当時は「太陽の法」の映画へのお誘い活動でした。私も100枚のチケットを買って、親戚や近所のであった人に片端から声をかけていきました。そこで活動をすることで信者としてのアイデンティティを確認したかったのだと思います。

しかし、これに間もなく教団からストップがかかりました。教団では私が還俗してから、私や同時期に還俗した初期からの数名の職員を批判する職員研修が開かれていたそうです。そのために教団職員から向けられる眼差しは、本当に冷たいものでした。支部長だけが例外でした。その支部長も総合本部に呼び出されて尋問され、結局その後に還俗しました。

在家としての信仰のよりどころを失い、再び私は方向性を失っていきました。そして精神的に追いつめられました。職員の妻との生活も精神的に難しくなり、友人の誘いで単身、大阪に出ることにしました。
 不況のさなかの大阪には、ハローワークに人の列ができていました。どん底になると、むしろ開き直ることができたようです。多くの失業者があふれている街で、私もハローワークの列に並びました。いくつも面接し、何回も落とされ、その都度落ち込みました。面接で落とされると、自分の存在価値そのものが否定されたようなダメージを受けることを知りました。またどこにも所属するところがない辛さもしみじみと味わいました。友人が落ち込む私をとにかく支えてくれました。

ようやく就職した先でも、うまくいかないと落ち込みました。友人のアドバイスで筋肉トレーニングに通うことで、かろうじて前向きな自分を支えました。やがて別の職場に拾われ、そこには私を理解してくれる上司がいて、ようやく居場所ができました。ですが、仕事内容への疑問もあり、1年もしないうちに行き詰まり、結局辞めることにしました。

この頃は、落ち込むたびに自殺念慮に苦しみました。自分では方向性が決められなくて、また精神的に立ち上がれなくて、何かにつけ友人に頼り相談しました。友人が新たな依存対象だったわけです。そのおかげで何とか最悪の時期を脱し、自分を再建することができました。
 しかしその反面、大きな弊害がありました。それは依存対象を失うことが恐ろしくて、内心に反論や疑問があってもそれをいうことができず、たとえ理不尽と見える要求にも応えるべく献身するという行動パターンが生まれたのです。この傾向は、その後も長く続きました。

 当時の依存心を振り返ると、心の安全基地を必死に求めていたと思います。赤ん坊は母親を「安全基地」と感じることができて初めて「探索行動」が出来、積極的な活動をするようになります。大人になっても、精神的な安全基地は必要です。自分がそこでは受容され共感的に理解され安全に守られるというよりどころがないと、怖くて前に進めないことがあるのです。

人は自信を無くしたり、自分の基盤を喪失すると、依存心が増大しがちです。それが高じると依存性パーソナリティー障害にもなります。特に信仰が崩れるときは、精神的な危機だと思います。その時に、しっかりと心の安全基地になってくれる家族や友人が必要です。安全基地があって初めて、積極的な行動がとれるからです。
 また失業や離婚などで、それまで自分の生活基盤であった人間関係や生活基盤を失うことが往々にしてあります。そんなときに、だれかの支えが必要です。周りの支援者は、本人を支えながら、次第に依存から脱却させて自立させていくことが重要であると思います。


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