2013年7月5日金曜日

(投稿)”許し”ということ


ある大量殺人犯の裁判から

 

20年ほど前、テレビ番組で、アメリカのあるドキュメンタリーを放映していました。

 
ある大量殺人犯の裁判に関する内容でした。

 
あるアメリカの町で、若い女性が次々と行方不明になり殺されるという事件が発生しました。

その数は、100人近くにも及びました。

警察はある一人の男を特定しましたが、その男性を逮捕するには、あまりにも証拠が不十分でした。

そこで警察は司法取引をしました。もし自白すれば、死刑だけは免除するという約束をしたのです。

そこで、この中年男は自分が多数の若い女性を殺したことを自白しました。

男の話をもとに現場検証をしたところ、多数の女性の死体が発見されました。

その数は、90名近くもあったと記憶しています。

 
法廷で判決が出た際、多くの遺族の人達が傍聴席でそのいきさつを見守っていました。

通常であれば当然死刑なのですが、判決では当然のことながら極刑にはなりませんでした。

もちろん、殺された遺族の方達は当然納得のいくはずがありませんでした。

 
そこで、裁判官は、殺された遺族の1人1人に、この殺人犯に対して、意見を述べることを許されました。やりきれない遺族に対する、せめてもの配慮であったのでしょう。

 
遺族の方々は、次々にこの殺人犯に向けて、涙を流しながら罵声を浴びせました。

「おまえのせいで、大切な娘を奪われた。おまえのことは、絶対に許さない。」

それをこの殺人犯は、顔色一つ変えずに、じっと遺族を見つめながら、静かに聞いていました。

 
たくさんの遺族の最後に発言をしたのは、小太りで、あごひげの生えた神父さんでした。

見た目は、ハリーポッターに登場する、ハグリッドみたいな感じの風貌でした。

 
その神父は、殺人犯に向かって、こう言いました。

「わたしは、小さい頃から大切に育ててきた、一人娘をあなたに殺されました。彼女は、私にとってとてもかけがえのない存在でした。」

そして、こう言いました。

「それでも、私はあなたを許します。」

 その殺人犯の顔色があきらかに変わりました。今までの人間の感情を持っているとも思えない無表情な顔つきから、明らかに驚きの表情に変わりました。

周りをきょろきょろしながら、うろたえ始め、そして涙を流しながら、その場に崩れるようにしゃがみこんでしまいました。


そして、抱えられながら法廷を退出するとき、この殺人犯はこう言いました。

「遺族の方々には大変申し訳ないことをした。本当に申し訳なかった・・・。」

彼の姿から、本当に心から悔いているということが伝わってきました。

 
この神父の姿、そしてこの殺人犯の表情は、今でも鮮明にまぶたの裏に残っています。

 
このドキュメンタリーのことを思い出すたび、”許す”ということは何なのか、ということを考えます。

 
私がこの遺族の立場であったなら、この神父のような気持ちには、まずなれないでしょう。

それほど、「許す」ということは難しいものではないかと思います。

 
しかし、この神父の、殺人犯に対する「許しの言葉」は、確かにこの冷酷な殺人犯の心に一筋の暖かい光を差し込みました。
 

相手を攻撃し、折伏させるという行為に比べて、「許す」という行為は、一見弱いように思えるかもしれません。

しかし、「許し」という行為は、確かに相手を善なるものに変えていく強い力を持っているといえるでしょう。

まさしく、「風と太陽」の寓話を思いおこさせます。

 
そうしたことを考えたとき、キリストのおっしゃった、「汝の敵を愛せよ」という言葉の真意というものが、本当の意味で理解できるような気がしました。

「憎しみを憎しみで返すな。」

まさしく、この偉大なる神父は、キリストの教えを実践された方でした。

その結果、100人近くを殺した殺人犯の心に、”悔い改め”という救いの光を与えることができたのです。

 
イエスの説かれた「許し」の原理とは、これほど深く、これほど強力な力を持ったものであったのかということを深く実感させた、ドキュメント番組でした。

 

2 件のコメント:

  1. 許すことも愛なのですが、相手が捕まってもなくて、悪いことを
    やりたい放題、したい放題の時はどんどん犠牲者がふえていきます。
    今の大川のように職員信者全員地獄界に引きずり込んでる時、
    反省をさせられない時はアンチの人が必要だと思います。

    天使の役職に不動明王があるのはそうした悪霊を抑えるためなのです。
    私憤でのアンチでなく犠牲者をこれ以上増やさないためのアンチは必要なのだと思いますがどうでしょう?

    大川を精神病院の檻のなかに閉じ込めているのならアンチはいらないでしょうが・・・

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  2. 投稿をいただきありがとうございます。ご趣旨は理解できます。そのとおりであると思います。しかし、若干の誤解もあるように思います。
    アンチがいらないのではなく、アンチがフォースの暗黒面に陥らないための注意が必要なのです。それが愛であり、愛の中には許しの心があると思います。闇はK会にだけ忍び寄ってくるのではなく、アンチにも忍び寄ってきます。
    我々が闇を意識し、向かい合う時に、闇もこちら側を見つめていることを知っておかなければなりません。
    戦う相手と同質化しないために、いかなる精神を持つべきか。これは非常に重要な視点であると考えています。その意味で、投稿者の見解に賛意を表しております。そして光り輝くアンチが増えていくことを願っています。

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