2013年7月18日木曜日

依存心に向き合う⑪…もとからあった依存心とは


家庭の問題を検討する


 
依存性人格障害の原因からの視点

 私の中の依存心はK会に入る前にはなかったかというと、そうとは言えません。もともと私の中に依存心があり、それがK会に入ってひどくなったと考えられます。そこで手始めに依存性人格障害の起きる原因を挙げ、それに照らして自分を分析するというアプローチから入りたいと思います。

 依存性人格障害は、通常は常に親に支配されて育った人に多く見られます。

 親が自分の膝元にいつまでも「よい子」で置いておきたいという願望が強いと、子供はどうしても親離れしていくことに強い不安を持ちます。親元を離れていくことに対して親が強い拒絶を示すと、親からの精神的自立が難しくなりやすいでしょう。典型的なケースは、親の意向に反して自立を図ろうとする行動は否定され、親に服従するときだけ「よい子」だと認めてもらえるような状況で育つことです。これだと多くの場合、どうしても親への依存が過剰になり自立できにくくなります。

 また生来虚弱であったり、臆病で不活発だったり、極度の引っ込み思案だったりする子供の場合、親がそれをかばおうとして過保護になって、その結果、子供の親への依存が強くなることがあります。

 これが一般的な依存性人格障害の発生原因です。私の場合は、人生の重要な決定は自分でしてきました。例えば、中2の時に腎臓病で入院したので、母は私の健康を心配していました。そこで高校は近くの公立高校に行ってはどうかと言っていました。しかし私は1時間かけて通う膳所高校に行きたいと言って通しました。ですから自分の針路は自分の意思で決めていますので、依存性人格障害というほどの性格や気質の障害はないと思います。

 しかしながら、しいて言えば次のようなことがありました。

 
青年期の自立の問題

 京大の農学部へ入ってからは、生長の家の学内サークルに自分から求めて入りました。そのため学内では生長の家の布教と愛国心を大切にする文化政治活動をしました。その結果、左翼集団と衝突することがしばしばあり、私は2年生と3年生の時には身の危険を感じて授業に行けなくなりました。

 学生時代には1年間休学して東京に出て、生長の家本部でボランティア活動で生長の家の学生組織の運営に携わる経験もしました。そうしたことから、私は大学での学部の勉強と将来の希望が合致しなくなり、中退して生長の家に勤務することにしました。

 滋賀県というところは、長男が家を相続することを非常に強く求める土地柄です。私は、東京へ出て宗教活動、政治活動をしたいと強く願いました。親は「この家を将来どうするつもりか」というので、家は見ることができないの、将来は帰らないと言いました。母が泣き崩れました。女系家族で男の子を得ることが先祖代々の願いであったところへ、ようやく育てた息子が家を飛び出すというので、大変な衝撃を受けたのでした。

 父は入り婿でした。夫婦仲は極めて良い両親でした。母親の気持ちを父は大変尊重していました。「僕がこの家の生まれならお前を自由にさせてやりたいが、この家に入ったのでご先祖に対して責任があるから、矢張り家を守ってほしい」と言われました。

 私は窮地に追い込まれました。しかし志そのものを曲げることができないので、将来家に帰ることを約束して東京へ出ました。折衷的な中途半端な結末でした。

 なぜそうなったのか。母への情に抗しきれなかったのが一つの原因でした。しかし、先祖や家の守り神(仏)の守護がないままに、生きていくことへの不安があったのです。我が家には不動明王への信仰があり、不動明王の言葉を取り次いでくれる霊能者の方との交流もありました。それを通して、神仏や先祖の存在は100%信じていました。先祖や不動明王が、私が家を守ることを強く望んでいたのです。

 また親の老後を見てあげなければいけないという気持ちも強くありました。生長の家は親孝行を重視する宗教だったので、親への気持ちにも抗しがたいものがありました。

 青年期の自立の問題は、形の上では自立できたのですが、精神的な支柱が立ちきらず、心棒が傷ついた状態になりました。40歳になれば家に帰らなければならないと考えていました。しかし、将来設計という面では、非常にあいまいでどこかで神仏任せのような気持ちがあり、人生の後半をどう生きるのかというプランは描けませんでした。

 
出家時の思い残しの解消

 30歳でOR氏に誘われてK会に出家するのですが、この時も東京でできるのは40歳までという気持ちが強くありました。OR氏にはその気持ちを手紙で伝えていました。ただ、K会にいた時はOR氏が仏陀だと信じていましたので、私はこういう心境で出家したことをずっと後悔していました。

 そこで40歳が近づくと両親には、K会で仕事をし続けたい旨を話し、了解を得ていました。しかし結局42歳で還俗し、故郷に帰ることになりました。ただ出家時における私の中途半端な思いは、その後も引っかかっていました。

 これについては、私が大阪での会社再生の仕事を終えて次のステップに進む段階で、自分は心の内にわきおきる使命に忠実に生きようと決意をし直す機会がありました。それで、私の中途半端な出家時の気持ちを一度清算するために、K会が行っていた職員募集の呼びかけに応えて応募したことがありました。拒否されましたが、私としては思い残しがここで清算されたので、それで目的は果たせました。

 すると、情と不安から自分の人生を貫き通す時に一部の陰りがあった問題は、一応解決しています。しかも今から思うと、K会の職員を中年でやめるという気持ちがあったことは、今のようなK会の邪教化が進むと、それはそれで結果的には正しかったように思います。
 いずれにせよ、これは今は克服した問題ですはありますが、母との関係をめぐって、自立と依存の関係はもう少し深い問題を秘めているように思います。次回、もう少し深めてみたと思います。

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