2013年7月29日月曜日

(投稿)日本神道について考える・・・修身の方法

心を清める


 日本神道は、現在では、教えよりも儀式を重んじる宗教です。当たり前のことですが、古来から、日本の生活習慣にしっかりと根付いてきました。日本各地にある神社は、日本人の心のより所として、人々の手によって代々大切に護られています。

 
日本神道の儀式において大切なことといえば、場を「清める」ということです。「身を清める」「周りの場を清める」ということを大変重視します。

 
まず、「身を清める」ことは、当然のことながら、「心を清める」ということにつながっていきます。身を清めることによって、心の穢れを払います。
また、儀式を行うに際しても、普段から心を清める「修身」が必要であるし、儀式を通して、心を清める「修身」を行っているということになろうかと思います。
これは、仏教における「座禅行」にも相通じるものでありましょう。座禅行も基本的には心の平安を追求する「修身」であるのでしょうから、神道においても、このような儀式を通じての「修身」もあり得るのではないかと思います。
どちらかといえば、密教に近いようなスタイルであろうかと思われます。

 
身を清め、心を清らかに保つことによって、いわゆる神の御光を地上に降ろすことが可能になってきます。神の光のパイプ役となるには、穢れなきことが必要条件となってきます。

 
日本神道は、古来より神の威光を地上に降ろすことを常としてきました。それは政治においても当てはまります。神の御意向を地上に降ろしていくことは、本来の理想的な政治スタイルであるのではないかと思います。現在のように多数決による烏合政治よりも格段に高レベルでありましょう。
これは、神主においても、同様なことがいえるでしょう。


 また、「心を清める」には、当然のことながら、自らの心を見つめていくという作業も必要になってくると思います。今後、機会があったら勉強してみようと思っていますが。当然ながら、神道にもこのような修行形態があったのではないかと思っています。

 このようなことを想定すると、日本神道というものは、決して中身のない宗教ではなく、本来は「修身」を中心とした、「高度な宗教であった」と定義づけられると思います。実際にそうであったかどうかはともかく、宗教としてはこのような修行形態も可能であろうと思われます。

 
現在は、全くもって、単に儀式を中心としているだけの、中身のない宗教でありますが、それは今の仏教と同様であろうかと思います。長い年月において、仏教同様、姿形を少しづつ変えながら、世の中を生き抜いてきたのでしょう。それ自体が悪とはいえませんが、「本来の日本神道の精神とは何ぞや」ということを少しでも考えてみる必要があると思いますし、今まで日本を守ってきた伝統ある宗教について「原点回帰」して考えてみるということは、とても大切なことではないかと感じます。

現在、日本は数々の危機に瀕しているように見えます。
ただし、日本がここまで単一国家としてこの国を守り抜いてきたのは、この国を守るために大きな力が働いているということでしょう。その力の源とは何か、それを追求して見極めていくことが、この国を救う真の力となり得ると感じます。

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