2013年7月26日金曜日

依存心と向き合う⑰・・・克服のために


信仰と依存
 


傲慢への戒めと信仰

 信仰心が篤い方を依存心が強いように受け取られる向きが少なくないと思います。事実、教団への依存が強く、家庭が崩壊したり職場の人間関係が崩れていく場合には、その信仰は限りなく依存に近いように思われます。

 しかしそうかといって、自分より上位の目に見えない存在を認めない心は、傲慢だと思います。自分が一番高くなってしまった心は傲慢です。

自分が大宇宙の根本神より偉くなったと言いだせば、その人は無間地獄に行くしかなくなると思います。OR氏は織田信長を批判して「彼には魔王が入って自分を神とするようになった。その慢心と支配欲により魔王に支配されるようになった。その危険を感じて明智光秀は本能寺の変で信長を倒した」という説OR氏は説きました。その批判は、OR氏にそのまま返っていくものと思います。地上に生きる人間はそこまで偉く思いあがってはいけないと思います。

 その意味で、私が小さなORにならないように、自分を超えた上位の神への信仰はしっかりと持ちたいと思います。
 
導きの手

 それと同時に、その根源の神と自分がつながっている以上、自分の心の内に神の声を追い求め、それに従って私自身の個性を発揮して使命を果たす生き方をしたいと思います。もしその内なる神の声が間違っていたら、さまざまな苦難困難行き詰まり現象が起きて、方向修正を導いてくださることも信じています。

 私たちは、大きな計らい、大きな愛に生かされています。試行錯誤をして数多くの過ちを犯しても、生きることを許されて、そして生かされています。数々の試練の中で、挫折や不幸に見舞われても、やがて立ち上がって真実を求め続けようとするのか、それでもなお神を求める気持ちは本物なのかを試されているように思います。そうした大きな愛を私は信じます。これは信仰です。これがもし依存なら、それは「よき依存」であると思います。

 
許されて生きる

 私たちは目に見えない愛、目に見える愛、多くの存在によって生かされています。それを信じゆだねることができるからこそ、安心して生きていくことができます。

 間違った宗教を選択しても、その間違いに気づき、そこから何かを学ぶことも許されています。邪教に染まり間違った行為をした自分を、なおも多くの方が支えてくださいます。それは愛だと思います。

 願わくばそうした愛に生かされ支えられていることをいつも忘れず、私も私の個性にあった愛を出せるように生きていきたいと思います。

 そして自分が自信がないことを、誰かに丸投げするような依存心はなくして、自分ができること、やるべきことを一心にやっていきたいと思います。
 
<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」では


人格障害についての全体像を解説しています。

人格障害について関心がある方は下記をご覧ください。
 
http://tanemura2013.blogspot.jp/2014/06/blog-post_26.html
 
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>

 種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿