2013年7月24日水曜日

(投稿)日本神道について考える① 天照大神の偽霊言考



天照大神の「ニセ」霊言を批判する

 


K会を退会してから、本当の真理とは何かを自分なりに追求してきた中で、日本古来からある日本神道についての親和性が非常に高まってきました。

自分なりに真理を追究していく中で、K会で教えていた「日本神道というものは、中身のない教えである。」という考え方、さらにK会で教えていた「光一元」の考え方が、非常に軽薄なものに感じられてきました。

極めつけは、最近になって、天照大御神の名を語った脅しとも思える霊言に非常に違和感を感じました。

私自身、日本神道の神々に向かってお祈りをした場合、彼らから何らかの反応が返ってくることがあります。この霊言についての反応については、かなり酷いものでしたので、感じたままを述べたいと思います。


天照大神のお心

 

日本神道を代表する神々の1人が、天照大御神です。その名の通り、「天よりあまねく照らす」神様です。「光一元」という言葉をそのまま表している方です。

最近になって、K会が、天照大御神を名乗って、脅しともいえる霊言(まがい)を行い、書籍にもなっていると聞きました。その内容を少し聞いただけでも、一瞬にしてインチキとわかる代物ですが、よくもまあ、こんな暴挙をしでかしたものだと感じました。天照大御神の名を平気で汚すことを、あえて行った「勇気」には、はっきり言って敬服いたします。

天照様はどのように感じておられるかといえば、とても悲しく感じておられるようです。そのようにニセ霊言をおこなった張本人に対しては、非常に呆れているのを強く感じます。それよりも、そのようなニセ霊言を、偽物と気付かずに信じている人々への哀れみと悲しみが強く感じられます。

「天照という存在は、そのようなタタリ神的なものではないことは、私の名前、そして過去の日本における伝統や歴史を見ても、すぐにわかることでしょう。ですから、そのような偽物が出たとしても、日本人であるならば、すぐに見破れるはずです。それが、わからない者がいるということが悲しい。このようなものを受け入れる者が日本人の中にいること自体が悲しい。私の日本における存在というものがどれほどの意味を持っているか、それを日本の方々は考えて欲しいのです。神話は神話として存在しておりますが、私たちは、古来よりあなたがたを見守ってきた存在であるということを感じて頂きたいのです。」


深い悲しみ


天照様を想うとき、深い悲しみが伝わってきます。
ああ、天照様は、きっと悲しまれているんだろうなあ、そう感じます。


あのインチキ霊言を信じる者は、日本の中では数少ないでしょう。しかしながら、K会の洗脳されきった信者の方々は、間違いなく信じています。そして意味のない恐怖心に支配されたまま、相も変わらずお金を巻き上げられ続けています。また、一般の方々でも、この本を信じてしまう奇特な方もいるかもしれません。

日本の神々への信仰心が薄れていること、そして、そうであるからこそ、ニセ霊言を信じてしまうような人々も出てしまうということ。天照様の悲しみも、そこにあるのかもしれません。

天照様で有名なのは、「岩戸伝説」です。
この伝説でもわかるように、世が乱れるような不調和な状況になると、天照様はそのような状況を悲しんで「隠れて」しまうのです。この神話で判断する限り、決して、日本人口の数千万人を粛正してしまうような言動をとるはずがありません。

また、私が感じる限りでは、天照様から「怒り」を感じるということはありません。
世が乱れた時は、「怒り」をぶちまけるのではなく、「深く悲しむ」のです。
それは、慈悲にも似た「慈しみ」の心です。そう、天照様は、「慈しみ」で満ちているのです。

ここで、K会および、K会の信者に行っておきたいことがあるのです。
私は、あえてこの場において、天照様の想いを伝えました。
あなたがたは、天照大御神の威厳を踏みにじったのです。これは、日本の神々においては、とても大きな「侮辱」であると感じているのです。
伝える側のみならず、信じる側も同じです。このようなものを信じるということ自体が天照の威厳を踏みにじっているということを知ってください。


光一元ということの意味


日本神道が「光一元」という意味がわかりますか。
K会の中でも、「光一元」という思想について学んだでしょう。その中身をもいちど考えてください。

もういちど言いますが、天照大御神の「天照」というのは、「光をあまねく照らす」という意味です。
「神の光を、地上にあまねく照らす」という意味なのです。
天照大御神という方は、そうした役目を担っている方であるのです。
もし、この方の心に「怒り」という想いがあったなら、神の光を地上に流すことができるでしょうか。

日本神道に不可欠なものは、「清らかさ」です。
「清らかさ」があって初めて、神の偉大なる光を地上まで降り注ぐことができるのです。
つまり、心の中に怒りなどの「不純なる」ものがないということが必要条件なのです。

このような単純なことを見ただけでも、この霊言なるものが「天照大御神」のものでないことが明らかなのです。

要は、この霊言を出す者の、心の中にある、自分達を軽視し続ける日本国民に対する不満や憎しみの感情というものが、天照大御神の威厳を利用して、霊言という形で世に現れたというに過ぎないのです。

言っていることは単純なことです。決して複雑なことを言っているわけではありません。
天照という存在を想えば、当然行き着く結論です。

天照大御神を悲しませないためにも、私たちは、この日本という国の存在意義、そして、日本の神々への畏敬の念というものを、今一度見つめ直す時期にきているのかもしれません。

きっと、天照様をはじめとする日本を守護してくださっている神々も同じ思いを抱いていることでしょう。

 

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