2013年6月29日土曜日

幸福の科学の植福について⑩・・・植福菩薩、大黒天信者


洗脳集金システム④
 
菩薩認定制度(植福菩薩、寄進菩薩、献本菩薩)

 K会(幸福の科学)の洗脳集金システムの大きな柱は「菩薩認定制度」です。これには植福菩薩(1000万円以上の植福)、寄進菩薩(土地寄進)、献本菩薩(半年間に100冊献本)があります。半年ごとに認定され、菩薩の称号を与えられ、袈裟等の記念品が贈呈されます。

 菩薩といえば七次元菩薩界の悟りを得て人助けのために活動する人です。第一段階の悟りである阿羅漢になってその心境を維持し続け、さらに救済活動をして初めて到達できる悟りであると説かれてきました。この菩薩に、ある一定基準以上の布施や活動をすれば誰でもなれるというのがK会の菩薩認定制度です。これは「洗脳」です。

寄進菩薩は土地、植福菩薩は1000万円のお金、献本菩薩は100冊分の書籍購入費を出すことでなれるというので、菩薩認定制度は文字通り「洗脳集金システム」となっています。K会は悟りの認定と布施(植福)の額をリンクさせたことで、信者の布施へのモチベーションを大きく上げることに成功しています。

しかも、これは一種の顕彰制度でもあるため、教団内でのステイタスの向上につながります。事実、寄進菩薩や植福菩薩に認定された人は、総裁の講演会や精舎の落慶祭など公式の大きな行事の際に、最前列を用意されるなどして、特別に扱います。非常に巧みな制度だといえます。

これは支部運営にとって非常に有効な制度なので、支部長は熱心に取り組みます。特に植福菩薩が一人出ると、その期の支部の布施の目標額は達成が非常に楽になるため、支部長は植福菩薩を出すことに特に知恵を絞ります。

ある元信者の証言は、支部の現場の雰囲気をよく伝えてくれています。

「信者は日常的に布施を求められますが、中でも1000万円布施をした人は植福菩薩の称号を与えられて、皆からちやほやされます。高額布施者を仏に貢献した者と称え、皆の憧れの存在にして本人の自尊心をくすぐる一方、他の信者にはその人に続くことの素晴らしさを説いて気持ちを煽ります。私はかつてス部で開かれた『菩薩誕生祝賀会』で『次は〇○さんのような気がする』と皆の前で言われ、何とも言えないプレッシャーを感じました。」

 つまり自分から進んで植福菩薩になるだけでなく、周囲がそう仕向けていくので、非常に巧みに誘導されていくのです。

 
大黒天信者

 K会には発足当初からの会費制度として「植福の会」があります。1000円以上、任意の額を毎月自動引き落としで入金する制度です。特にその金額が1万円以上の人を大黒天信者と呼びます。

 これはK会にとっては、黙っていても毎月入ってくる布施なので、経営の安定には欠かすことができないものです。そこで毎月の入金を高額にするために打ち出されたのが大黒天信者という呼称です。「大黒天信者」という呼び名は、自分が「大黒天」であるという気分にさせてくれます。自分は特別な存在であるという気分を味わえるのです。しかも「主が許された大黒天信者になれることは、主がおられる今世だけである」と支部職員がしばしば強調しますので、何か尊いものになる気がするのです。

 もう一つ植福の会の金額を増やす方法は、家族の名義で植福の会を申し込むように誘導することです。子供やご主人、さらには両親などの名義を使って植福の会に払い込みます。するとその功徳を家族も受けることができると教えられるので、入金者が増え、入金金額が増えます。

 こうして植福の会の増額は実に巧妙に誘導されます。ある元信者の方はこういう経験を語っています。

「植福の会ははじめ月1000円でスタートしましたが、役職につくと増額をするように何度も言われ、徐々に金額が増えていきました。『いつのまにか自動引き落としされるこの布施は執着を生みにくく、より功徳が大きいので天に宝がたくさん積めます』と職員が支部でよく信者に言って勧めていました。」

 私も職員時代には、こういう言い方でお勧めしました。実際に私はそう信じていたので、退職(還俗)して金銭的に苦労していた時期でも月額1万円の植福の会を何年も続けていました。与えることで 陰徳を積み、与える心がいい運命を引き寄せるに違いないと信じていたからでした。しかし、教祖と教団の実態がはっきりわかってからは、それは間違いでそういう功徳はあり得ないと思い、打ち切りました。

1 件のコメント:

  1. 幸福の科学の愛の教えと根本仏教の慈悲の教え
    いわゆる「与える愛」は、上から目線で、選ばれた人たちが、与えているというイメージです。スマナサーラ長老などの説かれる根本仏教などでは、慈悲の教えは、「自分の生命と他の生命は、ひとつのものだ。すべての生命は同じものという認識をいつも心に抱いている。すべての生命は、海のようなもので自分の生命など、その海の一滴の雫に過ぎない。
    」…自他の区別が、問題なのです。区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、色々な問題が生じてきます。人間が人生で出会う色々な苦悩は、この「私」というその個体があるんだ……と思ったところから生まれてくるのです。そのための修行です。この世界の生命の法則は、
    「自と他は同じもの」なのです。これが、基本のようです。

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