2013年6月18日火曜日

幸福の科学の植福を考える②・・・賞賛欲求と条件付け


布施の喜び再考②


 

 K会(幸福の科学)の植福では、信者の持つ賞賛欲求を巧みに刺激しています。人は誰しも「ほめられたい」「認められたい」という魂の欲求を持っていますが、幸福の科学では植福をする時、最もこの賞賛欲求が満たされる仕組みが作られています。

 

「おめでとうございます」という祝福

 K会では、お布施をすると周りの信者さんから「おめでとうございます」と拍手され、祝福されます。私の所属した支部では、〇〇植福と言われる布施をすると、細かく切った折り紙を信者さんが花吹雪のように振りかけてくれました。おめでとうございますと祝福されながら、花吹雪でお祝いしてもらうと、とてもいい気分になります。

 さらに、私は経験がありませんが、1000万円の植福をすると「植福菩薩」として、支部中から賞賛して頂けます。精舎での〇〇記念のセレモニーがあるときは、一番前の席を特別に用意されます。総裁の講演会の時も、前列は植福菩薩が占めることが多いのです。しかも、植福菩薩に一度なると、その後も支部では特別の存在として見なされ、特別視されます。これは大口の植福をお願いするときに、まず名簿の筆頭に出てくるし、支部長も何かの際にはお布施を頼りにできるので、大切に扱うようになるのです。

 大口の布施(植福)をしたり、〇〇植福などで10万円お布施をしたりすると、その都度支部長や信者の方々からの賞賛が集まります。そうすると賞賛欲求が満たされて、とてもいい気分になります。

 これに対して、お金がなくて〇〇植福ができないと、すごくみじめな気分になります。周りの目も「どうしてあの人はしないんだろう」とか「本当はあの人が蓄えがあるんじゃないの」というなんとなく裁きの目で見られたりします。それを感じて居心地が悪いのです。それがないとしても、植福ができないと支部での自分の重要感がどんどん低下していきます。さらには全国の支部での比較で、所属支部の目標が未達だと、「支部長に申し訳ない」「総裁先生に申し訳ない」という罪悪感が出てきます。

 動物実験で、あるレバーを押すと餌が出て、別のレバーを押すと電気ショックが流れると、いつも餌のレバーを押し続けるようになるという実験があります。あるいはパブロフという心理学者は、犬にベルを鳴らして餌を与えることを繰り返すと、やがて餌がなくてもベルの音を聞いただけで唾液が出てくるようになるという犬の実験をしました。これを条件付けと言います。

 ソビエトではパブロフの研究は洗脳の技術として悪用されたのですが、K会の植福もあきらかに条件付けです。植福すれば賞賛欲求が満たされ、しなければ罪悪感と劣等感が刺激され重要感が下がっていくというのは、条件付けそのものです。

 そうした一種の洗脳技術によって、賞賛が与えられて「布施の喜び」が演出される一方で、布施をしないことへの自己罪悪視、自己の無能感、支部での存在価値の低下などで、布施をしないことへの罰則が与えられます。いうなれば飴と鞭による条件付けが行われ、「喜びの布施」へと駆り立てられているのです。

 信者は、自発的に喜びの布施をしたと思いこまされていますが、布施の喜びの中味(からくり)を冷静に振り返ってみる必要があると思います。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿