2013年5月30日木曜日

(投稿)洗脳解除そして脱会へ・・・幸福の科学の教義、反省の誤り⑦


4.教義の中道理論の誤り

 
①理屈や解説では何にもならない

K会(幸福の科学)の教義では、中なる道である中道を難しく説いていたのを思い出します。ですから今やその知識はほとんど思い出せません。それ程、理解できていなかったということです。これでは、教示しても何にもなりません。

釈尊が万人を救うために果してそんな難解な法を説かれたのでしょうか。もしそうなら、当時の方はほとんどが救われなかったということになります。色々な説はあるでしょうが心の教えになるとは思えません。仏陀はもっと簡単なで誰でも実践できる法を説かれたのではないでしょうか。記憶している中で「断常の中道」とか「苦楽中道」とか言っても解らない方がほとんどでしょう。多分、説いている方が本質は理解できていないと思われます。いくら理屈や哲学的な解説をしても実践できなければ何にもなりません。教えが死んでいます。

 ②愛の想いは消せない我欲を昇華させる

私は、釈尊は慈悲の思いで生きることを教示したと私は思っています。我欲もそうですが、捉われないという一言で済むのなら苦労はしません。我欲を取り除けといっても難しいでしょう。中道は、何処が中道かといっても解りません。今目の前にある物は有るのか無いのかといってもある物は有ります。そんな議論より、不生不滅の内なる神の心、仏の心を愛することを教えたように思います。イエス様が神の子に愛の心を教えたように、釈尊も慈悲の心を教えたのではないでしょうか。

中道は我欲を排した所に現れてくる境地でもあったと思いますが、問題は我欲を排するところです。肉体がある以上、我欲は消えません。我欲を突き詰めていくと結局は肉体から派生する理由にほとんどが行き着くと思います。ほとんどの我欲は実は消せないのです。これを消す事は、肉体の否定、死ぬ事です。

だから、我欲を消す原因を追究(K会の教義)しても無駄なのです。生活状況や社会状況によって、理性で統御しているのです。理性で統御できないで無茶をすれば悪を犯したり、苦しみが生まれます。

ですから、我欲は昇華させるしかないのですが、その根底に来るのが愛の想いです。

 

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