2013年5月7日火曜日

(投稿)脱会者からのメッセージ⑦・・・逆境の意味


2.逆境には必ず意味がある

 
 しかし、私はある疑問が湧いてきたのです。以前と同様な環境に置かれているのは一体どういうことなのだろう、という疑問です。脱会をして命がけで生きようとして、ようやく心に本来の自分が戻ってきている矢先に、早やこのような状況が現れてくる。

私は生きる資格がないのだろうかという思いもまた出てきます。目の前には、私を騙して利用した人間がいます。周囲の者は自分に降りかからないように避けています。そして、神は沈黙されています。私はこれには何か意味があると信じることにしたのです。

 
  守護霊の言葉

 
こういう状況の時に、あるベテラン社員が私に言ってきました。

「○○さん、どうみてもあの人のしている事はあまりにも酷すぎる。上司も丸め込まれているのもわかっている。この現状が嫌ならあなたは、長くはもたないでしょう。しかし、人は人、自分は自分と割り切って頑張る決意ができるのなら、割り切って頑張ってみれば良い。」

私は、この言葉が守護霊の言葉に思えました。
 
又、知り合いの方に急に呼ばれて、その方の家を訪問することになったのですが、その時に言われたことがあります。
 
知人 「新しい会社はどうだったの?」

 「それが、聞いていた話しとは180度違っていて、出入りが激しく、私は出世の道具にされたようです。」

知人 「それは酷い。でもあなたはこれからどうするつもりなの?」

 「内容が違うし利用されたのですが、その会社で自分自身の道を開いていこうと思っています。」

知人 「そう思っているのね(にっこりとして)。人生は何処で道が開くかわからない。一生懸命に自分で誠実に頑張っていけば、きっと道は開いていくよ(実例を挙げながら)。その会社で一生居ることにならないかもしれないが、世間はきちんとあなたをみているから、何処で良い縁ができるかわからない。謙虚に誠実にね。」

と言われました。私はこれも守護霊の言葉としか思えなかったのです。

 
②反省し、逆境の意味を知る

 
私は反省しました。自分に欠けているもの何であろうと。

「私は今までK会で活動し、誤った社会、唯物論に染まった人々を、K会そして霊性に導き、社会を変えていこうとしていたが、その反面、社会を裁き、人を裁いて来たのではないだろうか。仏の法を上目線で強制し、わからなければ後悔するのにと見下して来たような気がする。相手を言い負かすように、言葉もきつかったと思う。法を広める事、認めさせる事が優先で、私には人への愛が欠けていた。人への許しが無かった。だから、人を愛し許する環境が現れてくるのであろう。これは、私に愛と許しを教えんが為の神の導きである。」と想ったのです。

又、逆境にあるときは、あまり過去世のカルマだとは思わない方が良いように思います。カルマなら悲惨な自分になっても仕方ないという割り切りと諦めが出てきます。カルマということで、自分に言い聞かせてしまう面が出てきますので、あくまでも自分の修行課題だと思って努力された方が良いように思います。

 
③「 自分の中の神の心」を愛することできれば、「他人の中の神の心」も愛せるはず

 
私は自分の中の神の心に、「愛と許しの思いが目覚めますように」と祈りました。

他の人の中にも同じように神の心が宿っています。表面上のその人ではなく、その人の内なる神の心を見るようにしたのです。怒りや裁きを捨て、その方や他の方の内なる神の心を愛するようにしたのです。

正確にいえば、内なる神の心を愛することで、怒りや裁きは自然に消えて行きます。怒りや裁きを捨てようと思っても捨て切れない自分がいると思います。捨てようと思えば捨てきれない。愛そうと思えば、消えていく

そうすると、不思議な事にその人の長所が見え出し、更に愛らしく、けなげに見え出したのです。

「この人も幼い子供の為に必死なのだろう。」

すると徐々にその人は、私に対する接し方が変わってきました。

又、私は勉強しました。今、自分にできる事は知識を集積することが一番大切だと思い、必死で勉強したのです。周囲の人からみれば、1年間かかる所を1ヶ月か2ヶ月で営業できるようになったようです。

そして、これも不思議ですが、私は気がつけば、同期の中で成績がトップになっていたのです。又、職場も笑いや笑顔が多くなり、雰囲気が全く変わってきたのです。
 
更に、あれだけ揺らいでいた自分の心が嘘のように穏やかで、揺らがないのです。洗脳後の苦しみが嘘のようなのです。営業するのも全く怖さがないのです。人間不信、自己不信が消えだしたのです。以前は、社会を裁いていた自分がいましたが、今は裁きの心はほとんど出ないようになりました。

人生の後悔の念もありましたが、今は神が導き与えて下さるという想いに変わりました。

もちろん、自分の努力は必要です。努力の姿も神は見ておられます
 
以上のようなことは、誰にでもできることだと思います。難しい特殊なことではなく、簡単なことなのです。出発点の内なる神の心を愛して感謝をしていく、これは誰にでもできることなのです。

神は特別な人間にではなく、万人にできることを用意して下さっています。内なる神の心は見えません。見えないが存在する心に対して想いを寄せるのです。見えないが姿を必ず現して下さります。

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿