2013年5月1日水曜日

(投稿)脱会者からのメッセージ②・・・過酷な現実と向き合う


更に過酷な現実と霊的であることのリスク

 
 霊的な方は、悪魔、悪霊の存在を実感しているでしょう。心の中に入り込もうとしたり、幻聴で錯乱させたりして、破滅へと追い込んでいきます。人間不信、自己不信、挫折、怒り、憎しみ等を引き出して増幅します。人への裁きの思いが溢れてきたり、恐怖心が自分を支配したりします。特定の人に対する怒り憎しみを増幅し誘導します。

周囲に霊的影響を与えて、周囲から攻撃してきます。人からの攻撃は一番ダメージが強いのです。そうすると、人は自分を害するものという思いが出てきて、K会にいる時と同様な心の方向へと誘導されていきます。社会の方が間違っているという思いです。

これは、非常に危険です。こうなれば、教祖の声が霊的に聞こえてきた方もおられると思います。その時に、自分は仏を裏切っているのかもしれないという思いが湧いてきて、一歩誤れば、せっかく洗脳解除もしくは脱会したのに元の状態に戻ってしまいます。

霊的な方はどうしてもこういった影響を受けますので、脱会後は余計に悪魔の手口を知っている必要があります。教祖の声そのもので、言葉が心に響いてきます。

しかし、騙されてはいけません。あくまでも理性的な判断を忘れないようにしなければなりません。教祖は仏ではありません。偽仏陀です。その法も間違っています。
 
悪魔の声に騙されてしまうと、逆に希望が見えてくるように思いますが、これは破滅の淵に立ってしまうことを意味します。前に進むことだけを必死で見るのです。耐えるのです。

一例ですが、私の場合は、「全ての者には仏と同じ性質、仏性が宿っているのだ。己が仏性を信じよ」という教祖の声が響いてきました。これは、一見正しいのですが、教祖への誘導です。何故なら、仏性をただ単に信じることは難しいのです。又、仮に仏性を信じようとしてもそれは仏性ではなく、仏の姿つまり教祖の姿、声を内に見出すことになるのです。何故なら、仏性の姿、実態を知らないからです。

更に、仏性を信じようとしても何の解決にもならないのです。信じるという言葉は、誤ると悪魔の言葉に変わります。例えば、神と名乗る者の教示で、牛の偶像を見てこれが神だと信じよといって信じても何にもならないのです。
 
霊的な方は、現実面の苦しみのほかに、幻聴やどこからともなく心臓部から引っ張られ何ともいえない苦痛や悪魔の誘導もあって、二重三重の苦悩が付きまといます。法や教示が間違っているのなら、苦境の中においても信じてはなりません。

 
神は沈黙される如くに感じ絶望するが

 
 以上のような状態が続いていくと自分の価値を全く否定し始めます。生きていても仕方のない存在だというように徐々に思っていきます。神を信じている人は神に救いを求めるでしょうが、何も反応はないでしょう。

私の場合は神を裁きました。神は沈黙されています。その沈黙に耐えきれず、神の本質に不信を抱き、絶望していきます。そして終には、死にたいという願望が顔を出してきます。何もかもが嫌になった、地上で生きていることは無意味である、全て捨てたいという思いです。自分に残された希望は何もないという思いです。絶望・・・。

ここまで来て私は初めて、「これも自分の心と行いの結果である。このまま死ねば地獄にいくことになるだろう。しかし、原因が自分にあるなら、今はもう思い残す事はない。」と思っていました。そして守護霊に「K会の計画は失敗した。私はこの通り存在価値がないので、早く引き上げて下さい。」と常時意識を向けていました。

しかし、沈黙が続き、状況は悪化を続けていきました。
 
ところが、この絶望の淵、絶望の果ての果てに神の御技は待っているのです。



<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました

心理学の専用のブログです。
関心のある方は、下記へアクセスください。
http://tanemura2013.blogspot.jp/
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>
種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198


 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿