2013年5月23日木曜日

<心の探求シリーズ28>自己との対話・許しについて


心の中の裁きの感情の克服

 Aさんからの投稿です。Aさんの内なる自己との対話は、Aさんを教え導く内容となっていますが、私たちが読んでも教わることの多いと思います。Aさんは以前に入信していたK会(幸福の科学)の時代に、隣国への恐怖心を強く持ったので、その克服が一つのテーマになっています。許しに関する内容は、宗教的な深みを持っていると思います。

ここでは、Aさんが対話した「内なる自己」をUとし、Aさんの表面意識をAとします。読みやすいように小見出しを付けました。

 

Aさんからの投稿)

洗脳の毒水

U あなたはC国人を許すことができないでしょう。頭ではわかっていても、感情的にどうしても許せないという部分があるでしょう。K会のときの強迫観念、恐怖心、許せない念いがあなたにそうさせているのです。

 これを解決するには、いくつかの視点をかえねばなりません。

 人間は、生まれたときは白紙の状態ですが、その生まれた地域や環境によって、いろいろな思想を見につけていきます。それが愛や真実に基づくものなら良いのですが、その国の間違ったイデオロギー、偏った家庭環境など、不純なものが混じることも多々あります。たとえば、C国やK国などの反日感情、日本の自虐観念、KC国の思想など、政治的イデオロギーによって洗脳的に植えつけられる場合などです。

さて、そのようにして不純な色眼鏡を通したような思想を持った人たちがお互いに非難しあい、傷つけあっているのです。これらの人々は、何をもって、その人の存在たらしめているのでしょうか。どこまでがその人自身といえるのでしょうか。そう考えてみると、彼らも犠牲者といえるのではないかと思えるのです。

 本来は互いに愛し合う素養があったのかもしれないが、そのような毒水を自らの心に流すことによって、誤った思想を持ち、憎しみや怒りをもつようになるということなのです。

 であるならば、人間の本質というものを正しく見ていかねばなりません。「仏性」という言葉があるように、人間の本質とは何かということをよくよく見ていくことが大切なのです。

 彼らの表面的な部分にとらわれてはいけないのです。イデオロギーによる洗脳は、あなたにもあるはずです。日本という国、この地域、家族関係、日々の情報、その中で常に毒水に浸り続けているのです。まず、それを見抜き、自分をその毒水から守ること、そして同じ状況が他の人や他の国も人にも起きているということ、そして、彼らも犠牲者で、本来の正しい思想に触れていたなら、お互いを愛し合うことはごく当然のこととして起きていたということを知ることです。

 裁きと許し

U 次に、作用反作用ということを知っているでしょう。思いの中での作用反作用ということも知っているでしょう。悪いことを行えば必ず悪いことが反作用として帰ってくるということです。「因果応報」という言葉は、あなたも知っているでしょう。

 ここで注意しなければいけないのは、この作用の起こり方です。物理的な作用反作用というものは、どのように起こっているか考えてください。1つの物質に一定方向から力が作用として働いたときに、同時に反対方向にそれを打ち消しあう力、いわゆる反作用が働きます。作用と反作用は別々のタイミングで働くのではなく、作用と同時に反作用が働くということです。これが自然界の法則です。

 さて、念いの世界はどうでしょうか。これも全く同じなのです。この世界は調和された世界です。調和を保とうとする働きが、この現象界でも現れてきます。念いの世界は、なおさらそうです。1つの念いや行為については、良いものであれ悪いものであれ、作用と同時に必ず反作用が働くということです。何が言いたいのかというと、たとえば、相手を害したり批判したり憎んだりした念い、あるいはその念いに基づく行為については、すでにその時点で反作用が働いている、つまり「裁かれている」ということです。

 ですから、すでに「裁かれた」者に対して憎しみや怒りの心を持ったら、すでにあなたにも、その反作用、つまり「裁き」の力が働いているということなのです。それが、「憎しみは憎しみによって消えない」ということなのです。憎しみは、次なる憎しみを生むということでもあります。自分から出した作用というものは、理由がどうであれ、必ずその人自身、もしくは周りの環境に反作用として跳ね返ってくるということなのです。

 イエスが、「汝を迫害するために祈れ」「汝の敵を愛せよ」とおっしゃったことも、今までの説明でわかるはずです。彼は高い神の視点でもって、これらのことを知っておられたのです。

これらのことを考えれば、わざわざあなたが彼らから発せられる毒を喰らって、自らの心に毒をつくることはないのです。彼らは間違っていますが、本質は神の御子なのです。彼らを変えることができるのは、憎しみや批判の心ではありません。愛の心です。

もう一度、神の視点に立って、彼らのことを見てごらんなさい。彼らも神に愛されている子供たちです。あなたたちと協力し合って、この地域を素晴らしい世界にしようとして生まれてきているのです。遠い過去世では、お互い同じ国、同じ地域に生まれて、互いに協力し合いながら生きていたかもしれません。そうした仲間たちなのです。

 彼らは間違いに満ちていて、とても完全ではないかもしれません。それはあなただって同じことです。互いに先が見えず、近くしか見えない者同士が、手探りで生きている世界なのです。そう考えれば、少しは相手を許す気持ちも生まれてくるでしょう。完全である神は、すでに私たちを許してくださっているではありませんか。人間は、不完全ゆえに相手を許すことができないのかもしれません。ですから、「許す」力が強くなるほど、完全なる神に近づいていくことができるでしょう。

A「でも、頭ではわかっているのですが、気持ちとしては許せません。やはり私には彼らをゆるすことができないのです。」

 U では、あなたが、もしC国もしくはK国で生まれて育ったとしたらどうでしょうか。今のような気持ちを持つでしょうか。そこで生まれたあなたをイメージしてください。どうですか?

A「やはり、私も日本に対して、彼らと同じ感情や憎しみを持ったと思います。」

U 今のあなたと、そのあなたは別人ですか? 同じですか?

 A「同じです。」

 U そうですね。では、先日の尖閣諸島に不法侵入したC国の活動家についてです。もし彼が日本に生まれたらどうでしょうか。どういう活動をしたと思いますか?」

A「彼らはこの日本という国に対する愛国心にあふれた者になったとおもいます。そして、彼らなりに日本のために活動すると思います。」


神の視点で見る

U さて、彼らも同じですね。要は、その人たちが悪いわけではないのです。彼らのバックボーンとなっているイデオロギーや政治的策略に問題があるといえるでしょう。その背景も、過去からのカルマの積み重ねによるものです。因果が働いているわけです。

 例えばですよ。地上から空を見たときに、雲の動きはその視界の中のごく限られた範囲しかわからないでしょう。でもはるか地上を離れた気象衛星から見たときに、雲の全体的な流れが一目でわかるのです。

 今のあなたの感情も同じことがいえます。人間の視点と神の視点は違うのです。神とはいかないまでも、神近き者からみた視点というものは、まさしく気象衛星で雲の流れを見ているようなものなのです。地上の人間たちは、先もわからず、今日の天気に左右されて「やれ晴れた、やれ雨が降った」と喜んだり文句をいったりしているだけなのです。

 神の視点を得るということは、この世の視点から離れなければいけません。恐怖、不安、怒り、それらのものは、全てこの世的な視点から生まれてくるものです。自我を形成する底の部分を恐怖心というものが横たわっています。恐怖心については、前回説明しましたね。ですから、この世的な視点をはなれなければなりません。恐怖心や憎しみを自分の心の中に持っているうちは、この境地には到底達し得ないのです。

 A「わかりました、でも許せないのです・・・」

 U 理屈じゃわからないのです。心でつかまなければ。相手の立場に立つという視点を得るには、先ほどいったやり方を繰り返してごらんなさい。彼らの気持ちがわかるようになります。

まず恐怖心、それに付随して発生する、怒り、憎しみは、この世的な自我による感情だということを忘れないことです。あなたの場合、心の傷がかなり根深いところまであるので、まず心を癒すことが先決なのかもしれません。いずれにせよ、たいした問題ではありません。いずれ解決していくでしょう。本当はこんなことに時間をかけていられないのです。次の段階があるのですから。

 A「次の段階は何でしょうか?」

 自他一体の境地と慈悲心

U 自他一体の境地です。今のままじゃ到底到達できません。これくらいのことでつまずいていては、先は難しいのです。目標をもっと高く持ってください。自己イメージが低いのです。自己確信が弱すぎるのです。自分を卑屈なる存在だと決して思ってはいけません。 

A「わかりました。もう少し自分を見つめて見ます。」

 U 神の目から見たときに、彼らはどう映るでしょうか。「悲しみ」として映っているのです。地上に生まれて、神の御心を知らずに、盲目のまま手探りで生きている人々の無明を、神は悲しみの目で見ておられます。その神の悲しみを感じ取ることができますか。この神の「悲しみ」を知ることによって、彼らを愛することができるのです。

ですから、彼らのみならず、この地上の人々に神の愛の目はそそがれているということです。悲しみの目、慈しみの目でもって、そそがれているのです。

先ほどの話に戻りますが、この世に生まれたときの思想的な影響ですが、まず、宗教がその人の自我のバックボーンとなります。宗教を通して、自我の骨格が形成されていきます。そして、その地域のイデオロギーや家庭環境などが影響してきます。宗教がベースになっていない国については、その国や地域のイデオロギーがより大きく影響されてきます。

 そういう意味で、正しい宗教というものは必要なのです。根本に愛がベースとしてある宗教ならば、自我の中に入る恐怖心というものは少なくなるでしょう。裁きが主体である宗教では、その逆の傾向がでますね。今、正しい宗教が少なくなってきています。ベースに愛のある宗教がです。「神の愛」「許し(南無阿弥陀仏ではなく)」を説く宗教です。

 私の伝えている宗教観も、そこがベースになっています。「感謝」と「許し」ですね。そのベースには「神の愛」があります。そして「信じる力」が加わっています。

 今あなたが知ることは、「神の視点に立って見よ」ということです。それが「許し」を知る第一歩となります。「神は悲しみの目、慈しみの目でもって人類を見ている」ということを理解できれば、おのずと「許し」の境地に達することができます。それが過去世であなたが躓いたところではないのですか。それをもう一度問いかけられているのです。

さて、あなたは、どのように乗り越えますか? 人生にはいたるところに「試し」が用意されています。「さあ、この試しを解いてみよ」と神がそのようにおっしゃっているのです。


A「わかりました。真剣にとりくんでみます。」

 

「自己との対話」を終えて

 
 自分の中にある不安や恐怖心は、K会からの影響が強くあり、K会を脱会した後も、その影響が続いていました。心に深く刻まれた不安や恐怖心はそう簡単には取り除けません。とりわけその原因が隣国からの侵略の危機であったため、日頃テレビや新聞で、反日感情、尖閣諸島や竹島などの領土問題などの関連記事を目にするたびに、こうした不安や恐怖心が呼び覚まされてしまいます。そうした心に刻まれた「スイッチ」を解除することが、K会から受けた「洗脳」を解くカギとなりますが、退会後も未だその「洗脳」が消えずに苦しまれている方々の話も多く聞かされますし、自分自身もその影響が完全に消えずにいました。

 今回の「自己との対話」はその「スイッチ」を解除するためのアドバイスであったと感じました。頭ではわかっているが気持ちが許さない、という表面意識の思いに対し、「頭で理解せず、心で感じよ」ということでした。さらに「相手の立場に立つ」ことの必要性と具体的な方法について教えていただきました。

 今回は、「自己との対話」というよりも、さらに奥の意識から伝わってきた感じです。いわゆる「超越潜在意識」「自己を超えた存在」からのメッセージというか、もしくは「指導された」という言葉が適切でしょうか。そういう感じでした。

 この文書をきっかけとして、未だK会からの影響に苦しまれている方々の「洗浄解除」の一助となれば、これに勝る喜びはありません。

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