2013年5月17日金曜日

<心の探求シリーズ24>「心の浄化作業①②③」を読んで


「影」との対決を学ぶ
 

 「心の浄化作業」①②③は、Aさんが自分の心の中に繰り返し起こってきていた「嫌悪の感情」と向き合い対話した記録でした。

Aさんにとってはこの「嫌悪の感情」はAさんの「影」に当たるものでした。自分を苦しめる醜く見たくない感情だったのです。しかし、それを異排斥し、抑圧しているうちは、この「嫌悪の感情」は消えることがなく、どこまでも自分に付きまといました。

しかし、それと向き合って、これも自分だと受け入れて対話した時に、「嫌悪の感情」は浄化されて行きました。いうなれば「成仏」したのです。


これを宗教的な方は「憑依霊」のエクソシストのように感じる方もいると思います。でもそれとは異なります。なぜならこの「影」はAさんの心の一部だからです。

もちろん憑依(のりうつり)がなかったとは言い切れません。しかし、そうであったとしても、Aさんのいしきの中にこの影は存在していたものです。それは過去世の体験かもしれません。
 
「影」とは、本人の一部でありながら、本人を害するものです。通常人は「これは私ではない」といって目を背け、否定し、拒絶して、抑圧します。しかし、それではいつまでも影は付きまとい、苦しみは続きます。影を浄化する方法は、影と向き合い、それも自分自身だと受け入れて、影の気持ちを深く共感的に理解することです。それによって影は癒され、浄化され、自分の一部として統合されていきます。そして気分の智慧や深い体験の記憶として働いてくれるようになるのです。
 
このプロセスはユング心理学では「影との対決」として知られているものです。仏教では魔境の克服と言われているものだと思いますが、一つの悟りです。しかし、申し上げておきたいことは、影は自分自身の一部であり、表面意志によって拒絶され、抑圧されてきた部分でもあるということです。単に「除霊」したり「エクソシスト」をして消えたらいいといった「のりうつり」の類ではないのです。それは受容され、共感的に理解されることで癒されることを欲している自分の意識です。統合を欲している自分自身の意識なのです。

 Aさんは最後に超越潜在意識との対話を通じて、影の意味について考察しています。非常に深い内容があります。
 
なお、影との対決、そして統合について深く学びたい人は、『ゲド戦記』の第1巻をお勧めします。これはユング心理学を下敷きにした、非常に深い魂の物語です。
 
このAさんの投稿を読んで感じることですが、「影」である「嫌悪の感情」はAさんの過去世の意識のうち浄化されていない部分ではないかと思われます。第2次大戦で死んだかどうかを断定はできませんが、すくなくともそれと同様の体験を過去の時代にしていたのではないかと思います。
 
のりうつりがこの対話に影響している可能性も捨てきれません。しかし、もしそうだとしてもAさんの深層潜在意識の中に、同じような意識がなければ、のりうつりも影響を与えることはできなかったはずです。

 K会では、過去世の自分が地獄に堕ちた場合、その魂はある程度浄化されて地獄から出てこなければ生まれ変われないと教えています。しかし、カウンセリングの実際で経験を重ねると、それは真実とは言えないのです。宗教的に言えば地獄に堕ちている魂に相当する部分が「影」として登場してくるからです。

ただし、影が抑圧されていて、自分の意識から切り離されている状態が、ひょっとすると宗教的には地獄に隔離された状態に相当するのかもしれません。そうすと「統合」は、「影」が地獄から出てきた状態ということになるのかもしれません。
 
宗教で体験され説かれていることと、心理学的に解明することは今後の課題の一つです。しかし、いずれも心を扱っている以上、その解明は可能だと思います。

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