2013年5月12日日曜日

<心の探求シリーズ19>内なる自己との対話が続く


自己不信を克服するために



Aさんは内なる自己との対話から、数多くのことを学ぶようになりました。

また自分の指針を、内なる自己との対話から得るようになりました。
そして定期的にカウンセリング講座に勉強に来ては、その内容を深めたり、

確認するという心の探究スタイルが生まれました。

そうしたプロセスで生まれたAさんの「内なる自己との対話」を紹介します。
それは私も非常に啓発される内容でした。
 
(Aさんによる投稿)

 
先日の「自己との対話」(注※)の3日後に、心の奥から何か伝わってくるものがあったので、それを書き留めました。それは「信じる」ということについての内容でした。少し前に「感謝」と「許し」についての内容のものがありましたが、その続きのようでした。
  (注※「⑰不安の本質をつかむ」に掲載

 
1.信じるということ
 
 「感謝」と「許し」についての道を示してきました。もう1つ示すことがあります。
それは「信じる」ということです。ここでいう「信じる」とは、神の存在、霊的世界の存在を信じるということです。信じるとはどういうことか。何の根拠もないのに「信じ込む」ということなのか。この世的な環境の中で信じるには、どうすればよいのか。

イエスの時代には、多くの人々は、イエスの奇跡によってそうした世界を信じることができたのかもしれませんが、当時の人々は結果的にはそうしたこの世的な「しるし」を求めました。

 
 今の時代もそう変わらないでしょう。この世的な文明は向上しましたが、心の段階においてはレベル的に変わっていないのです。霊的証明のための「しるし」として、確かにそれも方便として必要かもしれませんが、本当の意味において、それでは不十分なのです。


 「信じる」ということは、霊的にみれば、この世における1つの力なのです。この物質世界の中において、霊的世界とつながる1つのキーワードなのです。「信じる」ことによって、霊的世界とのパイプができるのです。この世的な視点でもってしては信じることなどできません。この世的な視点とは全く別個のものなのです。
 では、どうやって信じるのか。自分の心に暗示をかけて「信じ込ます」ということなのか。それでは単なる自己暗示、盲信となってしまうでしょう。そうやって自分や他人を信じ込まそうとしても意味のないことなのです。何の根拠もないのに「信じる」ということはできません。
信じるためには、必ずその根拠となるものが必要になります。それはこの世的にいえば、科学的実験もしくは科学的根拠によって、結果として科学的に証明できれば、人々はそれを事実として信じる、という意味に近いかもしれません。それは、この世的に言えば、ということです。
 では、この世的なものとあの世的なものの何が違うか、ということです。そこに、「感謝」と「許し」ということがかかわってくるのです。


 「信じる」前の根拠として、「感じ取る」ことが必要なのです。信じるということは、この世的に証明することはできません。神の光、神の御意思を「感じ取る」ことによって、神の存在そして神の創られた霊的世界の存在を「信じる」ことができるようになる、ということです。
 ここまで言えばわかるでしょう。「信じる」ということは、「感謝」と「許し」と一体であるということなのです。正しく「信じる」ためには、「感謝」からはじまり、神の「許し」を感じることによって、「信じる」ことができるのです。それによって、自らの内にも「許し」の心が生まれてくるということなのです。


 ですから、「感謝からはじめよ」ということを何度も言っているのです。「感謝」とは、自らを輝かせ、そして世界を輝かせる大きなキーワードなのです。真に神を「信じる」ことができれば、それはさらに大きな「感謝」の心となって自らに返ってくるでしょう。そしてそれが大きな循環となって、まわりの世界を輝かせていくことになるでしょう。
「感謝」を循環させることです。それが修行課題となってきます。


 自らの心を見つめ、「感謝を深めるにはどうしたらよいのか」ということを日々の考案として取り組んでいきなさい。公案によって考えを深めていくことは、あなたの得意分野であるはずです。続けていけば、どんどん深く、高くまで進めることができるでしょう。
 悟りの道もそこにあることを、よくよく心に留めておくです。
 
(Aさんからの投稿:同じ日にきたインスピレーション)

 同じ日に、別のインスピレーションが下りてきましたので、書き留めました。

 
2.不安の克服について


 心の中の不安を克服するということは、心の中に光を入れることだといいました。心の中に光を入れることによって不安を消し去っていくということでありますが、単に不安が光によって消えるということではありません。光をさすことによって、不安や心の中の闇の部分が浮き出てくるということ、そして初めて、不安や心の闇を消し去ることができるということなのです。
 八正道研修のときのことを思い出してください。そのときに行ったことは、縁ある人々への反省ということでした。まず父親がいかに自分を愛してくれていたかに気づき、深く感謝をしたはずです。それから縁ある人々への感謝の思いを深めていったはずです。


 その後、心の中にあった過去世の不安な思いがわきあがってきました。反省をしているのに、どうしてこのような不安で悲しい思いが出てくるのか不思議に思ったはずです。それが、光をさすことによって、心の闇が浮き上がってくるということなのです。
 そうしたことが、これから感謝の思いを深める修行をしていったときに起こってきます。このときの研修のときよりもはっきりと思い起こしてくることでしょう。過去世で経験した辛い思いがよみがえってくるのです。しかしその思いを出してしまわないと、これから先には進めないのです


 じつは、無意識のうちに、その不安な思い、過去世の記憶を呼び覚ますのを怖がっているのです。そのために、感謝の思いというものが十分に出せず、いつまでもかすかな不安を抱いたまま、現状に甘んじているのです。そして、その怖がる思い、臆病な心の部分に魔がつけよってきているのです。その部分がストッパーとなって、本来の自分が目覚めるのを止めているからです。
 しかしながら、不安というものは、スクリーンにうつった影にすぎないということを思い出してほしいのです。不安の正体、過去世の辛い記憶というものは、そのような実態のないものに過ぎないのです。影におびえている自分がいるだけのことです。ここを通り越して初めて、「不安」というものが消えていくのです。
 そのあとに本当に世界が待っています。光り輝く世界が待っているのです。私はそこで待っています。大きく手を広げて、あなたが来るのを心待ちにしているのです。早くこちらの世界に来なさい。勇気を持つのです。あなたはつねに私たちに見守られているのです。ですから、安心してこちらに来なさい。
 今の課題を見事乗り越えてください。まだ次の課題があるのですから。このようなことで躓いてはいけません。がんばりなさい。
 
 
 
(「自己との対話」を終えて)
 
 今回の「自己との対話」を行うに際して、自分なりにどのような修行課題を持って生活していけば良いのか、ということを自らの内に深く問うていました。そうした中で得られた回答でありました。


 今の自分の修行課題として、「感謝」「許し」「信じる」を中心として修行せよ、ということであると感じました。
 1つ1つが重く深いテーマです。そしてこの3つは互いにつながっていることも、今までの「自己との対話」から察することができます。
 
 
 このように、「答えは自らの内にある」ということが良くわかります。私の場合はこのような回答を得られましたが、他の方々それぞれが「答えを自らの内に強く求めれ」ば、必ずその人に最も適した答えが、最も適した形で返ってくると確信しています。

 
(種村:コメント)


 Aさんが受け取る心の内なる自己(深層潜在意識)の声は、非常に内容が深いものでした。

 その声はAさんを励ましながら、一歩一歩Aさんの理解に合わせて、導いているように見えます。そうしたことが深層潜在意識である内なる自己との対話ではしばしば起きてきます。
 

 

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