2013年4月7日日曜日

思考停止


思考が止まった先に異常が広がる

私は最近、初期のころK会の会員だった人と話をする機会がありました。そこでK会のある公的な部門の責任者をされているYさんのことが話題になった時に、私はこんな話をしました。

Yさんはかつて、K会に敵対していたS教授を追い落とすために、謀略を仕掛けたことがありました。あるスポーツ紙に、S教授のいる大学の生徒の父親を装って電話をしたのです。

「うちの娘が、S教授からセクハラを受けて苦しんでいる。あんな男を教授においているN大学は許せない。」

そのスポーツ紙は、面白いネタであれば、事実の裏を取らなくても掲載するという、いわば際物記事で有名な新聞社でした。この記者はYさんの話に飛びつきました。そして記事が出たのです。

S教授は、それから時をおかずして、N大学を辞めました。

Yさんの話をネタにした新聞記事が、彼を追い込んだのかどうかは知りません。しかし、こういう謀略ができる体質を、このK会のトップも幹部も持っています。「でっち上げてでも敵をつぶせ」を「参謀の鉄則」の教えとして教えるところなの、今もその遺伝子は生きていると思います。

その当時私は、K会の別のセクションにいましたので、直接その謀略には関わっていませんでした。会内でもこの話は極秘で、ほとんど知る人がいないのだそうです。

Yさんの上司だった人は、その当時、教祖にも報告は上げ、内うちの了解は得たそうですが、一切の痕跡は消したといわれました。


そういう話をしました。これを聞いた人は、「それは本当なのですか」と尋ねました。当然の疑問です。

私は「その時にYさんを使って作戦の指揮を執っていた人から聞いたので、間違いないと思います。」と答えました。

すると彼は、「そういうことをする団体は、人間として終わっている。許せない。」と言いました。


私は彼の言葉にはっとしました。というのは、彼の反応は、私が「見ないようにしていたもの」を一突きにしたからです。私は自分のスタンスが恥ずかしくなりました。

私のスタンスは、K会の体質に謀略体質があり、そういう謀略を平気で出来るYさんが公的な部門の責任者をしていることがとても気がかりだと、いわば評論家的な立場で話したのです。

しかし、彼は「人として許せない」と本当に怒りました。私は、自分がそういう団体に職員としていたことへの後ろめたさから、そこまでは考えていませんでした。どこかで自分をごまかしていました。その奥に働く心理は、「自己正当化」でした。そしてもっと奥には「思考停止」があると感じました。


かつて私の中には、ある一点に来ると必ず思考停止する地点がありました。それは「教祖がこう言われた」ということです。

教祖は宇宙的な正しさの基準であり、すべての法の源泉であると教えられてきました。「法そのものの人格化、法身仏の人格化した方が教祖だ」という信仰が説かれ、それを信じていたからです。ですから教祖様がこういわれた」という言葉は絶対であって、その言葉を聞いた途端、すべての思考は停止して、それをそのまま素直に受け入れるという「条件付け」がなされていたのです。

さらにいうなら「教祖には深いお考えがある」という言葉です。しかしその深いお考えは決して示されることはありません。そこで弟子が勝手に考え出す必要が出てくるのです。


私は最初期からK会にいた人間なので、最初は批判的な見方や、わからないものは分からないとする見方を持っていたし、以前に学んできた光明思想に照らして考えてもいました。

しかし、やがてそれは許されなくなりました。教祖への信仰強調する三宝帰依体制が強化された時期に、「素直さ」ということが月刊誌で説かれました。私の上司で、元銀行マンの方は、私にこの素直さが欠けていることを、それとなく諭してくれました。教祖の指示を受けての教育だったと思います。

それが何を言われているのか、私には最初ピンと来ていませんでした。しかし、教祖の言葉や方針に絶対に素直に従う人は出世し、そうでない私は左遷されるという経験を通して、その言葉の意味が分かりました。私は「自分には信仰心が足りないのだ。素直さとは教祖様を絶対に信じることなのだ。」と肝に銘じたのを覚えています。

この時以来、私は「教祖様がこう言われた」「教祖様はこうお考えです」というと、その言葉や方針に全面帰依する習慣ができました。これは心理学でいうところの「条件付け」の完成であることが、今は分かります。


こうなると、真理である法に合致していなくても、世間の常識に違反していても、それについては一切思考停止して考えず、ただ素直に従うという行動パターンが生まれます。それを支える条件が、いくつもK会には用意されていたことに気が付きます。気が付くことを羅列してみます。

教祖は法の上にある存在

「仏法僧はこの順番で尊い。仏陀は法の立つものなので法を自由に説き変えることができる。したがって、以前こういう法を説いたのに、今はそれに違反することを言っている批判するのは愚かである。法の上に立ち、自由に法を変更できるのが仏陀である。」

こうして、教祖が過去の法を無視して、何を説いても正当化されるようになりました。

これは「方便の時代は終わった」で高橋信次氏を否定する方針に変わったころに説かれました。三宝帰依体制を作るときです。私はこの時に、K会の中心的な立場にいましたので、責任は免れません。

批判勢力は悪魔の支配下に置かれている

これを信じると、マスコミとの戦いは悪魔との戦いになります。K会を批判する住民活動も、みんな悪魔の支配下です。ですから、謀略を使ったり、脅したりしても、良心は痛まなくなります。相手が悪魔であれば、でっち上げても、だましても、それは全部一種の「兵法」として正当化されていくのです。

自分の良心が抵抗を感じても、それを思考停止させて、良心の機能を停止させるのです。

私はK会にこの思想が入っているので、K会がオウム化していく危険を感じています。同質の要素を感じるからです。

教祖は大宇宙の根本仏の人格化であり、1.5億年に一度しか生まれない

この論理は、この時代に教祖に奉仕することが比類のない絶対価値であるという思考と感情を植え付けます。そのために、家庭崩壊しても教祖の指示に従うほうが尊いという思考と感情が生まれます。子育てを放棄しても、「子育ては来世でもできるが、教祖に奉仕することは今世でなければできない」と自分に言い聞かせて、活動にまい進します。まして、ご主人に隠れて預貯金を布施するなど、当たり前の行動です。「たとえご主人は知らなくても、教祖に布施した功徳を、ご主人も受けることができる」と言われて、良心の呵責を抑えこみます。

さらにその絶対とされる教祖が離婚し再婚したので、信者の家庭崩壊は、歯止めがなくなったと思います。教祖が自分を正当化するために前妻の悪口を言いまくったので、そういう風潮も蔓延すると思います。


根本神は自分の心の中にいます。これは絶対に真理だと思います。ゆえに、人は自分の判断で正しさを選択していかなければなりません。自己責任の原則は確かに働いていると思います。

しかし、教祖が宇宙の根本仏の人格化であると信じ込むと、教祖の言動を批判するような思考は全部停止します。疑問を持つことすら恐ろしくてできなくなるのです。なぜなら「信仰のロープを離すと地獄に堕ちる」と説かれているからです。

それが理に適っていることかどうかは、全く考えなくなります。思考停止してしまうからです。

しかし、内心の疑問は消えないので、どうにかそれを納得させようとして「合理化」の作業をします。つまり自分が納得できるように、自分で論理を組み立てて自分自身を説得するのです

こうなると、教祖はいちいち言い訳をする必要がなくなります。信者が勝手に合理化してくれるからです。合理化によって自分を納得させてきた人は、それを人にも伝えます。するとその人はK会の中で重宝されるのです。

私は、自分がなしてきた「法の解釈」には、多分にそういう合理化の要素があったと思います。特に活動の正当化や宗教行為の正当化には、法を駆使して、またそれまでの宗教知識を駆使して、合理化のための「解釈」をしてきたと思います。そういう点で、私には罪があると思います。その償いとして、このブログを書かせていただいています。


思考停止K会の洗脳の装置です。思考停止の先には異常な世界が広がります。その危険があります。

思考停止は智慧の否定です。その次に来るのは盲信、狂信です。仏教は智慧の宗教です。智慧を否定する「思考停止」の行動パターンは、本来の釈尊の教えから最も遠いものです。

思考停止の後に来る「合理化」のための知性は、自由を失った奴隷の知性です。この「思考停止」、そして「奴隷の知性」の「呪縛」から解き放つことが、真の解脱であると思います。



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1 件のコメント:

  1. <読者からコメントをいただきました>

    「思考停止」を読ませていただきました。
    圧巻です。

    KKの全ての根本原因が網羅されていると思います。

    私は職員ではありませんが、親しい職員さんや元職員さんは何人かいました。

    思考停止のなかにあったことを感じさせることに何回も出あいました。
    私が、それっておかしくない?と言うと、嘘で塗り固められた情報をその人がそれを確認もしていないのに、二言目には仏言だから、と言うのです。

    他の個人的な問題には的確なアドバイスを出せる人がそう言うのです。

    教祖がいくら法を説き替えることができるからと言ってもおかしいものはおかしいのです。

    仏陀釈尊が世間偈のあったかたということと、その教えが全世界に広まっても問題がないかどうか、という二点に照らし合わせておかしいものはおかしいのです。

    私はそれで判断してきました。

    それに照らし合わせるととてもついていける団体ではないので脱会しました。

    思考停止は全職員に読んでいただきたいと思います。

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