2013年4月16日火曜日

<心の探求シリーズ8>心の探究方法


劣等感と優越感を乗り越える

 
自分の心の課題に向き合う時、「小さな心の叫び」に注目します。
心は自分の課題を告げてきます。それをしっかりと聴き取るときに、自分の向き合うべき問題が何かが見えてきます。
そして、その小さな、かすかな心の叫びを受け容れます。そして向き合い、理解しようとするのです。何が言いたいのかを理解したならば、どうしてそういう思いが出るのかを問いかけます。

その問いかけをもっと「深いところにある自分の心」に対して行うのです。

すると心の中から回答が下りてくることがあります。
これが「自己との対話」です。
自分の内なる神近き心との対話と言ってもいいでしょう。

宗教の洗脳を解くときも、こうした手法が有効です。
自分の外にある何かを信じて依存するのではなく、自分の内側に宿る英知をよりどころに判断するのです。それによって、自分を信じることができるようになり、宗教への依存から抜け出ることができるようになります。

Aさんの心の対話を通して、そのコツを知ってほしいと思います。
 
Aさんからの投稿)

今日の授業ありがとうございました。とても勉強になりました。

 授業があった日の夜は、心の波長が精妙になるせいか、心の対話がうまくいくので、時間を取って少し対話を試みてみました。少々長くなりますが、おつきあい下さい。 
今日の授業の最後の方で、「プライドが傷つけられた時に怒る人に対して、どのようにアドバイスができるか。あなたの深層意識から伝わってくるアドバイスの言葉を教えて下さい。」という内容のものがありましたが、そのとき全くインスピレーションがうまく降りてきませんでした。

そして、そのとき感じたのは、そこに何ともいえない不安と、何か心の中でブレーキを踏むような感じでした。また、「自分には無理だ。」という、何となく心に引け目を感じました。自分に対する自信のなさを感じました。
なぜそうなるのか、心静かに思い返していると、心の中から小さな叫び声を感じたので、静かにメモをとりました。

以下に続きます。
 
「自分はそんなに優れた人物じゃない。そんなに優れた器じゃない。
自分のような器に小さい人間に、そんな大それたインスピレーションが降りてくるはずがない。
自分は人に認められたいと思っている。人より優れたいと思っている。
でもそれは間違った考えだ。そのような考えであってはいけない。
優れていると言うことは、人の上に立つと言うこと。人を支配する立場になるということ。
それではいけない。平等でなければ。互いに愛し合わなければ。
だからだれが人の上に立つということはいけないことだ。横一線がいいんだ。」
 
(人の上に立つと言うことは、それだけ自分に厳しく、愛を深めなければいけないということではないのでしょうか。)
 
「人の上に立つ。優れる。つまり、『優越感を持つ』ということは、いけないことだ。
人との比較を行って、人の上に立ったような気分になる。それは、戒めなければならない。
『優越感を持つ』こと、そしてこの欲求が、人を支配するという感情を起こさせてしまう。それは悪の根源だ。
人を支配したいという思いは、神の意志から大きく外れている。」
 
(自分を蔑んでしまうという思いの根源は、「優越感を持たないようする」ことの戒めであるこということなのか?)

 「そうだ。人はすぐ他人と比較し、『人より優れたい』と思う。
でも、互いに愛し合うには、そのような思いは不要なものであって、
それは発展に結びつくかもしれないが、逆に、悪を発生させる基ともなる。」
 
(人より優れると言うことは、多くの人を幸せにできるということではないのか? 「優越感を持つ」ことに対する罪悪感とは何なのか?)
 
「自分は『優越感』をもつのがイヤだ。人と比較するのがイヤだ。
人と比較することは良くないこと。だから自分は優れた人物と思いたくない。
そうだ。自分は人より劣っているのだ。劣っている人間が、人より優れているなどありえない。」
 
(その考えは正しいのか?)
 
「人間というのは、劣っている部分もあれば優れている部分もある。
一律ではない。それぞれが優れた部分を持っている。
劣等感を持ちたくないんだ。本当は人より劣っていると思いたくない。
比較することは良くない。でも比較してしまう自分がいる。比較して自分の優劣を考えてしまう。
そんな考えがイヤなんだ。わかっているけど、どうしても比較してしまう自分がいる。
そんな自分がイヤなんだ。
比較して、自分の存在を確認している。自と他を分けてしまう考え。そのような考えがイヤなんだ。
どうして、そのような思考パターンがみについてしまったのだろう。
そのような思考パターンが心を不自由にする。魂の不自由を生んでいる。本当にいらない考えだ。」
 
(じゃあ、その思考パターンを取り除いていきましょう。)
 
「そうしたい。この心の苦しさから自由になりたい・・・。」
 
・・・と、このような心の葛藤があることがわかりました。

自分が自己卑下をする理由の一つとして、「優越感を持つことへの罪悪感」があるようです。
ただし、それは「劣等感を持つことへの嫌悪感」の裏返しであるようでした。
人との比較をしたくないということのようですが、心の底には強い劣等感というか、心のキズがあるのでしょう。
 
そこで、視点を変えて、どのようにすればよいのか、心の奥に問うてみました。
以下に続きます。
 
(まず、あなたはどうしたいのか。どのような心の状態が理想なのか。着地点はどこにあるのか。)

 「心は自分の思い通りになるものです。
心を支配することができれば、こうはなりません。
そうならないのは、心を支配し切れていないということ。
心の操作ができていないということ。
また、心の中を十分にわかっていないということです。
心を支配すると言うことはどういうことか。
心の中の状態、しくみが完全にわかっているということです。
そうして初めて、自分の心を支配できるということになります。
つまり心をコントロールすることができるということです。
まず、心の中を知ることです。
まず、その思いは正当な思いかどうか。
この世で得た思考パターン、それは心の中の『縛り』ともいえるものです。
そう、自分で自分を縛っているのです。
 まだまだ心が透明でなく、この世的な思考パターンに染まりすぎているので、インスピレーションもまだストレートには下りてきませんね。
もっと透明な心をイメージして、透明な心をしっかりと思い描くことが大切ですね。
心は、その思った通りになります。
今はそうでなくとも、思い続けることによって、それに近づいていきます。
ですから繰り返し、透明な心を思い描くこと。その感じをつかむこと。
限りなく透明な心・・・。それが自分の体を伝って、周りに拡がっていくイメージを持つこと。
光ではありません。まずは、心が澄み切った後に、静かに光が流れていくイメージ・・・。
よけいなことは考えず、まずはこれに集中すること。これは初歩の瞑想です。
自分の存在がまわりを浄化していくというイメージを持つことが大切です。
具体的には、透明な空気が周りの穢れを取り除いて浄化させていく、というイメージ。
そのような瞑想を少しの間続けていくことです。」
 
(自分は今まで入信していた宗教団体をやめたあと、どうすればよろしいですか? 何を心の支えとして生きていけばいいのでしょうか。不安でしかたがないのですが・・・。)
 
「これからは自分で判断していかなければいけません。自分を信じることが必要です。」

 (お世話になっていた宗教団体からは)学ぶべきものは学びました。)

 「あなたは何を学びましたか? それを実践したでしょうか?
頭の中で理解し得ただけではないのですか?
あなたは、それをどう消化して、どう実践していきますか?
本当に消化し得たときに、それは実践に移るでしょう。
そして実践を通して、消化が進み、自分のものとしていくでしょう。
これからは、自分の足で歩んで行かなくてはなりません。
勇気が必要でしょう。でも勇気を出して下さい。
困難も多いでしょうが、それも乗り越えられるでしょう。
あなたを支えてくれる方達がどれほどいるか知っていますか?
幾人もの方達があなた方を支えようとしているか、それを感じとることができますか?
もっと自信を持つことです。心配はいりません。あなたはもう自分の足で歩けるのです。
頼りにする心を捨てねばなりません。あなたはもう立派に歩き始めているのです。
あなたは本当は勇気があるのです。少し過小評価しすぎているのです。
優越感を持つことに悩んでいるようですが、もっと自信を持っていいのではないのですか?
人を救うには、優れた自分となる必要があるのです。
自らを劣っていると思う者が、なぜ人を救うことができますか。
そのような小さな考えにとらわれていて、どうするのですか。
優れた人間になるのが、何の罪があるというのですか。
そういうバカな考えは、まとめて捨て去ることです。
もっと、自分の心に、長刀を降ろしなさい。
自分の心、そのような弱い心、それをつないでいるくさびに、長刀を降ろして、断ち切りなさい。
それも勇気でしょう。
優れている人物になってください。もっともっと、優れた人物になってください。
それに躊躇してはいけません。
優れた人物となって、もっと多くの人を救える人になってください。
考えてみれば、当たり前のことだと思いませんか?
あなたがそのような考えを持つのは、心が弱いからです。
勇気を持って断ち切ることです。それがあなたの心の力となって、多くの人を救う力となるでしょう。
優しさも必要ですが、勇気も必要ということを、よくよくおぼえておきなさい。」

 ・・・このような答えが返ってきました。

自分の弱さ原因と一蹴されました。自分の考えは、実に甘いようです。
確かにそうかもしれません。
逆に一蹴されると、気持ちが良いものです。
スパッと気持ちが吹っ切れた感じです。
まだまだ心の修行が足りないということでしょうね・・・。

 このロール・レタリングを通じて、いろいろと考えるところがありました。
自分の中には、人と比較することに罪悪感を感じる部分がありました。
自分の心の奥との対話では、自分が優れることの大切さを教えられましたが、そこには「人との比較」という観点はありませんでした。
心理学的に考えると、どういうことになるのかはわかりせんが、自他を分ける思考パターンから抜け出すポイントがそこにあると感じました。
正直申しますと、自分の中で、なかなか「感謝」を深めることが出来ずに、なぜ深めることができないのか、ということを考えておりました。

振り返ってみると、「感謝」を深めていった先が「自他一体」もしくは「神との一体感」ということになりますから、人と比較する思考パターンは、自他を分ける考え方ですから、そこに罪悪感を感じていたという見方もできるかもしれません。

人との比較という思考パターンは、この世的にみれば、自己認識をする上で当然の考え方ですので、それを間違った思考パターンととらえずに、さらにそれを超えた思考パターンがある、ととらえるのが自然であると思いました。
つまり、自己認識をする上で、「他人との比較」による自己認識から、「全体の中の一部」としての自己認識(という表現になるのでしょうか)に昇華していく過程があると感じました

そうしたなかで、自分が優れていくことの重要性(自分が優れていく中で全体が優れていくことになる)自他一体における「感謝」の深まりが結びついていくということが、結論から言ってしまえば論理的にですがつながっていくと思われます。
それを教えられたように感じました。
今後この部分について、心を深く見つめながら、実際どうなのかを検証してみようと思っています。

 (コメント)

Aさんの自己との対話には大変学ぶべきことが多くありました。

特に、「この世で得た思考パターン、それは心の中の『縛り』ともいえるものです。そう、自分で自分を縛っているのです。」という指摘は、重要です。物乞いとの「受け止め方」などの「思考のパターン」そのものが、ゆがみがある場合が少なくありません。認知のゆがみを正すことで心の問題を解決するアプローチを認知療法と言いますが、自分の「思考パターン」そのものが自分おw縛っていないかという視点は重要です。

第2に初歩の瞑想の方法を教えてくれました。「透明な心を思い描く瞑想」です。
が澄み切った後に、静かに光が流れていくイメージを描きなさい。よけいなことは考えず、まずはこれに集中すること。これは初歩の瞑想です。」
「自分の存在がまわりを浄化していくというイメージを持つことが大切です。
具体的には、透明な空気が周りの穢れを取り除いて浄化させていく、というイメージを持ちなさい。」
これをイメージすると、確かに清らかに透き通ってくる感覚を覚えます。

第3は、他人との比較の苦しみの解決の方法です。劣等感と優越感はともに自他を切り離す思考から派生します。「自他一体」「神との一体感」というつながりの感覚をもち、「感謝」を深めながら優れた自分を肯定し、優れた自分を創っていくという考えが述べられています。

 種村トランスパーソナル研究所では、一人一人が「自己との対話」を通して心を成長させていく方法をお伝えしています。そこで得た英知は、多くの人の学びになるものが少なくありません。そうした英知を共有させていただきことも、この研究所の役割だと考えています。

Aさんからの投稿は1年間の蓄積がありますので、まだまだ多くのことを教えてくださると思います。ご期待ください。

種村トランスパーソナル研究所へのご連絡は、次のメールをご利用ください。


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