2013年4月27日土曜日

<心の探究シリーズ16>失望感、絶望感と向き合う


常に希望の太陽を見よ!


 

Aさんは、ある資格試験に取り組んでいましたが、勉強が思うように進まない時期が続きました。不安や絶望感が襲ってきて、どうしても集中して勉強ができません。


そこで、「内なる自己」との対話をして、その原因と対策を考えようとしました。ここでいう内なる自己とは、深層潜在意識に相当します。
 
その結果が、ここに紹介する質問と回答です。Aさんが質問を書いて、それにAさんの心の内側から浮かび上がってきた言葉を「回答」として、書いていきます。
Aさんの「内なる自己」(深層潜在意識)は、適確に答えており、Aさんの心の問題を乗り越えるヒントも与えてくれています。
この手法は、自問自答の一種なのですが、深層潜在意識を想定して対話すると、このように自分で回答を出せることが少なくありません。非常に考えが深まったり、インスピレーションが得られるので、やってみることをお勧めします。
 
Aさんからの投稿>


ある資格試験の勉強をしているのですが、気持ちが乗らず、思うようにすすめられなくなりました。自分の怠け心にも、ほとほとイヤになってしまいましたが、なぜヤル気が起きないのかを、自分に問いかけてみました。自分の「怠け心」に意識を集中すると、ある種の「恐怖感」と「絶望感」が伝わってきました。心の中にある恐怖感や絶望感が、「怠け心」に形を変えて、自分の将来を切り開く事への強い抵抗として表れているのではないかという感じがしました。
この「恐怖感と絶望感の克服」が、自分の人生を積極的に切り開く大きなカギであると感じたので、これらのことを関連させながら、どのように自分の将来を切り開いたら良いか、を心に問うてみました。
 
質問 今後、どのような人生計画をたてればよいのでしょうか。

 
回答 目標はしぼられてきます。心の修行を第一としなさい。目の前に示した「感謝」と「許し」の探求をすることです。まず、これが早急に行わなければならないことです。

 
質問  資格試験はどうすればいいですか?
回答 勉強を進めまいと、少々邪魔が入っています。しかしそれは、心の中の失望感、絶望感に問題があります。まず、これを取り除かないと先には進まないでしょう。
勉強が進まないことに、あまり自分を責めずに、肩の力を抜いてやることです。受かればもうけもんだ、というぐらいの気持ちでやったらよいでしょう。

 
質問 失望感、絶望感がなかなかとれません。どうすればよいのでしょうか。


回答 これはだいぶ根深い問題があるのです。そうやすやすとは取れるものではないでしょう。しかし、これをクリアすることも修行なのです。この問題を取り組んでいくことによって、人々への救済力を高めていく訓練をしていくのです。
ですから、まず自分の心を客観的にとらえることが大切です。心の問題をよく見ることです。失望感や絶望感というものは、多かれ少なかれ、だれの心にも存在しているものです。数多き転生の中では、だれもがこの感情を味わっているのです。
しかし、この感情を持っていることは、決して自分にとってプラスではありません。これらの感情は苦しみを伴います。悲しみを伴います。人々は時として、失望感や絶望感によって自分を苛み、世の中に希望を見出せなくなってしまいます。
神はどのような存在でしょうか。希望そのものであるはずです。神の中に失望や絶望を見出せる人がいるでしょうか。そのようなことはないはずです。さすれば、神への道を進むべき人々は、希望に向かってひたすらに歩んでいく存在でなくてはなりません
それでは、なぜ失望絶望があるのでしょうか。人々は神を見失ってしまったということでしょうか。
神を太陽にたとえるなら、失望感や絶望感を持った人々は、雲が厚く垂れ込み、大嵐の中をさまよっている人々のようなものです。彼らは太陽をみることはできません。自分が吹き飛ばされるような大嵐の中、ただ辛く、ただ苦しく、何らの希望も見出せないときもあるでしょう。しかし、その厚い雲の上で、太陽は燦然と輝いています。そして、時が過ぎれば、この厚い雲もなくなり、さっきとはうそのような青空の中、太陽は人々の上に燦然と輝くことでしょう。
その時に人々は大いなる希望を見出せるでしょう。そして人々はこう思うことでしょう。
「ああ、何て気持ちがいいんだろう。雨上がりの太陽の光ほど気持ちのよいものはない。考えてみれば、あのつらい大嵐は、この雨上がりの清々しさをいっそう引き立たせるためにあったように感じる。そして、永遠に続くように見えた大嵐も、いつの間にか過ぎ去ってしまった。そう、苦しみは長くは続かないものだ。いずれまた大嵐も来るかもしれない。でもその後は必ず晴れるときもくるものだ。だから、あの太陽のように元気に明るく生きていこう。
 
質問 「絶望も長くは続かない、希望を持って生きよ」ということですね。

 
回答 絶望は、希望の不在ということではありません。本来、希望しかないのです。神は希望そのものだからです。時々、生きているときに、雲がかかったように希望が見えなくなり、絶望感を感じる時代もあるでしょう。しかしそれは、希望が失われたわけではないということです。
そしてまた時代が下り、希望が顔を出してくるということです。永遠に続く絶望など存在しないからです。
神を見んとする者は、希望しか目にすることができません。
そうです。絶望感に浸っているうちは、神を見ているとはいえません。ただ、そうした中に神を感じることもあるでしょう。その中にも、神へたどり着くヒントが隠されているからです。
雲を突き抜けて、太陽を見ようとすることです。そして、雲の上から下界を見下ろしてごらんなさい
同じ仲間が、同じような絶望感や失望感、自己否定で苦しんでいるのを見ることでしょう。
そして、その苦しみを和らげてあげることです。雲の上の存在を知らせてあげることです
雲の上に引き上げて、太陽の暖かさ、光の強さを感じさせてあげることです。
それが(わたしに)課せられた使命なのです。
そのために、「感謝」と「許し」が必要であるということです。
そして、真なる希望へとつながっていくのです。


 
この「恐怖感」や「絶望感」については、今までのロールレタリング療法により、以前よりはかなり軽くなってきましたが、根本的に取り除くことはまだできません。1つの原因を取り除いたとしても、また違った「恐怖感」が表れてくるといった感じで、まるでイタチごっこのようです。このロールレタリングにもあったように、過去において数多くの「恐怖感」や「絶望感」を味わってきたということなのでしょう。ですから、あせらず1つ1つ摘み取っていけということであるのでしょうか。
もしくは、「恐怖感・絶望感」の本当の「核心」にまだ到達していないのかもしれません。
いずれにせよ、「恐怖感」を完全にぬぐい去るには、もう少し「時間」と「努力」が必要のようです。ただ、ロールレタリングにもあったように、これも「愛を深めるための修行」のようです。必要があって、こうしたものが与えられているんだなあ、と感じました。
今までの授業を通じて、自分の苦しみや悲しみを「受容」していくということが大切であるということを教えて頂き、自分でもそのように実践してきました。
今回のロールレタリングでも、恐怖感や絶望感を「受容」していこうと思っていたのですが、逆にいわゆる「光明思想」的な回答となりました。
ロールレタリングをしている間、地表が厚い雲に覆われ、嵐の中にいる自分の姿、そして一気に雲を突き抜け、青空の太陽を背に、熱く覆われた雲を見下ろしているイメージを強く受けました。
心の奥から、「どうか力強く生きてほしい、力強いあなたであってほしい。どうか、いつまでも弱い自己像を持たずに、強く明るい自己像を持って欲しい。」という強い強い感情がわき上がってきました。バシバシとお尻をたたかれたような感覚です。
今の自分にとって、いわゆる「光明思想」が必要である、ということでしょうね。
そうしたことを教えられたロールレタリングでした。
 
<コメント>
 
希望を見失うのは神を見失ったからだ、という言葉は、光明思想的な思想とも言えそうです。Aさんの深層潜在意識にはそうした思想が一部入っているようです。
 
希望は太陽のようなものだから、決して消えることはない。絶望や不安といった想念の黒雲が太陽を一時的に見えなくさせているだけだ。希望という名の太陽は、必ず再び顔を出す。決して絶望するなかれ。

 
要するに、こういう思想を語ってくださいました。これはやはり光明思想ですね。非常に勇気が出る思想です。
Aさんが「内なる英知の井戸」を掘っておられる様子がよくわかります。
大切なことは、誰でもそうしたことは可能だということです。
 
 


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