2013年1月19日土曜日

自己愛性人格障害の視点からの検証(9) 利己的なのに愛が深いと錯覚している

 
利己的なのに愛が深いと錯覚している

⑧自己愛性パーソナリティ障害の人は、良心に乏しく利己的な人間である。それにもかかわらず「自分は良心的で利他的な振る舞いをしているから、他者から愛されるべき存在でなければならない」と自己評価している場合が多いため、現実とのギャップが受け入れられずにより精神的に不安定になってしまう、というスパイラルに陥る危険性を多分に孕んでいる。自己愛性人格障害の「臨床像」⑧

大川氏は「一切、布施の返還の要求に応じてはならない」と、以前から教団組織に命じていたと聞きました。だから納骨壇の返却に関する職員の対応は、会員さんの事情を聞いて、会員さんの立場を理解して、会員さんの幸せのために動こうという姿は皆無でした。最初から信仰の名のもとに「お布施は返還できません」の一点張りなのです。これは会員さんから見ると、凄く利己的な主張に聞こえます。

失望した会員の方がやむなく返還訴訟を起こすと、自分の利己的な指示が原因であると理解できないので、返還を求めた人には「悪魔が入った」という紋切り型の決め付けをするしかなくなります。それを受けた職員は、紋切り型で「あの人には悪魔が入った」と片付けます。こうすれば、自分たちに原因があるということを考えなくてすみます。このパターンは他のクレームや教団批判に対しても、ほぼ同様です。こうして組織は自浄作用を失ってきたのではないでしょうか。

  自分は良心的で利他的な振る舞いをしているから、他者から愛されるべき存在でなければならない」という自己評価は、会員や職員にも多く見られます。熱心な会員は自分は菩薩であると思うか、菩薩になるたいと考えています。職員であればなおさらそうです。菩薩は利他に生きる人です。だから自分は利他を生きているはずだと信じて(思い込んで)います。それなのに他の方や会員さんから批判されると、自己評価と他者の評価のギャップに直面して精神的に不安定になります。

  こういう時に、相手に「悪魔が入った」と言えると、凄く楽になります。もしくは「総裁先生に言われたから間違いない」とか「サンガ(教団)の決定だから」と言うことが出来ると、利己的な自分を認識しなくてすみます。それが現在、教団で行われていることだと思います。

 問題は、長くこの教団に関わるうちに、こうした思考パターンが当たり前のように染み付いてくることです。私自身、以前はこうした思考パターンを持ってものごとを見ていました。自己責任の教えがあっても、この思考パターンをとると自己責任が解除された気分になるから不思議です。「その方はどういうお気持ちなのだろうか。何故そういう気持ちになっておられるのだろうか。」と、共感的に理解しようという気持ちが無くなるので、人の心に対して無理解になり、人の気持ちが分からない人間になっていきます。そして裁きに満ちた、冷たい心に染まっていきます。この傾向性とは、やはり対決して乗り越えなければならないと思います。

 愛の問題で思い出すことがあります。以前、何人かの会員が集まったときに、ある人に悪しき想念が入ったのが分かった瞬間がありました。私はさっとその方から距離をとろうとしました。しかし私が尊敬するお医者さんは、その人のところにさっと寄っていって、「大丈夫ですか」と様子を尋ねました。この一瞬で勝負ありです。お医者さんは悪しき波動を感じた瞬間に、その方を心配して助けようと行動しました。私は悪しき波動を感じて、自分が穢れるのが怖くて身を引きました。愛といっても、自分が汚れるのを恐れて無を引くのは自己防衛の心です。自己保身です。私は自分の愛のなさを痛切に反省させられました。

 悪魔、悪霊についての霊的な知識を持つことも、時には重要です。しかし、その知識を自己防衛のためにだけ使うなら、愛のエネルギーは循環しません。自戒の思いを込めて、この体験を書かせていただきました。


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