2012年12月6日木曜日

投稿・なぜ『正心法語』CDで幻聴が起きたのか

潜在意識との対話・・・大川隆法の真実

(紹介)

幻聴の苦しみを克服された千の風さんから、次のようなメールがありました。

「種村さんの言われるロールレタリングの手法で、私がかねてより謎に思っていた正心法語の不気味現象について、(潜在意識と)対話してみました。正直いって、これが本当の私の守護霊あるいは潜在意識かどうか、わかりません。もしかすると、私が創作しているのかもわかりません。あはは。」

このメールの添付されてきた千の風さんの「潜在意識との対話」を読むと、非常に納得がいく内容でした。
潜在意識との対話と言っても、要するに「自己対話」です。その中身に光るものがあれば、ご自分の意見として出されても、遜色のない内容でした。連絡して掲載を快諾してくださいましたが、掲載の際に次の断り書きを表記して欲しいとのことでした。

「私は、すでに内部告発を読んでおり、教祖の愛人問題も知っている人間です。
ですので、この潜在意識との対話が、『自分が作った架空の推理』なのか、本当に潜在意識との対話か、はなはだ疑問であるということだけ、一言書き添えていただければと思います。」

もし「架空の推理」であったとしても、読者の皆様に学んで頂くに足りる内容があると思います。一つの意見として、参考にされて下さい。

(投稿)潜在意識との対話

(「私」は千の風さん。「S」は千の風さんの潜在意識の表記です。)

1.最も知りたいなぞ

「私には人生で大きな謎があります。どうしてもそれの謎ときをしたくて、対話をしたいと思います」
「何でしょう」
「2001年の3月に、私の身におきた、あの不気味な現象は何でしょう」
「ああ、あれね。あなたはそのことで大変心にひっかかりができていますね」
「そうです。その直後から私の病気の幻聴が始まり、その後大変な目にあったからです。ある教団の教祖の読むお経のCDですが、何かそれが関係しているように思えてならないからです。それというのも、幻聴は脅しが多かったのですが、私は人を脅すような人間ではないからなのです。ですから、お聞きしたいと思います」
「そのお経のCDの何が悪かったかを言えば、納得するのですか」
「簡単に言えばそうです」
「まずなんであなたはCDを4日間もかける気になったのですか」
「当時、会社の不正経理に直面し、自分のせいにされては困ると、念書までとらざるを得なくなり、いやな思いをしたのです。これで、会社の不正は3度目で、いやな気分になり、私の読む正心法語のCDをかけていれば、悪霊がいなくなりますからとの、教祖の言葉を間に受けて、悪霊がいるのかもしれないとかけてしまったのです。前にも、一度不気味現象が起きていたので、また起きるかもとは思ったのですが、ずっとかけ流していればいいと思い、延々とかけてしまいました」
「で、あなたはどんな気分になりましたか」
教祖の言霊が悪魔の言霊にしか聞こえなくなったのが、4日目の夜です。言霊が慢だったからです
「そうですね。確かに教祖には慢さがありますね
「それが何かまずかったのでしょうか」
「あなたは、そのCDを吹き込んだ当時の教祖の思いが悪かったのか、それとも2001年3月時点の教祖に同通したのか、あれこれ考えていましたね」
「そうです。私の幻聴はその直後から始まるのですが、この12年、やたら脅しが多いのです。波長同通なら、私は脅すような人間ではありませんから、私が呼び込んだ霊ではないと思いました。それに、内容が幸福の科学のことなのです。これは何かあるぞと思いました」
「はっきり言いましょう。当時の教祖の心境が悪いのです
「それはどういうことですか」
「当時教祖は、奥様と仲良くないのですね。それに思うほど、信者数は伸びていない。そしてまた、大悟館建設などで、色々とありました。あなたもご存じのように、愛人も作っております」

2.教祖の行動パターンには脅しがある

「でも、脅しですよ。私の幻聴は。脅す霊がどうしてCDを機縁に来てしまったのか、さっぱりわかりません」
教祖の行動パターンの中に、脅しがあります。自分の名誉を傷つけるものに対して、つぶしていくという脅しがあるのです
「そういわれてもねえ。で、私は幻聴の悪魔と名乗る声と対話してみましたが、教祖を憎んでいるといいました。仏説降魔教を書いたのがけしからんといって。ただ、教祖を、エルカンターレだと信じてはいたようです。仏説降魔教さえ取り下げればいいのにと言っていました。信者がこれを読むと、腹をた
てるというのです。で、私が信者だといって、今までのハラいせをしたというのです。もっとも、幻聴のいうことを、信じていいかは、わかりませんが」
仏説降魔教は、脅しのお経です。ここには、愛がないのです。つまり、ちょっとでも、悪口を言おうものなら、悪魔扱いで、人間として生まれるはこれが最後という、脅しのお経ではないですか。悪魔と言われる存在でも、存在自体は愛なのです。みな、神の愛から作られた魂なので、愛を感じ取ることはできるのです。ですが、思いにおいて、悪い思いを出しているため、悪魔と呼ばれているにすぎないだけなのです。このお経に、愛は見当たりますか」
「いいえ。ただ恐怖心を刷り込むだけのお経でしかありません
「そうでしょう。自分の気に入らないものは、悪魔だと切って捨てるような教祖の中には、どこかゆがんだものがあるからです」
「そういわれても、教祖は私にとって、雲の上の人で、どんなことを考えているやら、さっぱりわかりませんよ」
「教祖に愛を感じますか」
「愛というよりは、自分が救世主なのだから、自分を認めさせたいという気持ちが強いような印象です。その慢さが私にはいやでした」
「教祖はね、正直いって、もうその頃以前のような教祖ではなかったのです。だんだん悪くなっていきつつある時期です」

3.愛の不在が問題の本質

「なぜCDが不気味現象をもたらしたのか、さっぱりわかりません」
「空間の磁場がゆがみましたね。かなり強烈に。そこから悪しきものが来たようです」
「もう、あんな体験はごめんこうむります。私はCDを捨ててしまいました。もう思い出したくないからです」
「それでいいのです。大切なことは、愛ですから。恐怖心で人をしばっても、人は幸せにはなれないのです。愛とは人を解放させてあげることです。自由にのびのびとさせてあげながら、その人が立ち直るような言葉を与えて差し上げることです
「教団の信者が私を傷つけました。薬を飲むのをやめたら。あなたは心の持ち方が悪いので薬を飲んでもなおりっこないの、というし、支部長は、あなたには知性と理性がないから、そんな病気になるのだというし、ある人はそんな病気になるなんて、あんたは甘いというし。私深く傷ついてやめてしまいました」
「もう、その思いでは捨てましょう。それらは、愛のない言葉だからです。人を、真理というものさしで、さばいているからです。でも、そのおかげで、あなたは教団からの、悪しき呪縛から解放されたではありませんか」
「そうです。愛を語りながら、実は愛がない団体。なんかそんな気がしました。本当の愛とは、教団に好意的な人に対しても、また否定的な人に対しても、さばかず、悪魔あつかいせず、その人を愛の心でくるんでいくような態度をいうのだと思っています。今の教団に、それがあるか、私ははなはだ疑問です」
「人間完全な人はいないのですよ。何かしら失敗したり、色々あるんです。そのときに、その人を、さばきのまなざしで見て、だからあの人はダメなんだと思うか、長い目で見て見守ってあげるか、その違いです。教団に愛があるかないかは、いずれ、信者が気づくでしょう。信者の問題であり、もう脱会した
あなたの問題ではありません」
「私教団をやめて本当に良かったと思っています。のびのびと魂が解放されました。私は教団の行事なんか、興味ないのです。でも、上から押しつけられて、それをやらないと、白い眼で見られた。もうそういうことはいやになりました」
「人は、一つの色合いで、しばりあげることはできないのですよ。人それぞれ、違いますから。大事なことは、あなたの正心法語トラウマをいやすことです。そして、それらの、否定的感情を手放すことです
「当時の恐怖心は薄れましたが、12年もいやな目にあったと思いました。だって、悪魔と名乗る声相手ですから」
「悪魔と名乗る声は、あなたに何か教えてくれましたか」
「はい。悪魔であっても、悪魔だ、反省せよ、と言われると、いやだそうです。むかっときて、プライドを傷つけられるそうです。
「どんな存在も、その存在なりの価値があるのですよ。悪魔はいづれ、悪魔でなくなっていくでしょう」
私「そうですか」
「そうです。愛の心に立ち返ったときに、迷っていた自分の心境とのへだたりを認識して、何かを悟っていくのです」
「サタンだ、サタンだといわれてまいりました。6年も続きました」
「あはは。大変いやな思いをしたようね」
「もう、うんざりです。それで私はサタンについて、考えさせられました。サタンは結局のところ、大変頭が良かったのだろうと思います。知性がずば抜けていたのだろうと思います。それが愛に逆行する形で、神への対抗というか、方向性が間違ったときに、地獄の帝王になったのだと思います
「サタンクラスになると、なかなか反省はむづかしいでしょうね」
「1億年も地獄なんて、ぞっとするような気が遠くなる話です」
「サタンの話はやめましょう。あなた相当6年もサタンだといわれて、いやな思いをしているようだから、もうその思いでは切り捨てましょう」
「はい。最近、幻聴がふつうに会話するようになりました。前みたいに、悪魔になれとか、脅さなくなりました」

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