2012年12月2日日曜日

対話・師と弟子の関係を問い直す

師弟不二とは何か

1.初めに

私は1986年から2012年春まで、25年にわたり大川隆法という方を師として精進してまいりました。前半は出家者として、後半は在家者として弟子の礼を取り続けてまいりました。

師と弟子、それが大川氏と私を規定してきた関係性でした。私は師と仰ぐがゆえに、師に近づくために精進をしてまいりました。師に近づくことが私の進歩の尺度でした。それは他の方も、基本は変わらないと思います。

弟子は師を真似るといわれています。過去の宗教の歴史を見る限り、それは真実です。原理主義者は最も厳格に、形をまねようとします。その流れは、宗教が続く限り続きます。延々と真似る人が出てくるのです。ゆえに師は、同時代のみならず、後世に出てくる弟子に対しても、責任を持つのです。

私は大川氏との師弟の関係を清算するに当たって、師と弟子のあり方について考えてみたいと思います。

考えるきっかけは、ある方の投稿でした。更にメールでやり取りをして、師と弟子の関係についての意見の交換をさせていただきました。

投稿者Zさんとの対話として、つづらせていただきます。

2.上昇の法則

Zさん「種村ブログで<ヘルメスの霊言で退会を決意した>(11月23日付け)を読みました。そこには『ヘルメス神(を紹霊して語る教祖)は、救世活動が進まないことや、教団組織がうまくいかない原因を、弟子達が悪いとし、質問をしている方をだいぶ責めていた』とありました。これが幸福の科学の師弟関係なのでしょうか。
師と弟子の関係は、仏教では、『師弟不二』と言う言葉で表現されています。その言葉の意味を的確に表現している文章を、先日見つけましたので、紹介させていただきます。少しでも参考にしていただければ幸いです。

<師弟不二>

弟子にとって師が、必要不可欠であると同様に、
師にとっても、弟子が不可欠だ

弟子は師なしでは進むことができず、
師も弟子なしでは進むことはできない

これは人間の上昇の法則が基づく
不可欠かつ全く具体的な規則なのだ。

何人といえども、
自分のいる場所に別の人を連れてくるまでは、
より高い段階に登ることはできない。
受け取ったものはすぐに返さなければならないのだ。
そのときはじめて彼はそれ以上のものを受け取ることができる

さもなければ、すでに与えられたものまで取られてしまうだろう。

 <P・D・ウスペンスキー著「奇跡を求めて」p318より>」

種村「ありがとうございます。これはこういう意味ですね。
<弟子にとって師は不可欠の存在だが、師にとっても弟子の存在は不可欠なのです。何故なら、弟子は師なしには進歩することができないが、師もまた弟子なしには進歩することはできないからです。人間の進歩は『上昇の法則』というルールに基づいてなされています。そこから導き出される具体的な規制が、この師弟不二です。
『上昇の法則』は、こう教えています。『なん人といえども、自分のいる場所に人を連れてくるまでは、より高い段階に登ることはできない。』と。これは、師が天上界から告げられた内容を伝えて、自分が悟った高みまで人を導かなければ、自分もそれ以上の高みには進めないということです。天上界から与えられるのは、多くの人への慈悲ゆえに与えられるので、つまり多くの人々を進歩させ幸せにしたくて与えられるので、それを受け止めたものが他の人にそれを伝えて、その方を自分が到達した高みにまで導かねばなりません。これが『受けとったものはすぐに返さねばならないのだ。』という意味です。その時初めて、その人は次の進歩が許されます。これが『そのときはじめて彼はそれ以上のものを受け取ることができる。』という言葉の意味です。もし彼が誰にも教えず、自分が得た悟りを伝えようとしなければ、彼はその悟りを維持することができず、既に与えられていたものまで失います。これが『さもなければ、すでに与えられたものまで取られてしまうだろう。』といわれる内容です。>
このように私は理解しました。」

Zさん「ありがとうございます。私お伝えしたかったことを、分かりやすく説明して下さいました。」

3.師弟の役割と愛

種村「この言葉は、とても素晴らしい真理ですね。しかし、私はあなたが師と弟子の関係をどう捉えていらっしゃるのか、それをあなたの言葉で聞きたいのです。師と弟子はどういうふうな関係だと考えておられるのでしょうか。」

Zさん「師は弟子を選び、弟子は師を選ぶ。師と弟子はまったく対等な関係だと思います。主従関係ではないと思います。師よりも弟子の『悟りのレベル』が高くなれば、弟子が師になり、師が弟子になる。というふうに立場が入れ替わることは当然あり得ることではないでしょうか?  昔、種村さんは、ある講義のなかで四恩(ここには師の恩が含まれます)を説かれたことがありましたが、悟りの世界は恩情によって動かされる世界ではないと思います。」

種村「かつて師であったものも、弟子がそれを超えて行く段階に入ったなら、今度は自分が弟子の礼をとるべきだということを仰りたいのですね。そこには人間としての情実を交えてはならないし、かつて師であったからと言っていつまでも師でいられるのではないということですね。弟子もまた、かつての師だからという遠慮で、その方の過ちに目をつむってはならないということですね。
 私は、師も弟子も一つの役割だと思います。長い転生輪廻の歴史の中では、お互いに師になり弟子になり、天上界に命じられた使命を果たしてきたと思います。それが役割であることを自覚できれば、師であるからと言って偉ぶったり、自分の立場を守ろうとして画策したり、弟子に嫉妬したりは出来ないと思います。お互いが役割を果たしていくことで、天上界の御意志、さらにいえば大宇宙を創られた根本神の夢や願いを実現していくのが使命だと思います。」

種村師はどうあるべきだとお考えでしょうか。また、師の姿を弟子はどう真似ていくと思われますか。」

Zさん師は『愛』そのものであるべきだと思います。弟子は師を真似るのではなく、師のすがたである「愛」を学ぶのではないでしょうか? 師に愛がなければ、にせものです。それは詐欺師であって、師ではありません。」

種村「これは、弟子であるからといって、師の姿を何でもかんでも真似てはならないということですね。師の権謀術数の姿、欲にまみれた姿を見て、自分もそれを真似るのはおかしいということですね。師は愛そのものであるべきであり、従って弟子は師を通して現れた愛を学ぶべきだと言われるのすね。これは大変重要な指摘だと思います。その通りだと思います。私は谷口雅春先生が大学中退されたので、私もそれを真似ようとした潜在意識の動きがあったと感じています。そかし、それを真似ることが弟子ではない。師の愛をこそ学ぶべきだといわれたように思います。私の自戒としたいと思います。」

4.師と弟子は互いにとっての光なり

種村「大川氏と幹部の何人かを見た時に、弟子の姿は、師の影ではないのかと感じますが、あなたはどう思われますか。さらにいうと、どんな師の姿が、どんな影を投じているのか。それがどう弟子の姿として現れると思いますか。」

Zさん「弟子は師の影ではありません。師は光です。弟子は師から学び、師は弟子から学ぶ。それが師弟関係として当然にあるべき姿ではないでしょうか?」

種村「本来のあるべき姿を、あなたは見るべきだと言われるのですね。」

Zさん「そうです。ですから師も弟子も光ですから、影を投じるものではありません。師の姿は真理を探求する姿であり、それは『神への愛そのもの』ではないでしょうか?」

種村「師も弟子も、お互いに光であり、お互いを輝かせる存在である。お互いに学びあう存在であるということですね。師が真理を探究するということは、神を探究することであり、それは神を愛する姿に他ならない。ゆえに『師は神への愛そのものである 』といわれているのですね。これは人のものを教える立場、人からモノを学ぶ立場に立つものが、肝に銘じるべき言葉だと思いました。ありがとうございます。感謝申し上げます。」

5.襟を正せ

種村「次にお尋ねします。弟子の姿のどういうところを見て、師は襟を正すべきだと思いますか。」

Zさん師にとって、弟子はたいせつな鏡です。だから、弟子の姿を見て、師が襟を正すのは当然です。しかし、ニセモノの師にとっては、弟子は利用するだけ利用できれば、あとは、使い捨てです。」

種村
「今日は師弟の関係について考えることができました。いろいろ教えていただきありがとうございました。」

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4 件のコメント:

  1. 自分の場合、師弟のあり方について問われて、一番に思い浮かぶのは、やはり『論語』でしょうか。

    たとえば、『論語』の先進第十一では、孔子は、愛弟子の顔淵が亡くなったときに、「天は、わたしを滅ぼした」と慟哭しています。

    これからみると、師は弟子がかわいくてたまらず、弟子は師が大好きでたまらないというように、師弟関係は愛情で結ばれていることが一番大切なのではないでしょうか。

    さらに言うと、『マリア様がみてる』というライトノベルでは、姉妹関係について、妹は支えで、姉は毛包であるというたとえ話が出ています。

    姉にとっての妹は支えであり、妹がいてくれるお蔭で頑張ることができ、妹にとっての姉はどんなときにも毛布のように包み込み、温めてくれる存在だというのです。

    これは姉妹関係のみならず、師弟、親子、主従……などでも、理想的な関係ということになるのではないかと思います。

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    1. 有り難うございます。
      師弟の関係は、私たちの日常でも教える人、教わる人として、常に存在します。ゆえにどのような関係であるべきかを深く考えたいと思います。幸福の科学での師弟関係には、問題があったと思いますが、何がどう問題であったのか、本来どうあることが理想なのかが分らないと、無意識的に幸福の科学での師弟関係を再現してしまうことになると思っています。
      その意味で、師弟関係を深く考える機会をいただけたことに、感謝しいます。

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  2. <匿名希望さんからのコメント>

    「師弟について」の考察をひさしぶりに天上界からの御言葉をいただいたように拝読させていただきました。

    私はこれを読ませていただくまで「〇〇〇の何大弟子」の意味がわかりませんでした。

    やはり、弟子の立場を主従関係のようにとらえていたところがあり、師は偉いと思うけど何大弟子まで尊敬の対象になる意味がわかりませんでした。

    ですが、Zさんの意見でハッとさせられた思いです。そして、Zさんの揺るぎない心境を感じました。
    Zさんに育てられるお弟子さんがいるなら羨ましいとさえ思います。

    あ~ぁ!もう少し利口になりたい!!です。

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  3. (投稿者のコメント)

    実はわたしが、正心法語の中で、
    一番感動した言葉は、

    「自他は別個にあらず一体なり、
    ともに神の子兄弟なり」
    という言葉です。

    師弟不二もこれと同じような意味ではないでしょうか?

    すべての人は、わたしの師であり、
    弟子であり・・・

    愛は、一部の人間に限定される必要はない
    のではないでしょうか?

    とまた、生意気なことを言って
    すみません。

    もうすこし、謙虚に無になりたいとは
    思っていますが、
    なかなかむつかしいです。


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