2012年10月1日月曜日

霊的体験に学ぶ④ 大川隆法の著作を検証する

 「大川氏が宇宙根本仏であるわけがありません。高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。」(千乃風さんのメールより)

(解説)

千乃風さんは、あれほどの幸福の科学にまつわる幻覚幻聴に苦しみながら、そのために仕事が出来なくなって生活保護を受けざるを得なくなるほどの霊的被害にあいながら、理性で御自分をコントロールできる方のようです。私が彼女のメールを読み、さらにお話して感じるのは、非常に鋭い洞察力をもたれていることです。直観力が高く、言われることが非常に的確なことが多いのです。
彼女の幸福の科学に対して感じている違和感と、私が色々検証した結果は、結構一致していました。これにも私は驚きました。私は2年前まではどっぷり洗脳状態でしたから、基本的に大川氏が言うことは疑わないできました。ところが千乃風さんは、ご自分の感覚でしっかり判断されています。私はとても感銘を受けました。こういう意見もあるという事で、皆様の御参考になるのではないかと思います。
特に、大川氏の政治論・憲法論に対する千乃風さんの批判は、本当に鋭いと思います。一番最後に出てきますので、是非注目してご覧下さい。(種村)

(千乃風さんの投稿)

1.著作の内容と人格にギャップを感じた

私は「方便の時代の学習団体」の時に入会しておりますので、大川氏をエルカンターレだと信じなくても入会できたのです。

私は会員時代、一度も大川氏を好きだと思ったことはありません。
ま、きらいではありませんでした。
で、「一応神からの啓示は受け取ったんだろうなー」とは思うものの、「この人の何かがうさんくさい」と言うことで、ずっと「観察体制にあった雲の上のお方」だったのであります。

きょう子さんにつきましては、当初「きれいな人だな」と思い、応援をしておりましたが、1995年時点で、いやになっております。
ある発言が元で、それ以来、私はきょう子さんに無関心となってしまうのでありました。

では、釈迦の生まれ変わりと信じ込んだかといいますと、私には皆目分かりませんでした。
それが正直なところです。「一応そうしておこう」というものでした。
どう考えても、『太陽の法』と『黄金の法』だけは、普通の人に書けない類のものだったからです。

以来、私は『黄金の法』に出てくる偉人の書いたものやら、周辺文献やらを読み漁り、ふうむなんて、うなっていた日々を持っております。

大川氏の「書いた本」と「目の前の人物」の「ギャップ」に、私は?(疑問)だったのです
書いた本のほうは、まあまあなのですが、目の前の本人から「滲み出しているもの」は、
何というか、不思議な感覚だったのです。

確かに沢山の読書をされ、勉強もされた方だとは思っており、学歴も東大であり、私よりずっと頭がいいことは事実で、私はこの点について批判の余地はございません。

ですが、「ラブレターを小包で書いた」(『太陽の法』初版本)というくだりを読んで、普通はラブレター、2、3通出して断られるかデートに2、3回誘って断られたらおしまいなのにな、と思い、ここに彼の相当の「ナルシストぶり」を見るのですね。

大川氏の悩みというのは、「実はたいしたことのない悩み」なのです。私から言わせると。
一生懸命勉強して、東大生の優秀な中に混じって、劣等感を感じた程度の悩みであり、会社はトーメンで、待遇も良かったものと思われますので、たいした悩みでもないのです。

世の中には、「もっと悲惨な悩み」を抱えておられるかたが沢山おられます。

ですので、大川氏の書いた「悩み処方箋」のような本を読んでも、「これはそこそこの悩みの人用のもので、絶望している人向けのものでもないなー」という印象しか受けませんでした。

きょう子さんに関しても、「恵まれたお姫様生活」をされた方で、やはり絶望的な悩みとはほど遠い方であります。

まあ、大川氏に絶望的な悩みを経験してごらんになれば? というつもりは毛頭ないのですが、私は大川氏の書いた本は、まあまあ程度に読んでしまっており、そんなに「目からうろこ」的なものでもなかったように思います。

そこで、「感じたうさんくささ」というのは何かと、ずっと追求の日々だったのであります。

2.よかったのは1991年の講演会まで

私は、大川氏が高橋信次氏を評して、「魂のきれっぱし」宣言をされたときに、「ひどいなー」と思ったものです。仮に裏であっても、7次元ぐらいなので、いいんじゃないの? と思っていたからです。

じゃ、そんなことを言われるなら、私は「目くそ鼻くそを笑うだ」と思って、どっちらけです。

そして、『新太陽の法』で、日蓮、谷口氏、高橋氏批判をしました。
如来というのは、そうそうなれるものでもないので、もうこうした如来批判などされないほうがいいのですね。私からしますと。

大川氏の講演会でよかったのは、1991年まででございます
それまでは、「誰それの霊指導による講演会」というのがありました。
この内容はもうすでに忘れましたが、かなり良かったように記憶しております。

仏陀再誕の講演会では、「それならば、現代の日本に生まれるな」と怒鳴り散らしておられました。
私は「はー」とため息でしたが、当時、涙が一筋だけ、流れた記憶があります。

また「孔子霊指導による講演会」も良かったような記憶で、「なみだがにじむ程度」でありました。

もっともよかったのは、天御中主神霊指導による講演会で、1時間中、涙が滝のように流れ、まともにまっすぐに椅子に座っておられず、前かがみになって、うっ、うっと泣いておりますので、どうも、私は天御中主神に、「反応」するようであります。

イエス霊指導による講演会も良く、涙は出ませんで、「幸せだな」と思いました。

ここまでが、1991年までなのでございます
ところが、それ以降、エルカンターレ宣言以降、講演内容は、私にはつまらないものとなってしまいました。
感激した思い出もありません。東京ドームですべて聞きましたが、そんなにいいとも思えませんでした。

ところが、1996年以降、ビデオ拝聴となるのですが、私はどのご法話もつまらなく、どっちらけという歳月を送ってしまうのでありました。

3.1990年代後半から内容の格が落ちた

そしてまた、書かれた本の方も、1990年代後半より、「なーんか6次元レベルに下がったような感じよね」というようなものとなっていったのです。

ですので、私の評価としましては、初期の頃に書かれた幾冊かの本のほうが、良かったように思います。

『永遠の仏陀』などは、ちょっと「ごう慢波動が強すぎて」私読めません
そして、『神秘の法』という本は気色悪くてたまりません。
『希望の法』については、「うつになる過程がずらずら書いてあり、だから自分をほめてやりましょう」という結論だったように思いますが、私は病気中この本を読み、「これ読んだらかえってうつになりそうだ」ということで、もう処分してしまいました

ですので、「本当にいいのよね」という人とは違った感覚を、私はもっております。

また、エルカンターレファイトなども、ちっともやっておりません。(すみません)
バレーボールのファイト! みたいよね、と笑ってしまい、ま、ほったらかしです。

今、脱会してさまざまな事柄を9割忘れてしまいました。月刊誌も法話も本もほとんど忘れました。

歳月を経てもなお、「良かった」と思えるものは、天照さまの「幸福瞑想法」であります。
病気中、私をなぐさめたものは、「幸福の科学とは関係ない、幸せな思い出」であり、そうした思い出が私を救いました
ですので、「自分が幸せだった日々をだきしめましょう」という天照さまの幸福瞑想はかなり役に立っております。

沢山本を出せばいいというものでもなくて、やはり「言霊と言霊の間ににじみ出す雰囲気」といったものが、かなり魂に影響を与えますので、「繰り返し読む」ものには、注意が必要かと思います。

最近の本はまったく読んでいないので、皆目分かりませんが、種村さんの「にせ守護霊」は気分悪く、また「にせものと思われる舎利弗」も、気分悪いのであります。

菊池寛なんて、もっと気分悪いです。
こういうものを平気で、じゃかすか出すようになり、私は「会員さん大丈夫かな?」と思うようになってしまいました。

「無言」であっても、やはり滲み出すものが、仕事をするのであります。私はそういう気がしております。
どんなに言葉をべらべらとしゃべっても、そこに「うわっつらだけの見せかけのとりつくろい」だけだと、やはり、人は何か感じ取ってしまうように思うのですね。

大川氏のすべてを「まったくでたらめだ」というつもりも毛頭なく、また初期の本は良かったですよという評価はしております。ですが、今は?という印象を受ける次第です。

宗教書というのは、「魂に影響を与える」ものなので、なるべく良質のものを、吟味して選び、繰り返し読んでも魂に良いものにしたほうが、ベターかと思います。

また、宗教書は「悪霊や悪魔の領域」を書いてもいますので、そうしたものを繰り返し読みますと、しらないうちに、潜在意識にしみこんでしまいますので、一定の距離を持ちながら、読むほうがベターかと思うのです。

私は生前の高橋信次氏の書いた「悪霊」という本を読みました。まあ、知識として知っておく分にはいいかと思いましたが、もう気色悪くて、捨ててしまいました。

「よりすぐった高級霊の言霊だけに慣れ親しんで」いますと、そうでないものに、「違和感」を覚えるようになり、なんか違いがわかるものと思います。

そういう意味では、初期霊言集の幾冊かは、良かったように思うのです。

最近は、悪霊から悪魔から宇宙人からきょう子さんの悪口から、色々な本がじゃかすか出るようになっている様子で、ちょっと魂に与える影響の観点からいうと「?」がつくところであります。

私も欠点だらけの人間なので、人のことをとやかくは言えないのですが、宗教書を読み比べしておりますと、なんかその「気」を受けて、気分が左右されてしまうのです。

たとえば、私は旧約聖書があまり好きではありません。旧約聖書を読むと、気分が暗くなるのです。どうしてか分かりません。

で、モーゼを導いた神は、ユダヤ民族のためだけの神で、「おそろしい神だ」という印象を受けます。
どうしてかというと、出エジプトで、エジプトに下された「さまざまな災い」を見るからであります。
そしてまた、モーゼを導いた神というのは、「カナンの地の先住民の地を奪ってよろしい」という神であり、なんといいますか、ユダヤ民族のためだけの神のような気もされなくはないからです。

それにひきかえ、新約聖書は、私は暗くなりません。

また、天御中主神の啓示のようなものも、暗くなりません。

というふうにですね、やはり何か「気」というものを受けてしまいますので、宗教書も一概に良し悪しです。

格調高さというものがあり、やはり格調高いものだけを読んでおいたほうが、いいかなと思われるので、最近の大川氏の「気分悪くなるような霊言」に、会員の皆様の魂が汚染させてしまうことを、少なからず懸念している次第であります。

4.「大川氏の妄想」による「馬鹿政策」に「大川氏の野望」を見る

私は実は、2009年に幸福実現党が選挙に出たときに、「当初は良かったら応援する」というスタンスでネットを見ました。

がしかし、「新日本国憲法試案」なるものに、かんかんに腹をたててしまいました。相当怒りました。2週間ぐらい、朝から晩まで怒りぬいています。

怒った理由には、二つの観点があります。
大統領が「大統領令」をだし、なんでも勝手に決めてしまえるという独裁制なのであります。
国会と大統領令の意見食い違いの場合は、2週間で自動的に大統領令が優先するとありました。
つまり大統領の権限が無制限なのであります。私は「日本を独裁国家にするつもりか」と怒りました。
そしてまた、チャンネル桜の討論会では、「幸福実現党宣言」の本に、「天皇制はあってもなくてもいいけども、まあ文化的遺産として残してあげてもいい」みたいなことを書いているのを見てあきれたのです。

ここで問題なのは、これが「聖徳太子の啓示」なんだそうです。私は「うそだ」と思いました。どうしてかというと、聖徳太子は、「意見が食い違った場合は、皆でよく話あって、決めるように」という旨をいっているんですね。ですから、こんな独裁制を言うわけがないと私は思ったのです。

ですので、私はそこに「大川氏の野望」を見た思いがしました。つまり、ご自分か、あるいはお子さんたちかの誰かが、「独裁」をやって政治を牛耳りたいのだと。

ま、そんな気がした次第です。

私が幸福の科学に対して相当腹をたてて怒ったポイントは、3点ございます。
一つは新日本国憲法試案。
二つ目は、大川氏が宇宙根本仏となっている記述であります。大川氏が宇宙根本仏であるわけがありません。高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか
三つ目は、日本神道系の神々に第二次世界大戦の罪をきせているところです。私はこれにも、かんかんに腹をたてておりました。

ですので、私はこの3つのポイントに対して、大川氏に真っ向から異議を唱えるものでもありました。

ということでですね、私は色々と幸福実現党を分析しまして、「大川氏のにせ霊言による祭政一致は困る」と思い、幸福実現党応援にまわることは、やめたいきさつを持っている次第です。

また、彼らは義務教育に、どうやら宗教教育を盛り込みたいようであり、この場合の宗教教育とは幸福の科学のことです。
幸福の科学が良ければいいのですが、「悪くなりつつある今」、この政党がねらっている宗教教育の盛り込みは、ちょっと考慮が必要とのことで、私はここを応援する気がなくなった次第です。

そしてまた、1億人移民受け入れにも反対です。移民問題で苦しんでいる国家は多いからです。
多少の移民受け入れは必要かとは思いますが、1億人はひどすぎます。犯罪も多発するだろうし、また日本文化が壊されるだろうし、また職業でも、外国人に日本人が奪われてしまうし、食糧、水、電力などの面でも、こうした「短期間による大量の移民受け入れ」に、インフラが整わないものと思うからです。

ですので、私はこれを、「大川氏の妄想による馬鹿政策」と名付けて、笑いました
こんなことを、本気で幸福実現党は考えている様子であります。


国防問題については、まあそこそこ評価できる気はするのですが、もう応援する気もありません。

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3 件のコメント:

  1. 3年越しに出された坂本龍馬の霊言を昔のそれと比べてみると、
    政治活動の実りのなさに対するかなりの焦りを感じます。
    やはり宗教人としての分を超え過ぎたとしか言いようがありません。

    10月には阿部氏との対談が発刊されるそうですが、
    またも守護霊とのこと。
    どうしても本人と腹を割る覚悟がないようです。

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    1. 安部総裁はじめ、自民党のひとからも相手にされていないのだと思います。
      それで誰々の守護霊ということでごまかしているのではないでしょうか。
      大川氏が対談できるのは、子供や部下ばかりです。
      大川氏は実在の社会の人物と対談する自信がないか、全く相手にされないか、どちらかだと思います。
      そう思われても仕方がないのではないでしょうか。
      私はそう思います。

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  2. 他掲示板からのものですが、参考までに貼らせていただきます。

    http://kktaisakubbs.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7591612
    Re: 背中を押してください・・
    日付:2013/02/01 (Fri) 17:36:10 -名前:ちょっと通りますよ
    教えが正しいように思えるのは当然です。何故なら、大川の言葉は偉人たちの受け売りだからです。あたかも大川が考え出したかのような言説ですが、大川のオリジナルではありません。ただ、それが偉人たちの言葉であるから「正しい」と感じるのは悪いことではありません。
    問題は、その「受け売りパクリおじさん」にそこまでの多額な金額を布施する必要があったのかどうか。「良い言葉」を古今東西から集めてくれて読者に教えてあげるだけなら、その書籍代だけで充分なはず。何も豪華なお屋敷にパクリおじさんを住まわせてあげる必要はありません。パクリおじさんが豪邸に住みたいのなら、自分の稼いだ金でやればいいだけの話。その金をあなたが出してあげる義務はありません。にも関わらず、パクリおじさんは書籍代以上の金銭を信者に要求しているのです。「信仰」という名目のもとに。
    ですから、今までに学んだものは大川の教義ではなくて古今東西の偉人の言葉としてあなたの心に残しつつ、会からは離れればいいのです。そもそも、出典を明記せずにあたかも自分の言葉のように教義を語る大川の言葉こそ、偉人への冒涜なのですから。そんな不遜な人物への尊敬などは一刻も早くやめれば、「波長同通の法則」として今後のあなたの人生は繁栄していくでしょう。

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