2012年9月4日火曜日

寄稿体験談 「幸福の科学」退会の真実を語る②


退会の真実を語る② 寄稿体験談(2)

 彼と会った後も、まだ私は退会する気にはなれませんでした。とても「信仰」を捨てる気にはなれませんでした。
「そうはいっても、この教団の教えの内容は素晴らしいものがあるのも事実だ。そこからまだ学ぶべきことがある。悪い部分もあるが、よい部分だってあるではないか。そう考えたら、退会するまでもないだろう。『いいとこ取り』でいけるのではないか・・・。」
 真実を知った後も、マインドコントロールは解けていなかったのでしょう。完全にこの縛りから解き放たれるには、「退会」という儀式が必要でした。ただ、退会した後にもマインドコントロールの影響があり、完全に解き放たれるにはさらに時間がかかりました。
 そして、次に彼と会った時に、正式に退会するよう勧められ、その翌日、退会届を出しました。
 ご本尊や書籍もまとめて捨て、経文もすべてゴミに出しました。

 さて、これでスッキリとした、と思ったのですが、全くそうではありませんでした。

 私が退会したことを知って、法友から「いったいどうしてしまったのか」というメールも届きました。今まで一緒に活動してきた法友に対する申し訳ないという思いもありました。さらに、今まで自分の心の支えであった「信仰」がなくなって、心にポッカリと穴があいてしまったことの虚無感。そして何よりも自分を苦しめたのは、理由なく襲ってくる計り知れない「恐怖感」でした。
 今まで信じてきた信仰とはいったいなんだったのか・・。私は、自分が信じていた「信仰」との対決をせざるをえませんでした。


 後で知ったことですが、私以外の退会された方の多くが、この「恐怖感」に悩み苦しんでいるということでした。私が感じていた「恐怖感」で一番強かったものは、このままいくと中国に植民地化されてしまうという恐怖、そしてこの文明も終わりを向かえ、悪質宇宙人達の餌場となってしまうという恐怖でした。最近の霊言などによって、「恐怖心」として植え付けられていたのでしょう。日本や、日本を取り巻く状況がまさしくそのように動いているように見えたことも、さらに恐怖心を増長させていました。そのため、「今この未曾有の危機を乗り越えるために、さらなる信仰心と布施が必要である。」と信じ、度重なる霊言でも言われていたように、「このような事態になったのは、私達の伝道活動が不十分であったから」と、自責と絶望の中で活動を続けていました。
 世間の人がなかなかこの「真理」に気付かないことに激しい苛立ちと焦りを感じ、世間に対する「裁き」の心や「怒り」の心を強く感じておりました。
 「愛からの活動」ではなく、まさしく「恐怖心からの活動」でありました。

 そのとき私はふと思いました。はたしてこれが信仰であるのかと・・。信仰とは、恐怖感を伴うものなのかと。おかしい、何かがおかしい・・。
 私は20年前に入会したときのことを思い出しました。あの時は、ただ夢中で書籍を読み続けました。あのときの感動と喜びがよみがえってきました。真実を知ったという感動、そしてこれを伝えることで、周りを幸せにできるという喜び。確かにあのときの私は、幸福感に満たされていました。しかし、今の私は、あの頃とは正反対でした。未来に希望も見出せず、目の前に広がるのは絶望のみ。ただ恐怖に耐えながら生きている自分の姿。
 そして気がつきました。この教団で活動しているうちに、知らず知らずのうちに「恐怖心」たるものを、「信仰」の中に植えつけられていたことを。そしてこの「恐怖感」が活動における行動原理となっていたことを。
 信仰とは、批判せずにただ受け入れること、私はそう教わってきました。信仰とは「絶対」のものであると。その信仰の対象たるものが純粋であればよいのですが、無批判に受け入れた「信仰」の中に、「恐怖心」という不純なるものが混じっていたということに気付きました。

 そう考えてみると、ノストラダムスのあたりから現在までの各所において、恐怖心の煽りがありました。「そうであるから、よりいっそうの活動と布施が大切なのだ」という方向に必ずつながっていきました。そして、ここ最近になって、その傾向がエスカレートし、幸福の原理などはそっちのけで、ひたすら「恐怖心」を煽る信仰と布施を強要していることに気付きました。
 
 また、今まで信じていたものを「捨てる」ことに対する恐怖感も強くありました。二十年もの間信じてきたものを捨てるということは、今までの自分を否定することになります。今まで自分がしてきた活動や布施を無駄にしたくない、だから認めたくないという「恐怖感」もありました。
 「今までの信仰が偽りだったなら、これから何を信じていけばいいんだろう。そして、幸福の科学だけがこの世を救う唯一の希望だったのに、それが偽りであったとしたら、何に希望を託していけば良いのか。これから日本や世界はどうなってしまうのか。もはや絶望しか残されていないのか。どうか偽りというのは間違いであってほしい。」
 このような思いもありました。
 しかし、教団の実態を知れば知るほど、とうていこの教団に世の中を救うだけの力もなく、希望を託すに値しないこと、それどころか逆に、その存在自体が「害悪」であるということを知るに至りました。

そこまで至ったときに初めて、自分が今まで信じてきた「信仰」とはニセモノであったことを素直に認めることができました。そして、恐怖感をベースにしたニセモノの「信仰」と決別しようという決心をしました。

 私が大川総裁のセクハラ事件を知ったときに、すぐに信じられなかったのも、「主には深い事情がおありなのだろう」という、いわゆる完全な思考停止状態でした。普通の感性ならば、この耐え難い状況に会われた方への深い同情と、この事件の異常性を感じるはずなのですが、そうならなかったのも、この間違った「信仰」によって理性がマヒしていたことなのでしょう。

以前、「信仰は汝を自由にする」ということを教義の中で聞いたことがあります。しかしながら、信仰が汝を自由にするどころか、思考の自由を奪い、縛っていたということになろうかと思います。

 私は、退会したことによって、自分の心や、自分の持っている信仰について、初めて客観的に見つめることができ、間違いに気付くことができました。この教団との縁を切ることは、信仰が終わるのではなく、新たな信仰の扉を開くスタートであったと思いますそれも真の「幸福」へと向かっていく信仰です。もう今までの「信仰」などまっぴらです。

 私は決して信仰を捨てたわけではありません。逆に、ニセモノの「信仰」を捨てたことによって、さらに深い「信仰」に目覚めたと感じています信仰とは、幸福感と喜びを伴うものであり、決して恐怖心を煽って人々を導くようなものではないと思います。確かに今の日本の状況や日本を取り巻く世界情勢は危機的状況のように私達の目には映ります。言っていることは確かにそうかもしれない。しかし、それによって恐怖心を煽って、伝道や布施などの信仰を強要することとは別問題です。ここに巧妙かつ悪質な「すり替え」を感じざるを得ません。この部分を見抜かないと、退会した後も「マインドコントロール」が抜けずに苦しむことになると思います。彼らの目的がどこにあるのかという「たくらみ」を見抜いていくことが大切だと感じます。

 退会された後の感じ方や進路は人それぞれです。しかしながら、私が聞いた限りでは、退会して幸福になったという方が圧倒的に多いというのもうれしい限りです。しかしその陰では、この教団から被害にあい、退会後なお苦しまれている方々や、退会後もトラウマで苦しまれている方々もいるとの話を聞くにつけ、この教団の罪の大きさたるやいかに、と思わざるを得ません。
 これ以上、不幸な方々が増えないように、そしてこの教団がさらなる罪をおこさないよう、退会しマインドコントロールが解けた方々の手で、いまだ苦しみの淵におられる方や、退会した後「信仰難民」となってしまわれた方々、そしていまだにマインドコントロールされ続けている信者の方々へ救いの手を差しのばすことができれば、これ以上の救いはないと感じる次第です。皆様の知恵に学び、そして自分の経験が少しでもお役にたてることを願ってやみません。


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