2012年9月26日水曜日

投稿・大反響 果たして、退会しても失われない価値はあるのか?


「投稿 退会しても失われない価値があるのでは?」への反響・反論


「投稿 退会しても失われない価値があるのでは?」という投稿に対しては、今までにないほど大きな反響があり、次々とコメントが寄せられた。それだけに、この投稿はおおくの人の心の琴線に触れる内容があったのではないでしょうか。
今まで寄せられたコメント、私へのメールとして寄せられたものも含めて、寄せられた時間の順に、一挙に公開させていただきます。私の価値観による取捨選択は、あえてしておりませんので、ご了承ください。
読者の皆様の考えを深める機会にして頂ければ幸いです。

(以下は7人の方から投稿です。⑥と⑦は同じ方です。)


①真実を語る行為は、尊い愛の行為

「アンチが集まって批判のための批判をしていても、あまり前進はのぞめないのではないでしょうか?」(投稿者の投稿より)

そうですね。 
確かに邪教団と同じ土俵に立って批判しているのであれば、そういうことも言えるのではないかと思います。

しかし、真実の神と一体になって「真実を語る」行為は、 それがたとえ「批判のための批判」のように見えたとしても、 とても尊い「愛の行為」ではないかと私は思います。

「真実を語る」勇気ある行為を、アンチという言葉で一括りにしてほしくないです。

私たちの望む「前進の姿」は、 虚偽を語る霊言集(邪教団)を「真実を語る」真実の言葉で批判することから始まっていくのではないでしょうか? 

四国の元kk信者より

②教祖と信者は鏡合わせ

投稿者に同感です。大川隆法氏その人にいろいろ問題はありますが、しかしながら、教祖と信者は鏡合わせです。

「大川隆法はとんでもない人だ」「いや大川隆法は偉大で絶対に素晴らしい人だ」という、白か黒かというな短絡な思考パターンの方が問題です。

ただ白か黒かを求めるのが宗教なのかもしれず、これは幸福の科学だけではなく、宗教のもっている構造的な問題かもしれません。



③汚いものを金粉で覆い隠しているだけだろう

幸福の科学の教えは、ことばは悪いですが、一言で言えば、「クソに塗った金粉」です。
大川隆法の金銭欲、名誉欲、自己顕示欲、権力欲、物欲、性欲ありとあらゆる欲(クソ)を仏教やキリストの教え(金粉)で覆い隠しているのです。
霊言なども、偉人の名に隠れて自分の妄想を語っているだけです。
大川隆法の教えは、エルカンターレ=大川隆法を崇拝することを求めています。
あなたは、クソを崇拝出来ますか?
あなたが救われた教えは、大川隆法の教えではなく、仏教やキリストの教えなのです。
仏教やキリストの教えをただ大川隆法が語っただけなのです。

④教えはパクリ

自称仏陀の生まれかわりも仏陀の名を衣にして大川隆法の俗物さを隠しているのです。
9次元の霊界も大川隆法オリジナルではなく、高橋信次氏のパクリです。
大川隆法が語ったからと言って大川隆法の教えではないということです。
大川隆法は偉人の教えを、衣をかぶせることで、さも、自分の教えのように語り、信者をだましているのです。

⑤洗脳とは何か

人が集まる宗教団体ならば、どれも9割は正しいことを説いているのです。問題は残りの1割の部分で、それが創始者の個性ということになります。その根本の1割の部分が極めておかしなものだった場合、オウムのようなことになってしまうのです。
教えで救われる人は、正しい9割の部分で救われているので、その人は、それが他の宗教団体であっても、きっと救われていると思います。
問題は、10割まるまる信じ込んでしまっている方々で、根本の1割の部分を信じきってしまうことによって、不幸な人生を歩むことになっていくのです。それが洗脳ということなのです。

⑥心の教えとすり替えられたものを分けよう
みなさん、はじめまして。

教えのすべてを肯定するか、否定するか、それとも部分ごとに判断するのか、むずかしい問題ですね。

ちなみに私の場合は、大まかに言って、教え全体のうち、心の教えに関するものにはやや肯定的で、そうでない部分には否定的な立場をとっています。

そうでない部分というのは、誰それは霊格が高いとか、過去世が偉いというものや、疑ったら魔にやられてるとか、和合僧破壊の罪は阿鼻叫喚地獄だとか、そういった部分です。
これらは、人を慢心させたり、無暗に怖がらせたりするばかりだろうし、心の修行には益はなく、あまり価値がある教えとは思えません。


また、幸福の科学の心の教えには、よいものもありますが、すりかえられているものも少なくないようです。
たとえば、愛、知、反省、発展は尊い教えでしょうけども、伝道が最大の愛、幸福の科学の書籍を学ぶのが知、幸福の科学の価値観に合わせるのが反省、信者や支部を増やすのが発展などといったら、よき人になるための普遍的な教えが、よい信者をつくるための教えにすりかえられてしまっています

信仰についても同じです。本来、信仰は「神を信じること」であるのに、幸福の科学では、「大川隆法を神と信じること」になっているでしょう。

私は大体、このような見方をしているので、幸福の科学の教えのうち、すりかえられていない心の教え……、教団内だけでなく、教団の外でも通用する普遍的な心の教えについては、退会した今でも肯定的です。
ただ、普遍的な心の教えというものは、幸福の科学でなければ学べないものではなく、さまざまなところで学べるので、幸福の科学で説かれてる普遍的な心の教えにこだわる理由はないかな、と思ってはいます。

 ⑦素直に間違いを認めたい
⑥連投失礼します。
私は、大川隆法総裁は、幸福の科学の霊界観でいえば、六次元の人なのだろうと想像しています。ある程度の真理知識は身につけてはいるものの実践はできていないというならば、六次元くらいなのではないでしょうか。もちろんこれは、よい心境のときのことであって、今の次元は何とも言えませんが。

こんなことを書くと、「そんなことはない。大川隆法総裁は、とても高く、広く、深い法を説いている」という反論があるかもしれません。でもそれはその人からそう見えているというだけで、それが事実とは限らないのではないでしょうか。
私は信者だった頃、献本をした相手から、「この人は真理を実践してない。本で読んだことを言ってるだけだ」と言われたことがあります。当時は、「そんなことはない……」と反論したものでしたが、今は、この指摘はよく分かるようになりました。
なんて言ったらいいのでしょうか。本物の真理は、学ぶほどに、実践するほどに、人生経験を積むほどに、その奥深さに感動させられるが、大川隆法総裁の教えは、残念ながら、学ぶほどに、実践するほどに、人生経験を積むほどに、底の浅さに気づかされるというのが正直な感想です。

私も退会後、長らく、自分の間違いを認められず、「自分が信じたときの大川隆法総裁は本物だった。自分の判断は間違ってなかった」という考えから離れられませんでした。でも、徐々にではありますが「自分は判断を間違ってしまった。愚かだった」と認めることができるようになりました。
自己否定は辛いものですけど、自分は間違うことがあると自覚すれば、同じ間違いは繰り返しにくくなるだろうし、間違いを犯した人に優しくできるし、よいこともあるように思います。

 

⑧奥行きがない教え

宗教の学びは、解釈がたくさんあることに面白さがあります。
ところが幸福の科学では、まさに「伝道が最大の愛、幸福の科学の書籍を学ぶのが知、幸福の科学の価値観に合わせるのが反省、‥」となり、(浅薄な)答えが決まっていいて、奥行きがないのです。
はっきり言って本屋にある宗教書の中には、もっと良いものはたくさんあります。


<感謝の言葉>

最初に問題提起してくださった投稿者が、皆様の投稿(コメントを含みます)に対して、感謝の言葉を寄せて下さいましたので、掲載させて頂きます。もっとも新しい問題提起もされているようですが。



この度は私の疑問に対してたくさんの貴重なご意見をいただき心より感謝致します。

成る程!と思うことが多かったのですが、自分の認識と心境がご意見をくださったかたたちの域まで達していないので、なかなか全部がスーッと入ってくるところまでいかなかった、というのが正直な感想です。



例として「大慈悲が働いていると思う」のなかで、悪魔には救いが必要です。
圧倒的に与えきる神の愛は、分け隔てなく人間に降り注いでいるはずです。
とありますが、確かに悪魔にも救いは必要かもしれませんが、なぜ大勢の私ども一般を迷わせてもそれが許されるかがわかりません。それが許されるなら、悪魔のほうが私たち一般のものよりずっと神に愛されていると思います。分け隔てなく、というのはウソになると思うのですが?

迷わせられる私ども一般にそれを通して学べ、というならどこかに揺るがない正当な応えが出てきて然るべきではないでしょうか?
そこではじめて悪魔も一般も平等に愛されていることになるのではないかと私は思ってしまいます。


ま、屁理屈と言われればそれまでですが‥‥。

いずれにしても心温かい貴重なご意見をくださった皆様に心より感謝致します。
本当にありがとうございましたm(__)m。

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5 件のコメント:

  1. >>悪魔のほうが私たち一般のものよりずっと神に愛されていると思います。分け隔てなく、というのはウソになると思うのですが?

    私としては大川氏は始めから悪魔だったとかいうのではなく、宗教的素養(使命)を持っていた人物が極端な転落を果たしたものなのではないかと考えています。
    今現在は、その転落ぶりが露わになってきてこの世を超えた働きによって淘汰されていき、そして、それをきっかけに真理が模索されている状態だといえます。
    少なくとも今は、それがどこかの教祖によってはっきりと示されていると言った明快な応え方ではないのかもしれませんが、だからこそ私達でそれを探し求めていく努力を要するのでしょう。

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    1. 私も、現時点においては、五月雨龍一郎さんと同様な考えをもっております。

      ごく最近、このブログを知り、ざっと斜め読みしたところですので、以下読み違いがあるならば、どうかご指摘ください。

      最初の方で、『舎利弗の真実に迫る』講義が連載され、そのなかで大川氏の素性として、ダイバダッタという推測が示唆されていました。そのうち、「一千億年の孤独」考が掲載され、ルシ(あるいは、それと同列の存在?)の可能性を指摘。さらに読者からの投稿による”神仕組み”とか”大慈悲”とかいう考えが掲載され、種村さんも、これらの考察に読者の注意が向けられるべく、好意的な取り上げ方をされていたと思います。

      もとより、種村さんは、大川氏の出自として、ルシあるいはそれに近い存在の可能性を推察しておられたのかもしれませんが、『舎利弗の真実に迫る』を読み解かれた時点ではダイバと推測。しかし、9月に入って、「一千億年の孤独」考からは、やはり当初の可能性に立ち戻られたのでしょうか。そこに、読者の投稿も援用され、徐々に確信を深められたいった、という流れでしょうか。でも、もう一度しっかりと読み返さないと分からないのですが、種村さんの深層潜在意識は、ルシとほのめかしていないですよね。

      もとより、このブログでは、「仏陀が堕ちる可能性」については、まったくの盲点になっていて、一考だにされていないようです。偉い人でも堕ちるという考え方が全くないからでしょう。

      私は、現時点では、大川氏は仏陀となる可能性を大いに持っていた方だと思います。仏陀となられた、とは申しておりません。また、釈迦としてインドの時代を生きられた、その人そのものであったのかもしれません。
      いずれにしても、霊性の時代を大きく引き寄せる、重大な使命を担っておられた方であったと考えています。しかし、悟りなかばにあって失敗された。そのように考えています。そして今現在は、完全に「のりうつり」状態でしょう。

      泣く泣く教団を退会して、もう6年近くになります。
      そして、私は今、自らの心の声を頼りに、真実を求めています。
      種村さんが、ブログの所々でほのめかされる、「正当な応え」「新しい問題提起」「関心をもって張られたアンテナ」がとても気になっています。

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  2. 四国の元kk信者より

    >迷わせられる私ども一般にそれを通して学べ、
    >というならどこかに揺るがない正当な応えが出てきて然るべきではないでしょうか?
    >そこではじめて悪魔も一般も平等に愛されていることになる
    >のではないかと私は思ってしまいます。


    質問者の方は、「正当な応え」が出てきていない
    と決めつけておられますが、

    私は知っています。

    「正当な応え」は、
    実は出てきています。

    (どこに出てきているかを
    ここで言っても信じてもらえないので
    言いません)

    しかし、
    それは誰かの言うこと
    (あるいは本に書いてあること)をそのままに
    信じるのではなく、

    自分の心の仏性に照らして探し出し
    見つけ出す(自灯明)、

    真の自助努力がなければ、
    ほんとうの意味で自分のものにはならないし、
    知っているとは言えない。
    (神の愛を知っている
    実感しているとは言えない。)

    神(自分)を愛する人でなければ、
    「神からの愛」を実感として
    感じることはできない。

    なぜなら
    「あなたの与えるものが
    あなたの受け取るもの」
    だからです。

    みんな同じく平等に「神の子」
    なのですから、
    悪魔も一般も平等に愛されていて
    当然なのではないでしょうか?


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  3. 私は、悪魔救済の神仕組みというのは考えたことはなかったですが、カルマ解消の神仕組みであれば時々、考えることはあります。

    たとえば、退会した前後には次のようなことを考えたものでした。

    「自分はどうして、この教団と関わってしまったのだろう? どうして教祖を信じてしまったのだろう? 
    もしかしたら、自分は前世で、道を過った教祖に従い、真理に背を向けるという間違いを犯したのかもしれない。人について、法を棄ててしまったのかもしれない。
    そのカルマの解消のために、今生も、道を過った教祖と真理、どちらを選ぶかを試される必要があったのかもしれない……」

    近頃は、こうも考えるようになりました。

    「自分は、人にはつかず、法につくことで、カルマは解消できたはずだけれども、いまだに教祖や信者たちと縁を切れずにいるのはなぜだろう? 彼らに早く真実に気付いてほしいと思うのはなぜだろう?
    あまり考えたくないことだけれども、自分が改心することで自分個人のカルマは解消できたとしても、間違った宗教教団の一員となり、それを支えたカルマは残っているのかもしれない。
    このカルマを解消するためには、自分だけではなく、間違った教祖や信者たち全員に改心してもらうことが必要なのかもしれない……」

    そしてこれらをまとめると、結論は次のようになりそうです。

    「この教祖とその信者たちは、今生と同じことを、前世において幾度も繰り返してきたのだろう。
    自分は、教祖が堕落してしまった時、教祖から離れて、法につくことだけは、長く悩みながらも何とかできるようになったらしい。
    けれども沈みゆく船から、自分だけは逃げだすことはできても、船と共に沈んでゆく仲間たちを救うことはできていない。この課題をこなすまで、転生する度に同じことが繰り返されるのかもしれない」

    こういう考え方は暗すぎるし、神の大慈悲を感じるというより、やりきれない気分になってしまいそうですが、もしもカルマというものがあると仮定するなら、上のようになりそうな気はします。

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  4. 確かに悪魔にも救いは必要かもしれませんが、

    なぜ大勢の私ども一般を迷わせても

    それが許されるかがわかりません。

    ********************

    ここが最大の疑問ですよね。

    元々、悪魔だったワケではありません。

    「神」だった、と言ってよいでしょう。

    霊文明の成功に飽き、物質界に刺激を求める者が現れ、

    反対を押し切って始めてしまったのです。

    過去、何度も失敗しているにも関わらず。

    「物質界には、ユートピア建設は出来ない」

    これは、黄金律なのです。

    何故なら、四苦八苦が永遠に存在し続けるからです。

    そう、物質界には、地獄しか出来ない法則なのです。

    調和的な種族は、戦闘的な種族に全て滅ぼされました。

    従って、弱肉強食の世界を作り、その中の輪廻を主眼に置くしかなくなったのです。

    毎度お馴染みの「畜生道建設」が進行中です。

    物質界の恐ろしさは、「神」さえも、「悪魔(化け物)」に変えてしまう所です。

    「一番強い化け物」にならなければ、「神」として「畜生道人類」を導けませんからね。

    「三度目の失敗」が今、進行中なのです。


    ※大川氏は、「七度目の物質界事業」と騙っていますが、

    私の「調べ」では、「三度目の失敗事業」という答えです。

    この辺は、ぜひ、種村さんに、ロールレタリングなどで、潜在意識と交流し、追求して戴きたい事案です。

    それと、ゴータマの真実も徹底して追及して戴きたいのです。

    この「真実のゴータマ」が明らかになることによって、釈迦を騙る邪教団の教祖たちの嘘が暴かれ、

    カルトに苦しむ多くの人々の救いになる筈なのです。

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