2012年9月27日木曜日

投稿 検証・大川隆法は何故法を説けたのか?②

大慈悲が働いていると思う

法を実践できない大川隆法氏が何故法を説けたのか? 昨日に引き続き、別の方から貴重な投稿を頂きました。投稿者はこれまで2回投稿してくださった方です。
この方の論点は、昨日の投稿を踏まえてのもので、大川隆法氏が法を説いても、神の言葉(法)の尊さは決して汚されることはない、というものです。大川隆法氏がまだ心の透明感を保持していた頃に、神は彼に神の言葉を預けられたことがある事を認める立場です。それを神の大いなる慈悲という観点から認めていこうとされています。
これも非常に奥深い洞察です。是非、注目してお読みください。


<投稿>

大川隆法が、何故法を説けたのかという理由は、退会された方の多くの方が持たれていることと思います。
大川隆法が説いた教えに感動した人もいるでしょう。
それは以前に書きましたが、それにさらに補足をさせていただくと、
「偉大なる神仏の念いは、何ものにも冒されない。故に神の言葉は何ものにも冒されない」ということではないでしょうか。

悪魔的な存在が神仏の言葉を語って感動を与えられることは、それを語った悪魔の力ではないのです。
言葉そのものが神仏であるから、悪魔的存在が神仏の言葉を語っても神仏の権威は汚されることはないのでしょう。
故に、神仏を悪魔が汚すことも出来ないということになります。

私は神仕組みであると考えています。
さらに言えば、これは大いなる神仏の大悲であると思います。
私は大川隆法がルシファーの生まれ変わりと信じています。
故に、彼の存在こそ、神仏の大いなる愛の現れでもあると思います。
すべての存在は、根本神から分かれてきた存在です。
それが悪魔という存在になっても同じです。
悪魔と言われる存在でも、消滅させることを根本神はされないのです。
故に地獄も存在を許されている。
故に悪魔には救いが必要です。

「神仏の子としての心を取り戻させたい」と神仏は願い続けているはずです。
「地上に生まれることを許し、そして、神の言葉を人々に説き続けることで
多くの人々を傷つけたカルマを修正させ、神仏の子としての心をと戻させたい」と大いなる神仏が願われたら、大川隆法であっても、偉大なるri
神仏の力が及べば、法が説けることは当たり前のことではないでしょうか?
圧倒的に与えきる神の愛は、分け隔てなく人間に降り注いでいるはずです。

一切の生命は平等であると思います。それゆえ、怨親なく相手の幸福を願う心こそが、人間の目指すべき理想であるというのが、仏教の思想であると思います。
密教的には全の存在は、大日如来が姿を変えた存在であるということです。
キリスト教では人は皆神の子です。それは大川隆法でも、私たちでも皆同じです。
そうであるならば、偉大なる神仏が天使だから、悪魔だからと差別をするでしょうか?

宇宙を創造した大いなる神仏からみれば、地球なども小さな存在でありましょう。

 神仏は愛そのものであり、私たち人間が捉えられる愛を超越しているもので
はないでしょうか?
大川隆法が地獄より引き上げられた事の理由のひとつが、ここに存在すると思います。
偉大なる神仏の力を私たちが侮っていれば、「そんなはずはない」と思うのかもしれません。
しかし、宇宙創造をなし、人類を創造した存在を偉大なる神仏とするならば、
不可能など存在しないのではないでしょうか。
今回の大川隆法の問題は、私たちに対して真なる偉大なる神仏へ思いを馳せるために与えられた慈悲でもあると思っています。

悪魔的存在が地上に生まれ、人生を生き、そこにサウロが改心した以上の改心を為した時、そこに偉大なる神仏の存在を私たちは感じることになるでしょう。
しかし、その改心が偉大なる神仏の願う通りでないとしても、その存在を私たちの前に現されたことだけでも、そこに偉大なる神仏の慈悲を感じることが出来ることになると思います。

4 件のコメント:

  1. 私としては大川氏は、ルシフェルだとかといった
    大層なものじゃない気がします。
    もし、本当に地獄の王のような存在だったなら、50も過ぎた果てにはヒトラーや「20世紀少年」の「ともだち」のような、国家を手玉に取ってしまうようになって、
    例え悪い方向であっても、世界を大きなうねりに巻き込む位の偉業は為せそうです。

    種村氏を仏教史上最大の仏敵、ダイバダッタですらなく、それについていった無名の僧としましたが(個人攻撃のつもりなのでしょうが、却ってそんな無名の、取るに足らない相手に脅かされてムキになっている教団や氏の矮小さが露わになってしまっているのは皮肉です。)彼も実際のところはそのようなものではないのでしょうか。

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    1. 私も、よくそんな無名の人間に対して、本を一冊出して批判したり、裁判を起こしたりするものだなと思うと、こっけいな感じがすることがあります。人を貶めた行為が、めぐり巡って御自分に戻ってきているという感じを強く受けています。これによって縁起の理法を悟られることを、期待したいと思っております。

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  2. それに、もし、彼がそれほどの地獄的存在だとしたら、
    恐らくそれに対となる救世主が、「仏陀再誕」でいう空野太陽のような存在もまたこの世に生を受けていることになります。
    果たしてそれは…?

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    1. そういう事になりますね。関心をもってアンテナを張りたいものです。

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