2012年9月21日金曜日

投稿 退会しても失われない価値があるのでは?

実践し、自ら掴んだものは輝きを失わない


女性読者から投稿をいただきました。今までの投稿とは、また別の角度からの視点がありました。退会して幸福に生きるためのヒントになればと思い、紹介させていただきます。なお、この方の疑問に対する回答を下さる方があれば、歓迎します。

<投稿>

9月からの種村ブログに寄稿された方々の体験談を拝見して、私なりの感じたことを述べさせていただきます。

それぞれに洗脳解除とおっしゃっています。
それからすると各人各説で、まとめあげるトップ(いままではそれが総裁の役目=だから信じることになった)がいないので、それぞれが正しいということになってしまいます。
アンチが集まって批判のための批判をしていても、あまり前進はのぞめないのではないでしょうか?

かくいう私も四ヶ月前に退会しました。
ですが、みなさんのように、教団のマインドコントロールのせいで苦しんでいるとは思ったことがありません。教団の教えにそって物事を考えることがぜんぶ洗脳だからダメとなると話は別ですが
‥‥
教団の教えも実践してみて、私なりの多くの学びと気付きがありました。

みなさんの投稿を読みますと、アンチになるとオールorナッシングになっているということも感じます。
その考えかたは違うということも教えのなかにあったものです。これは教えのほうが正しいと私は思っています。そこで感じるのは、色々な教えが言葉としては知っているが、自分の知恵となるところまでいっていないのではないでしょうか? そうすると何かが起きると誰かのせいになってしまいます。それが退会しても苦しむ要素となるのではないでしょうか?

私が教団にいたときの苦しみは、高級諸神霊の教えと自分の考えかたとのギャップでした。ひとまずは、自分で自分が気に入らないところの修正にとても苦しみながら取り組みました。又、教えに照らしあわせれば、あまりにも現場の職員と教団のやり方が違うということでした
そして、それは総裁が現場を知らないからだ、知ったらきっとただしてくださるに違いない、と思っていました。なぜなら、教えを説いたかたイコール実践しているかた、と信じ込んでいたからです。

ですが‥‥
なんと、発信源が総裁だったということを目の当たりにする出来事がありました。
それを知ったとき教団に対するいろんな疑問が解けた気がしました。

なので退会しましたが、私が一番疑問に思っていることは、実践してこの教えはほんものだと確信してやってきたのに(実際は説かれた全てがホンモノとは限らない)、説いた本人(総裁)はそれを実践していない。それなのに何故、総裁が法を説けたのか? 天上界の応援があった(初期のころは確かにあったと今でも思っています。)のか? ということです。ここは、波長同通の法則とも関連してきますので、是非どなたか解明してくださいませ。
そこが解消されたら私のなかから教団の存在は消えるくらい遠い存在になると思います。

こう言ったからと言って、私が布施や伝道をしてこなかったわけではありません。
金銭の多寡、あるいは人数など他の人と比べれば少ないかもしれませんが、自分としては、その時々の精一杯を、自分の生活より優先してやってきました。
布施も精一杯の真心からさせていただきましたので、とられたとか、損をしたとかという気持ちはありません。天上界に自分の気持ちを差し出すという思いでした。
何故なら、天上界から奇跡をたくさんいただいたからです
見返りを求めない行動の対価はこの世からではなく天から与えられる、という教えも本当だと確信したのもこんなことがあったからです。
この信仰をしてきた年月はいったいなんだったんだろう? と言われたかたもいましたが、そういう意味では信仰の意味が私とはちょっと違うような気がしました。
いろんな反論もあろうかと思いますが、やはりオールorナッシングで考えると、自分否定につながっていくのではないかと思います

退会したからといってなにもかもを否定せずに、学んで自分のものとなった教え、気付き、法友との絆、そして天上界の応援、等々、手放さなくてもよいものもたくさんあると思いますが、いかがでしょうか?

7 件のコメント:

  1. 同感です。大川隆法氏その人にいろいろ問題はありますが、しかしながら、教祖と信者は鏡合わせです。

    「大川隆法はとんでもない人だ」「いや大川隆法は偉大で絶対に素晴らしい人だ」という、白か黒かというな短絡な思考パターンの方が問題です。


    ただ白か黒かを求めるのが宗教なのかもしれず、これは幸福の科学だけではなく、宗教のもっとている構造的な問題かもしれません。



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  2. 幸福の科学の教えは、ことばは悪いですが、一言で言えば、
    「クソに塗った金粉」です。
    大川隆法の金銭欲、名誉欲、自己顕示欲、権力欲、物欲、性欲ありとあらゆる欲(クソ)を
    仏教やキリストの教え(金粉)で覆い隠しているのです。
    霊言なども、偉人の名に隠れて自分の妄想を語っているだけです。
    大川隆法の教えは、エルカンターレ=大川隆法を崇拝することを求めています。
    あなたは、クソを崇拝出来ますか?
    あなたが救われた教えは、大川隆法の教えではなく、仏教やキリストの教えなのです。
    仏教やキリストの教えをただ大川隆法が語っただけなのです。

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  3. 自称仏陀の生まれかわりも仏陀の名を衣にして大川隆法の俗物さを隠しているのです。
    9次元の霊界も大川隆法オリジナルではなく、高橋信次氏のパクリです。
    大川隆法が語ったからと言って大川隆法の教えではないということです。
    大川隆法は偉人の教えを、衣をかぶせることで、さも、自分の教えのように語り、信者をだましているのです。

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  4. 人が集まる宗教団体ならば、どれも9割は正しいことを説いているのです。問題は残りの1割の部分で、それが創始者の個性ということになります。その根本の1割の部分が極めておかしなものだった場合、オウムのようなことになってしまうのです。
    教えで救われる人は、正しい9割の部分で救われているので、その人は、それが他の宗教団体であっても、きっと救われていると思います。
    問題は、10割まるまる信じ込んでしまっている方々で、根本の1割の部分を信じきってしまうことによって、不幸な人生を歩むことになっていくのです。それが洗脳ということなのです。

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  5. みなさん、はじめまして。

    教えのすべてを肯定するか、否定するか、それとも部分ごとに判断するのか、むずかしい問題ですね。

    ちなみに私の場合は、大まかに言って、教え全体のうち、心の教えに関するものにはやや肯定的で、そうでない部分には否定的な立場をとっています。

    そうでない部分というのは、誰それは霊格が高いとか、過去世が偉いというものや、疑ったら魔にやられてるとか、和合僧破壊の罪は阿鼻叫喚地獄だとか、そういった部分です。
    これらは、人を慢心させたり、無暗に怖がらせたりするばかりだろうし、心の修行には益はなく、あまり価値がある教えとは思えません。

    また、幸福の科学の心の教えには、よいものもありますが、すりかえられているものも少なくないようです。
    たとえば、愛、知、反省、発展は尊い教えでしょうけども、伝道が最大の愛、幸福の科学の書籍を学ぶのが知、幸福の科学の価値観に合わせるのが反省、信者や支部を増やすのが発展などといったら、よき人になるための普遍的な教えが、よい信者をつくるための教えにすりかえられてしまっています。
    信仰についても同じです。本来、信仰は「神を信じること」であるのに、幸福の科学では、「大川隆法を神と信じること」になっているでしょう。

    私は大体、このような見方をしているので、幸福の科学の教えのうち、すりかえられていない心の教え……、教団内だけでなく、教団の外でも通用する普遍的な心の教えについては、退会した今でも肯定的です。

    ただ、普遍的な心の教えというものは、幸福の科学でなければ学べないものではなく、さまざまなところで学べるので、幸福の科学で説かれてる普遍的な心の教えにこだわる理由はないかな、と思ってはいます。

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  6. 連投失礼します。

    私は、大川隆法総裁は、幸福の科学の霊界観でいえば、六次元の人なのだろうと想像しています。ある程度の真理知識は身につけてはいるものの実践はできていないというならば、六次元くらいなのではないでしょうか。もちろんこれは、よい心境のときのことであって、今の次元は何とも言えませんが。

    こんなことを書くと、「そんなことはない。大川隆法総裁は、とても高く、広く、深い法を説いている」という反論があるかもしれません。でもそれはその人からそう見えているというだけで、それが事実とは限らないのではないでしょうか。

    私は信者だった頃、献本をした相手から、「この人は真理を実践してない。本で読んだことを言ってるだけだ」と言われたことがあります。当時は、「そんなことはない……」と反論したものでしたが、今は、この指摘はよく分かるようになりました。

    なんて言ったらいいのでしょうか。本物の真理は、学ぶほどに、実践するほどに、人生経験を積むほどに、その奥深さに感動させられるが、大川隆法総裁の教えは、残念ながら、学ぶほどに、実践するほどに、人生経験を積むほどに、底の浅さに気づかされるというのが正直な感想です。

    私も退会後、長らく、自分の間違いを認められず、「自分が信じたときの大川隆法総裁は本物だった。自分の判断は間違ってなかった」という考えから離れられませんでした。でも、徐々にではありますが「自分は判断を間違ってしまった。愚かだった」と認めることができるようになりました。

    自己否定は辛いものですけど、自分は間違うことがあると自覚すれば、同じ間違いは繰り返しにくくなるだろうし、間違いを犯した人に優しくできるし、よいこともあるように思います。

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  7. 「mmnmll2525」さんの意見に賛成です。

    宗教の学びは、解釈がたくさんあることに面白さがあります。ところが幸福の科学では、まさに「伝道が最大の愛、幸福の科学の書籍を学ぶのが知、幸福の科学の価値観に合わせるのが反省、‥」となり、(浅薄な)答えが決まっていいて、奥行きがないのです。

    はっきり言って本屋にある宗教書の中には、もっと良いものはたくさんあります。

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