2012年9月9日日曜日

芥川龍之介との対話② 

文学の使命を語る 


種村 「芥川先生は、一時は地獄へと行かれたのではないかと思うのですが、自殺の影響はいかがでしょうか。」

芥川 「まあ君の洞察通り、しばらくは苦しんだよ。私は霊能者でもあったんだけど、心が暗い方向へ傾くと、やはり敏感に悪霊のささやきを感じてしまって、抜けれなくなってくるんだよね。お金の苦しみもあった。だんだんインスピレーションが悪くなっていって、特に書けない苦しみってあるんだよ。それが大きかったよ。」

種村 「あの世の世界は見ておられたのですか。」

芥川 「夢で見ていたことも多いし、書いているうちに筆が走るということもあるね。君が例えば、こうして書く時、私が君に語りかけているのを書くわけだろう。君のように、私のところにも、私が書こうとする世界の人が来て、私に語りかけていくのさ。やっぱり、彼らも自分たちのことを知らせたいという気持ちを持っているからね。私のような霊感の強い文学者がいると都合がいいわけだね。」

種村 「先生のご使命は何だったのですか。」

芥川 「文学の世界を通して、人々に心を教えるということが、大きな使命だけど、霊的世界を君のように心理学とか宗教じゃなくて、文学として教えるのも使命だった。日本の文学にも、この系統のものは結構残っているし、大切な役割を果たしているんだ。私も過去、そういう仕事をしたこともある。科学万能の時代においては、文学という形でやったほうが多くの人々に受け容れられるから、宗教に劣らない仕事が出来るんだ。その意味で、その実績を評価されて、上へ還ったということだ。有島武郎君もやはりそうだね。

文学者はカウンセラーみたいなもので、人の心を非常に深く知るし、その世界へ心を飛ばして、そこで見聞きしたものを書いているところもある。その世界が暗い世界だと、やはり引きずられていくのだから、危険な面を持っているんだよ。しかし、一時的にそうなったとしても、やるべきことをやったら、もういいんじゃないかな。
こういう才能は早成(老成の逆)して、早めに地上を切り上げた方が、幸せかもしれないね。ミルトンのように晩年に大作を書き上げるというのは、やはり大天才であって、通常はああはいかない。ゲーテだってそうだけど、やはり彼らはスケールが違うよね。」

種村 「私が文学にはどう取り組めばよいのでしょうか。カウンセラーとしてですが。」

芥川 「君がもし文学を学びたいなら、その人の心の中に入っていくトレーニングとしてやるといいよ。色んな心の世界はあるけど、そこへ入っていくんだ。その人の心の動きの中へね。そして、自分が疑似体験をしていく。そうして自分の世界を広げていくといいと思うよ。君は少し広がりが少ない。高さはあるし、深さも持っているけど、広がりが不足しているね。私のものも読めば、君の心の中に私が遊んでいた世界のポケットが出来るわけで、同じ世界を持っている人は入れてあげることができるよね。そんなふうに使えばいいんじゃないか。感情の機微(感情のひだと心の機微)みたいなものが少し鈍そうだから、役には立つと思うよ。」

種村 「文学の使命って何ですか。」

芥川 「人間の心の世界の広がり、深みを教えることじゃないかな。人間は皆、心を持っているけど、その心を極めた人は少ないし、気づいていないんだよ。ところが文学は、心の世界を深く深く掘り進んで描いて見せるわけだ。それによって、自分の心の領域を広げる手伝いをしているわけだね。読んだ人はその世界へつながっていくから、心の世界の旅行を体験するわけだね。

 君の相棒も、人の心を自分に映し出して話しているわけだろう。これも器を広げるね。そういう意味では、人の心の可能性というものを、高みへと連れて行くのは難しくても、横とか縦とかに掘っていくことは可能であって、物質に閉じ込められ、狭い世界に閉じ込められている心を、広くする役割はあると思うよ。」

種村 「先生には私にはどのような恐怖心があるのか、見えますでしょうか。見えたら教えて頂けませんか。」

芥川 「君が一番恐れているのは、神の御心に反していないかということだと思う。これへの畏れは持っている。この点を除いたら、君はこの世的な事にではあまり恐れを持っていないのではないかな。もちろん、敵に隙を作って攻められるのは避けたい、とか、裁判などは出来れば避けたいという気持ちはあるだろうが、神の御心ならば断じてやるという面は持っているからね。
神への畏れというのは、人間にはやはり要ると思うよ。地上で神になって人々を従えるだけになったら、行く末は恐ろしいよ。常に神への畏れをもって、己のありようを確かめながら生きてゆく。そこに真の謙虚さが出てくると思う。

私たち作家が怖いのは何かといえば、筆が止まるということだな。作家は書けなくなったら終わりだ。その意味で、自殺で生命が終わっても、それは使命の終了ということだ。私も予定してきた作品は、ほぼ出しえたと思うんだ。もっと大作を書けないかという思いもあるが、欲を言えば切りがない。芥川は芥川であって、すでに完結した人生だからね。それでよかったと思っている。」

種村 「有難うございました。大変貴重なご指導を頂き、感謝申し上げます。私がもし『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』(大川隆法著)を論評する時がありましたら、その時には御指導よろしくお願いします。」

<芥川龍之介氏のとの対話を終えて>

 私は最初、大川隆法著の『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』への批評を書こうと考えていました。しかし、芥川龍之介氏のお人柄や思考法を知らずに、ただ論評するというのは、あまり生産性のあることとは思えなくなって、まず芥川龍之介氏と対話をして、その上でどうするかを考えようと思いました。そうして始めたのが、この対話です。ちなみにその本を読む前に、この対話をしています。
 
 しかし、やり始めてみると、芥川龍之介氏のものの見方や見解には触発されることが多く、改めて図書館へ行き、芥川龍之介氏の本を借りてきました。特に霊的世界を文学に書くという使命について、非常に納得がいく部分があり、宗教家でなくても、或いは心理学者でなくても、こうした世界を探究して世の中に知らせる仕事がある事を知りました。

 私へのアドバイスでは、心の幅を広げる必要があるという指摘は、その通りであると思いました。文学を読むことで、その作家が描いた心の世界に入り込んで体験することで、自分の経験の幅、心の幅を広げることが出来るという指摘でした。カウンセラーとして、ユングや河合隼雄氏の影響で児童文学や物語に親しむようになったのですが、文学も意識して読んでみたいと思いました。

 今回は、文学者も宗教家も心理学者もしくはカウンセラーも、意外と扱っている領域には近いものがあるのだということを自覚しました。要するに心を扱っている以上、アプローチの方法論に違いはあっても、到達点は一致してくる部分があるのだと思います。

 最後になりますが、これが本当に芥川龍之介との対話かどうかということの実証は、やはり難しいと思います。しかし、読者に害のあるものを出してはいけないし、嘘を書いてはいけないので、できる限りのチェックはさせて頂いています。その上で、一定レベルの信用性があると判断したので出させて頂きました。読者の皆様には、ここに何か学んでいただけるものがあれば、大変うれしく思います。

<希望のブログ>

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4 件のコメント:

  1. 真偽は確かに分かりませんが、作家を目指す私の心に、涼風のように響きました。

    私が書く作品も、もしかしたら地獄に繋がっていて、それにつられて自身も暗黒面に引きずられるかもしれませんが、
    それでも、何も書かないよりかは地獄に堕ちた方がいいかもと思えました。

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    1. もし暗黒面に引きずられる体験をされたとしても、必ずそこから這い上がった体験をされて、そのコツもあなたの小説に書いて欲しいと思います。それが最も読者が知りたいことではないかと思います。
      その際に、もし自分ひとりでは抜け出すのが厳しくなれば、いつでもご相談ください。カウンセラーとしてサポートでさせていただけると思います。

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  2. そもそも私は、どんなに絶望的、地獄的、反宗教的であっても、
    どんなに人が悲惨で惨めな目に遭うようなものであっても、
    創作(鬼畜ポルノ、スプラッタームービー、反社会的なヘビメタ)それ自体が
    地獄に行くような罪だとは思いたくないです。

    もちろん、幸福の科学の出すような名誉棄損ものやら、
    チャタレー夫人や三島由紀夫のように訴えられるような表現の作品もありますけれど、
    基本的には、地獄的作品や、それが持つ人の心に迫る力は、それにより(創作、鑑賞などで)、人間の負や闇の部分が適度に発散されている面もあったりして十分に意味や価値があると思いますし、(逆に超道徳的な作品なんてつまらないことこの上ない!)
    例えば「もし、こういう内容のものを作ったら地獄行き」というのであれば
    それは人間の根本的な自由、人間の真実の探究や表現の否定になってしまいます。
    その人物の性質が、その人の思想や作品がに全く無関係とは思えませんが、
    やはり作家や思想家本人の正邪は、
    純粋にその人自身の行い(善行、悪行)やヒューマニズム的な心持ちといったもので決められるべきだと思います。

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    1. 悪の問題と真正面から取り組んだ作家にゲーテがいます。ファウストは悪というものを、一つの実在した存在として取り上げている作品だと思います。霊的な感覚を持っていたのだと思いますが、そういう人には地獄の存在もはっきりと感じ、悪魔もその個性の違いまで感じ取れたのだと思います。ファウストをむさぼるように繰り返し読んで、自分の思想形成をしたのがユングでした。ユングも悪の実在性については、認識しており、それとの対決を心理学の中に組み込んだのではないかと思います。さらに言えば、ユングはエホバの神のもつ邪悪な側面も認識しており、単なる天国地獄と言う単純な分け方で善悪を見ていません。悪を見据えて悪に飲み込まれていく人間を書いても、悪に飲み込まれなければいいのではないでしょうか。そういう意味で、五月雨さんの最後の結論部分は同意できるのではないかと思います。

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