2012年9月3日月曜日

寄稿体験談 「幸福の科学」退会の真実を語る①

 このブログの一人の愛読者の方が、御自分が最近退会されその後に大きな心の葛藤をされた経験を、文章にまとめ、送って下さいました。この方は40歳代の男性で、20年以上の信仰歴がある方のようです。大変深い洞察がされていて、多くの方の救いにつながるものがあると思いましたので、2回に分けて紹介させて頂きます。

退会の真実を語る① 寄稿体験談


心の中で、私は問い続けています。

「私にとって、幸福の科学とは何だったのか・・・。」
「あのころの信仰とは、いったい何だったのか・・・。」

約半年前、私は幸福の科学を退会しました。
現時点で、この教団を退会することができたことは、私にとっては非常に幸運でした。退会するきっかけとなった元信者の方々とのご縁に深く感謝しています。彼らとの出会いがなければ、私は家庭的にも経済的にも疲弊しながら、盲目のまま無益な信仰を続けていたことでしょう。
 そして、いざ退会するに際し、また退会した後にも、さまざまな心の葛藤や苦しみが私を襲いました。しかし、幸福の科学の教えに則して()、心を客観的に見つめながら、心の中の苦しみの原因を探求していきました。そして、その原因が、この教団の中で学習し活動していく中で、知らず知らずに身に付けてきた思考パターン、いってみればマインドコントロールであることがわかりました。そして、そうであることがわかって初めて、私はこの教団からのマインドコントロールが解けたような気がしました。
 それからネットで、種村さんをはじめ、退会された方々のブログを目にしながら、ようやくこの教団の真実の姿を理解することができました。
 
 
 私が入会したのは、20年前の大伝道期の頃でした。入会してからは、ひたすら書籍を読みふけりました。活動も半ばリーダーとなって活動もしましたし、布施についても、植福菩薩とまではいきませんでしたが、自分のできる限り布施もしてきました。会社を辞めたときの退職金も、ほとんど布施に消えていきました。それでも私はお役に立っていることへの喜びから、転職した後も、少ない給料の中で、可能な限りの布施を続けてきました。


 私にとって、「信仰」は絶対的なるものでした。その絶対的なる「信仰」が偽物で全く価値のないものであることを知ったとき、そのときに感じた虚無感は耐え難いものでした。しかし、もういちど、今までの「信仰」の本質を見直しつつ、真実の「信仰」をつかもうと決意し、元信者の方々と接しながら、現在にいたっています。

 退会して、同じ退会された方々と接しているうちに、私と同じ苦しみを味わっている方や、退会されてもなお、心の中に残ったマインドコントロール的なものに苦しんでいらっしゃる方が多いことに気づきました。
 そして、退会したいのだけれど、一線が越えられずに退会できずに苦しんでいる方もきっといらっしゃると思います。
 そうした方々のために、自分が退会するにあたり、気づいたり得られたことを伝えることで、少しでも助力になることができればという思いに到りました。
 
私が退会したきっかけは、一緒に活動をしていた信者の方の退会でした。突然の退会に、私は彼のとった行動を到底信じることができませんでした。
私は熱烈信者の方ほど熱心に活動はしておりませんでしたが、エル・カンターレを信じ、幸福の科学の教えを人生の指針にして日々を生きてきたつもりでした。衆議院選挙のときにも積極的に参加しましたし、前述したように、可能な限りの布施の実践もしてきました。
 私が退会した理由は、大川総裁のセクハラ問題の件でした。
 本当に酷(ひど)い話だと思うのですが、「信仰」によって思考停止になっていた私は、実は最初はその話を聞いても、それほど酷い話だとは感じませんでした。
 
 私は彼に次のような返信メールを送りました。
 「確かに被害に遭われた方にはお気の毒なことでしょうし、信仰心を裏切られて、当会から離れてしまう信者さんもいることでしょう。
  釈迦教団時代にも、何か似たような話があったように思います。スキャンダラスな話はいつでも付きまといますし、信仰を揺さぶられる事件も数多くあったように思います。
確かに、今回の事件は、根の深い、大変難しい問題のようですが、主を信じて熱心に活動しておられる方々には大変気の毒な話ですし、ある意味において信仰を試されることになるのかな、と思います。
 それよりも、幸福の科学の説かれている法は、確かに世界を救う法であるという確信があるので、如何にこの法を世の中に広めていくかということが、私の最大の関心事ですし、使命と思っています。
 主は、「私を信じて、ついてきてください。」とおっしゃいました。ですから、私は何があっても、「主を信じて、ついていく」つもりでいます。
「主を信じて、ついていく」ということは、決して「擬」でもって裁くのではなく「愛と信仰」の中に生きていこうと「決意」することだと思います
 今回の件で、当会を離れた方々については、大変お気の毒で、お気持ちは大変良くご察ししますが、一歩踏み止まって、自分たちにとっての真なる『使命』とは何であったのかということを、今一度心に問うてほしかったと思います。
 総裁先生も相当つらい立場でしょう。ですから、ほんの僅かでも主のお役にたてるように、いつも支援の念を主に対して出しており、また祈っています。主は、自分がつらいときも、いつもそばにいて支えてくださいました。ですから、今こそ、私たちが主を支える立場ではないでしょうか
『慈悲』がこの世を覆い尽くすことも、そう先のことではないでしょう。
その『来るべき日』に向かって、この世だけでなく、あの世の世界も含めた、多くの仲間たちとともに、みんなで心を一つにして、ただ一つの目的のために、ともに歩み、祈っていけたらと思います。」
 以上のように返信しました。

 大川総裁のセクハラの話を知って、まず最初に思ったことは、
「主は、悪の軍隊と一人で必死に戦っておられる。このようなセクハラ話が本当だとすれば、それは私たちの光が弱くて、主を守ってあげられなかったからだ。私たち弟子の伝道活動がふがいないために、主を守ってあげることができなかった。そして、主にそのような行為をさせてしまった。これはひとえに私たち弟子の責任だ。さらに光を強めて、主をお守りしなければならない。そのためには、さらに伝道と布施をしていかなければ・・。」
  私にとって、主は「絶対」でした主は「愛の神」だ。主は私たち仏弟子を無限の愛を持って包んでくださっている。そのような主に間違いなどあるはずもない・・。

 そして、メールを送った彼から、ぜひ会って話を聞いてほしいということでした。私は彼が「魔にやられた」ものと思いました。この場合、「魔にやられた」人との接触は、自分も魔の影響を受けてしまうため、出来る限り接してはいけないことになっています。
 ただ、私も、ここ最近の霊言に疑問を持ち始めていました。特に12月に行った講演会の内容に心響くものが全くなく、いったいどうなってしまったのかという思いもありました。しかし、「信仰」にたいする「疑」の心は、悪魔にかどわかされているということで、自分の心の中に無理無理に押さえ込んでいました
 しかしながら、退会した彼は、大変信仰篤い方であり、私は彼を深く尊敬していました。その彼の気持ちが退会へと動いた本当の理由を知りたくて、後日会う約束をしました。


彼は、魔にやられたに違いない。」私はそう思いました。彼は、昔と違っておかしくなっているに違いない。たぶん私が以前尊敬していたような存在ではなくなっているだろう。「魔にやられている」彼はどのようになっているのだろう。しかし私は彼を救う義務がある。しかしまず、自分が魔にやられないようにしないと・・。そしてあわよくば彼を魔から救うことができるだろうか。どうか主よ、私をお守りください。
 などと思いながら、久しぶりに会った彼の姿は、昔とまったく変わっておりませんでした。話し方、考え方とも、私の尊敬していた彼自身そのものでした。
 私は目を疑いました。退会した彼が、何でこれほど「まとも」なのか・・。

 
 そして、彼から聞いた話は、まさしく耳を疑うものでした。
教祖自身がおかしくなりはじめている・・。」
 そして彼が退会するまでにいたった経緯と、この教団の陰で起こっていることを詳細に話してくれました。すべての話に正当性があり納得できるものでした。
「信仰」の名のもとに自分の心の中に抑えていた、この教団に対する「疑」の思いがわくのも当然であったと感じました。まさしく、目の前の壁がガラガラと崩れていくような感覚でした。
そして、また会う約束をして、静かに彼と別れました。

 私の今までの「信仰」は何だったのか・・・。その思いだけが私の頭の中を駆け巡り続けました。

(次回に続く)

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