2012年7月23日月曜日

『舎利弗の真実に迫る』講義46 過去世認定の罪

「大川隆法 自分に対して言われたことは大部分を信じていて、むしろ、言ったほうの責任を問うというような、あの感じは不思議です。それに、反省ができないところも共通しています。自我がすごく巨大で、それを守っているわけです。
 要するにいい思いをしたんですよ。たとえて言えば、宝くじに当たったように、早い時期に来ていい思いをしたのですが、その後に正当な競争が起きてきて、『いる場所が違う』という感じになってきたということです。この世的に見れば、単にそれだことなんです。」(『舎利弗の真実に迫る』P219

<解説>

 これも不思議な感覚で読んでいます。
「舎利弗だなどと過去世認定したのに、その後落ちこぼれているのが許せない。どうしてくれるんだ。過去世認定した責任を取って金と地位をよこせ。」
こういうことを種村偽守護霊に言わせていますから、そのことを指しているのでしょう。

 ここには大川隆法氏の自己責任が全くありません。偽りの過去世を告げるということは、その人のアイデンティティの確立を阻害するのです。なぜならニセモノを自分であると信じるのですから。本物の自分を探究して宗教指導者についたところが、ニセモノ自己を自分だと思い込まされたということになります。これは宗教指導者としては致命的ではないでしょうか。そのことに対しては、一言お詫びがあってもしかるべきだと思います。

 しかし、大川隆法氏は詫びません。それは教団運営の手段として、弟子に立派な過去世を与えて目いっぱい働かせつつ、ちゃっかり自分の権威も作っていくのが、もともとの彼のやり方だったからです。私はそうではなかったと信じたいのですが、今の彼の言い分を聞いていると、やはりそう思うしかないのかと思ったりします。ここはまだ判断が揺れています。

 今、彼は数多くの弟子の過去世認定をしていますが、これは全部、今言った彼のやり方からきていると思ったほうがいいと思います。ほとんど嘘の可能性が高いということです。大川隆法氏は、真実性ということに、本当にこだわらない人です。実績につながるかどうかしかみない、結果主義者だと思います。ですから、ほとんどの過去世認定が嘘ではないかと疑う方が正しいのです。それでもなお信じるのなら、これは信じた人に責任ということになるかもしれません。

 「立派な過去世があると言ってもらえたので、初期の頃はいい思いをしただろう。だからありがたく口をつつしみ、おとなしくしていなさい、感謝こそすれ批判するとは何事か」ということを言いたいのだと思います。
私はこれは少し違うと思います。なぜなら釈尊の教えの中に、「誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉」は悪魔の軍隊であるという教え(『ブッダのことば』岩波文庫、中村元訳)があるからです。間違った過去世認定は、弟子を悪魔の軍隊の危機にさらす恐れがあるのです。

私の場合、大川隆法氏にこう認定してくれと頼んだ覚えはありません。大川隆法氏がそう言い出したのです
。それが間違いだというのなら、それでも構いません。しかし、間違いを教えたことを一言詫びられてはいかがですか。それが出来ない人を、反省できない人といいます。自我が肥大化して反省できないというのは、誰よりも大川隆法氏ご自身のことです。

<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました
心理学の専用のブログです。
関心のある方は、下記へアクセスください。
http://tanemura2013.blogspot.jp/
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>
種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198

0 件のコメント:

コメントを投稿