2012年7月23日月曜日

『舎利弗の真実に迫る』講義49 大川・舎利弗は大川隆法の表面意識ですか? 

「大川・舎利弗 彼の根本の問題は、やはり、『きちんと精進して、まっとうに働こう』という、持続する意志がないことではないでしょうか。彼には、『ちょこっと、いいところに入って、ササッと器用なところを見せ、それで、うまいこと何かをつかんだら、そのままうまくいくようなコースに入りたい』『ロープウエーのようなものに乗って、そのままあがれるようなコースに入りたい』という気持ちがあるのだろうと思うんですよ。
 その意味で、少しだけ聡(さと)い部分があるのでしょうが、その気持ちを、『智慧第一』という言葉で表しているのだと思いますし、文殊を騙(かた)った方にも、やはり、そういうところがあるように思います。二人とも、『人よりも先に手を出して、いいところをつかんだら、賢い』と見ているのではないでしょうか。だから、『持続して、努力・精進していく』という、仏陀がずっと説き続けておられる教えを全く学んでいないですね。」(『舎利弗の真実に迫る』P231

<解説>

 これも誰のことを言っているのだろうかと、不思議なものを見る気持ちで読みました。というのは、私はこの手の要領のよさ、世渡りの巧みさが、最も欠けていることを自覚しているからです。むしろこういう方面の智慧が多い人が、職員として残っておられるように見えて仕方がないのです。

もっとも、私の智慧をこういう矮小化した要領のよさのように見せて、文殊ともども切って捨てたいという「大川・舎利弗」の意図は理解できますが。

 しかし、大川隆法氏は一番私のことをよくご存知のはずです。私が舎利弗であることを前提にして、かつて「舎利弗の智慧は宗教的知性であって、世間解や実務的知性にはやや欠ける面がある」と、職員を前にして話されたことがあったではありませんか。『沈黙の仏陀』に収録されている話をされているころのことです。いつこういう見解に変わられたのでしょうか。

 どうも「大川・舎利弗」は、私が教団の初期に入って、「人よりも先に手を出して、いいところをつかんだ」ことをもって、自分が賢いからだと、智慧を誇っていると言っているようです。これは「智慧」とはいいません。せいぜいよく言って「運」でしょう。

 確かに私は、今考えると「運」に恵まれていました。大川隆法氏がまだ天上界の指導を受けていた時期に職員となって仕事ができ、大川隆法氏が心境が大幅に落ちてきた時期に還俗できましたから。おかげで、この世的には苦労はしましたが、教団に残っている人のような魂の不幸を避けることができています。神仏のご加護を頂いていると感謝しております。

 「持続して、努力・精進していく」というのは、私はこれしかないし、本当ことを言うと、それ以外のやり方を知らないのです。在家となって会社に勤めたときも、経験も知識もない分は長時間働くしかないと思って、朝は誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで仕事をしました。コツコツ、コツコツ、とにかく言われたことを忠実に根気強くやるしかありませんでした。


 そのプロセスは、まさに耐え忍びでした。その大切さは大川・舎利弗が言う通りなのですが、それを私は愚直に実直にやり続けてきた日々であったように感じています。こういう私の状態が「大川・舎利弗」にわからないということは、この方は本当に霊人なのだろうかという疑問を私に抱かせました大川隆法氏の表面意識にすぎないのではないかという疑問を、私が持ったということです。

<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました

心理学の専用のブログです。
関心のある方は、下記へアクセスください。
http://tanemura2013.blogspot.jp/
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>
種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198


0 件のコメント:

コメントを投稿